マンガ太郎

 

本名  朝倉 康夫

芸歴  学生時代よりプロ漫画家として活躍。後に舞台演芸家を志し、似顔絵と即興漫画をベースにした独特なパフォーマンスを開発して広く海外のステージでエンターテナーとして武者修行。その特異な価値を尊重され各国に於いて好評を得る。

テレビをはじめ各企業のレセプション、パーティー、各地のイベント等のステージや寄席に出演。

また、新聞、雑誌、単行本等のイラストや漫画を手がけ、多方面で活躍。


趣味  アウトドア、ゴルフ、釣り


マンガ 僕たちが活躍していた時代はだいぶ前になるから、今はしっとりとやってますよ(笑)。

僕はね、雑誌媒体で漫画を書く漫画家ではなくて、ステージの上で即興で漫画を書く芸人なんですよ。最近でもたまにテレビに出てますよ。似顔絵もやっていてね、この前NHKの「趣味遊々」に似顔絵師として出演して、NHK出版から本も出ました。舞台でも似顔絵を描くんですよ、お客さんの。日本では私しかやっていませんよ、この芸は。

人研  この芸を始めたきっかけは何ですか?

マンガ 舞台に模造紙を立てて音楽に合わせて漫画を描く先輩がいましてね、当時3,4人そうゆう芸人がいましたね。

人研  最初は漫画家志望だったのですか?

マンガ そうです。私は元々漫画家だったんですよ。単行本も7冊ほど出しましたよ。雑誌に連載して単行本を出す、というやり方ではなく、いきなり単行本を作る。それが貸本屋に並ぶんですよ。しかもね、僕がまだ高校生の頃ですよ。学校に行って、授業中に漫画を描いていましたよ。先生方にも公認されていてね。その当時の原稿料は、一冊1万5千円くらい貰ったかな。高校教師の給料が6千円か7千円の時ですよ。僕は高校時代から煙草を吸っていたんだけど、高い煙草をいつも持ってて、先生方におすそ分けしてましたよ。「お前が漫画描くことにより、俺はいい煙草が吸える」なんて言われていましたよ。

でも、卒業してからは、漫画を描くことが面白くなくなっちゃって、芸人になりたくなったの。

人研  当時どんな芸人がお好きでしたか?

マンガ トニー谷だとか、その類の芸人が好きだったな。

人研  漫画家では、誰がお好きでしたか?

マンガ やっぱり、手塚治虫さんですね。貸本屋は2流、月刊誌は1流、という時代でした。本当に実力がないと、月刊誌では描けなかったですよ。

人研  なるほど。マンガ太郎さんの芸には師匠はおられたのですか?

マンガ いました。先程話した先輩、春田美木さんです。後にスペインに行って、もう亡くなりましたが。

人研  何歳の時に入門されたのですか?

マンガ 20歳くらいの時だったかな。その人のステージでの芸を見て憧れてね、これならすぐできるかもしれない、漫才をやるよりも、自分の画力を活かせていいな、と思って、プロダクションを通してその先生のところへ入門したんですよ。朝10時くらいに先生の自宅にみかんか何か持っておじゃまして、すっかりうち解けて、お昼ご飯をご馳走になったのよ。なあなあな感じになっちゃって、午後には破門になっちゃった。というのも、いつからステージに立てますか? と率直に聞いてしまったら、馬鹿者! 3年は鞄持ちしろなんて怒られて。明日からやらせてくださいと頼んでも、そんなに簡単なものじゃない! お前はクビ! って言われちゃったの。でも、一月後にプロダクションの人が来て、希望どおりにすぐ仕事の約束をしてくれたんだ。

人研  すぐに仕事をして、どうでしたか?

マンガ 出来なかったですよ。キャバレーの舞台で、舞台に立った瞬間足が泳いじゃって地に着かなくて、不本意な絵ばかり描いてしまってね。お客さんから何か投げられて、酒がまずくなるから引っ込め! とヤジを飛ばされた。で、引っ込んだら社長が、「どうする? 辞める?」と。「ええ、とてもじゃないけど出来ません、辞めます」と答えたら、明日も仕事入れてしまったので、明日何とかやってから辞めてくれと言われた。それで2回目もやったら、ウソみたいに慣れてしまって、すいすい描けたのよ。お客さんにもずいぶんウケてね。やっぱり簡単じゃないか、と思ったよ。で、続けることにしたのよ。それ以来ずーっとやってきたよ。

人研  お弟子さんはおられますか?

マンガ 弟子はいなかったけど、早稲田の漫画研究会の学生と似顔絵グループを作って、十数人で似顔絵グループとして活動したなあ。その中から2人くらい漫画家になった人がいますよ。ひめひめの、とかね。

人研  芸人仲間では、どなたと親しいですか?

