安藤優子

 

人研員A(以下A):まずは「あの子は英語がしゃべれない」という著書でよませていただいたんですけれども、高校生のころに留学をなさったということでまずそのお話から聴かせていただきたいと思うんですけれど、高校生のころからそのようにやっぱり自分のやりたいことはバリバリやるという感じの人だったんですか?

 

安藤:そういうことはないですね、あんまりね。私はすごくやりたいことがはっきりしていて、やりたいことがはっきりしているってどういうことかというと、やりたくないことが何かをしっている。で、高校生の時から自分のやりたいことは留学する事でやりたくないのは日本の学校に残って、私は日比谷高校という高校だったんで、もうみんなまわりは東大に行くのが当たり前っていう、すごいとんでもない誤解と錯覚の渦の中にいるような学校だったんで、私はあの、東大に行くっていう・・行くって言ったって行かせてもらえないでしょうけど、いれてもらえないでしょうけど、そういう気持ちも全然なかったし、で、なにがいやかって言うと、なにかこうみんなで同じような形で同じような道を進んでいかないと許してもらえないっていう、そういうのにものすごくいやな感じがしていたので、私はもうとにかく・・・あのー、アメリカじゃなくてもどこでもいいから、なんかこう日本の独特な閉塞感っていうか・・・そういうものから抜け出したいっていうのは小学校四年生ぐらいの時からもう持っていたんで、で、もうそれが、その夢が小学校四年生の時にはもう絶対私はこれだって思ったことが、高校一年生になって実現したっていう事で、高校生になったからそういうふうにしようと思ったんではなくて、あくまでも小学校四年生の時に私はもうこんなのやだって思ったその、まあ夢っていうか自分の思いみたいなものが、高校一年生の時に、あの・・・まぁ実現した・・だからやりたいことをバリバリやるっていうよりも、やりたいこととやりたくないことを自分の中ですごくはっきりわかっていたっていうことだと私は思う。

 

A:実際に留学をされた先での生活というのはどのような生活を送られていたのですか?

 

安藤:もう普通のとこなんで本当に、私が行ったって言うのはすごく

あの、アメリカの中でもまあ裕福な家だったと思うんですけれど。

 

A:ベイリー家

 

安藤:ベイリー家、はい。今でもベイリーさんちはありますけれども、あのー、まぁみんなは今いくつ?

 

A:二十歳前後が・・

 

安藤:二十歳前の人っているの?

 

A:いますね。十八が。

 

安藤:ああ、十八の人・・、一人?十代一人?

 

A:十九も結構いると思います。

 

安藤:ああ・・、何でもできると思うでしょ十代の時って。

 

全員:  ・・・・・・・・・・・・・

 

安藤:アメリカに行ったのが十六歳