マンガ といつもこの辺飲み歩いてますよ。友達はいろいろいるけど、いつも飲むのは彼だけだな。同い年でね。日本で寄席ブームがあった時に、僕は世界中をショーで回っていて、日本に帰ってみたら、芸人仲間がみんな有名な人気者になっていたよ(笑)。

人研  海外でもウケましたか?

マンガ そりゃあもう。絵ですから。見てわかるものですからね。週給50ドル、まだ1ドル360円の時でした。週に1万8千円。平均初任給が1万円ない時分でした。

人研  では苦労された時期があまりない感じですか?

マンガ 苦労といえば全部苦労なんでしょうけど、楽しいことをやっていましたからね。失敗も頭の切り替え一つで楽しいことに変わるんですよ。

人研  芸を始めた頃のお話といい、切り替えが早いですよね。ポジティブな性格ですね。

マンガ うん! 悩んでいる暇がない。

人研  とっても落ち込む時とかはないのですか? 挫折とか。

マンガ あんまりないですねえ。挫折もないですね。もしかしたら、今が挫折かもしれませんね。

人研  それは、どうしてですか? 何かあったのですか?

マンガ うーん、もう若くないでしょ。気持ちは若いんですけど、体がついていかないんですよ。僕なんか、ステージでジャズ歌ったりもするんですけど、もう、ゼーゼー言ってしまいますよ。

人研  歌も歌われるんですか。

マンガ 僕は米軍キャンプによく呼ばれてまして、ブロークンイングリッシュとジャズを駆使してやってましたよ。

人研  へえー。で、ちょっと気になっていたんですけど、右手の小指の爪は、何のために伸ばしているんですか?

マンガ ああ、これは鼻くそほじくるためです。

人研  (笑)あと、首に巻いているスカーフがお洒落ですね。

マンガ うん、扁桃腺が弱くてね、いつもしてるのよ。いろいろと体が弱ってきてね、かけっこしても負けるし、何で俺が歳とっちゃったんだろう、って思うよ。やっぱり挫折してるんだよね。

人研  歳をとられたぶん、絵は上達したんじゃないですか?

マンガ たぶん、そこが問題駄と思う。ずっとやっていると、追究してしまうのよ。で、理想と違う自分を卑下し始める。それがね、いわゆる挫折なんですよ。他人からすれば私ができる仕事で十分だとしても、自分では、もっと進歩していなければならない、ってゆう思いがあってね。限界を感じているんじゃないかな、自分に。高次元の絵と比べてしまうから厳しいんですよね。幼稚園生の絵と比べて、自分のほうが上手い、なんて威張っていれば楽ですけど、東山魁夷の絵なんかと比べると、挫折感感じますよ。

人研  日本画がお好きなのですか?

マンガ ええ、素晴らしいものなら何でも好きですよ。棟方志功も好きですし、マチスだってルオーだってマネだってモネだって、みんなね。なんかいいなあ、と思うものは好きです。深みのあるもの。ステージで、単純な線で何か描くときも、深みについて考えますが、でも、深みって考え出したら気が狂いそうになるから、幼稚園生と張り合っていたほうがいいな、と思っちゃう(笑)

人研  即興にはやはりこだわりがあるんですか?

マンガ うん、他にやってる人いないしね。ライフワークだと思ってますよ。人の真似はしたくないし。何言われても一人で続けるよ。

人研  どんな所でやられているんですか?

マンガ いろんなところでやってますよ。出演依頼に応じる形で日本全国。

人研  結婚してらっしゃるんですよね?

マンガ ええ、カミさんはね、元バレリーナで、あるジョイントをやるショーで知り合ったの。音楽に合わせて絵を描いたりね、難しいよ。いろんな人とジョイントしましたよ。ウェスタン歌ったり。楽しかったですよ。

人研  最近で楽しいことは何ですか?

マンガ こうやって、若い人と喋ることかな。

人研  ありがとうございます。それで、奥さまとの馴れ初めについて聞きたいのですが。

マンガ あのね、元々友人同士でね、ある日彼女を海水浴に誘って、一緒にゴムボートに乗ったの。沖の方に出て、なんとかキスしようと企んでね。で、乗りながらどうキスまで持っていこうかと、タバコを吸いながら考えていていたんだ。それで、今だ! という瞬間に、吸っていたタバコを、ボートに押しつけて消しちゃったのよ。ゴム製って忘れてて。はっと気づいたら穴が開いて、ボートは乗れなくなっちゃって、2人で泳いでずいぶん遠い岸まで帰ろうとしたのよ。でも、泳ぎが得意じゃなくて、もはやこれまで、と思い、心配させないように彼女に先に行っててくれと伝えたけど、彼女戻ってきて、俺を掴んで泳いで岸まで連れていってくれたんだ。だから、命の恩人。恩返ししたいし、結婚したいし。

人研  すごい! 漫画みたいですね。タバコお好きですよね。今は何を吸われていますか?

マンガ 今僕が吸ってるのは、「NEXT」だね。昔は「ピーカン」なんて吸ってたよ。いい臭いなんだよ。で、先生方にあげてたよ。今はきついから、1ミリ吸ってるよ。

人研  奥さんとも毎日こんな楽しい会話をしてらっしゃるのですか?

マンガ 妻子にはもううんざりされてますよ(笑)。

人研  お酒もお好きなようですね。

マンガ 好きですね。飲み歩いて、家に帰ったら仕上げにまた飲む。ビールや水割りで冷えた腹を、お湯割りや熱燗で温めて寝る。それが家でやる仕上げね。ぐっすり眠れますよ。タバコも吸うし、規則正しく健康的に生活してますよ(笑)。トルストイの本を枕元に置いてますよ。開くと眠くなるから。

人研  睡眠導入剤ですね。外国はどちらを回られたのですか?

マンガ 東南アジアや、ちょこちょこといろんな国をね。一番長かったのは、香港に一年住んでいてね。ベトナム戦争時でしたから、米軍キャンプがあって、仕事が来るんですよ。おいしい話が。一回行って1千ドルくらいくれるのよ。36万円。初任給7,8千円の時に。そのかわり、一度米軍の飛行機でハノイまで連れて行かれて、戦線を武装兵とジープでジャングルを移動したり、危険なこともありましたよ。最前線の野外ステージでね、女性の裸の絵を描いて、大盛況でしたよ。

人研  ベトナム戦争の映画に出てきますよね、野外ステージのショー。そこで漫画ショーもやっていたなんて。

マンガ ジョークを、笑いを提供しましたよ。一番おもしろかったのはね、立川の基地でショーをやった後、もう一個所、と頼まれて承知したら、米軍の戦闘機でグアム島まで連れていかれたことかな。ものの一時間くらいで着いて、やけに蒸し暑かったけど、夜だから椰子の木なんかも見えなくて、どこだかわからなかった。で終わったらすぐまた戦闘機乗って、立川に帰ってから九州だったのか、と聞いたら、グアムって。びっくりした。

人研  希有な体験ですね。刑務所なんかも行かれました?

マンガ ええ。精神病院にも行きました。僕と、染めの助染め太郎さんと二組で盛岡の精神病院に。それで、控え室に入って出番待ってたら、白衣着て聴診器下げた人にからまれて、変な人で、後から看護婦さん来て、「きよしちゃんまたこんなとこ来てー」なんて、患者さんだった! ってこともあったよ。ステージでは、染めの助さんたちはウケなくてね、「何号室だ、あの人たち」なんて患者さんたち話しててね(笑)、私の芸は、絵ですから笑うんですよ、皆さん。

人研  その時はギャラは出たのですか?

マンガ そこの院長さんと顔見知りで頼まれて、お小遣いは貰ったけど、病院側からは、ノーギャラでした。あそこへは、いろんな人が慰問に行ってますよ。

人研  刑務所はいかがでしたか?

マンガ やっぱり刑務所だと、スジモノの人が入所している仲間へのサービスで、いいギャラで芸人を呼びますよ。で、終わってから横浜中華街で打ち上げがあって、ご馳走を頂いて、帰りの送迎車に乗ったら、一通も無視して爆走されて、恥ずかしくて下向いて乗りましたよ。まあ、いろいろありましたね。三沢の米軍基地で拳銃で撃たれたこともありますよ。

人研  ええ!

マンガ 控え室で支度中にいきなり酔っぱらった金髪美女が乱入してきて抱きつかれてキスされて、抵抗する意味がなくて、ディープキスまでしてたら、その旦那とおぼしき大男に見つかって、そっちも酔っぱらってて、僕に向かって拳銃を乱射したのよ。もうじっとしてたよ。当たらなかったけど、全部近くを通ったよ。すぐにガードマンが来て男を羽交い締めにして連行したよ。もう、怖くて失禁しちゃて。

人研  子どもさんは今何をされていますか?

マンガ もう社会人ですよ。

人研  これから新しくやりたいことはありますか?

マンガ うーん、どうにかこれを自分の納得いくようにするしかないんじゃないかな、これからなにをやる、というよりも、少し進歩したいな、と思ってる。またNHKの寄席番組の収録があるんですけど、和風な感じの、宝船の帆に絵を描くような、伝統芸のようなものを確立したいな、とは思ってます。

人研  これからお弟子さんをとることはあるでしょうか?

マンガ もちろん。やりたい、という人がいたら、よろこんで。いろんなことを、一緒にやりたいですね。技術や経験は僕のほうがあっても、教えると言うよりも、教わることのほうが多いですから。今の時代にマッチした考え方の人とね、呼び方だけ、師匠とか、先生とかで、実際は一緒にやる。三年鞄持ちなんて言いませんよ。習うより慣れろ、ですよ。

人研  なるほど。それでは、今日はどうも有り難うございました。楽しいお話がたくさん聞けました。

マンガ こちらこそ。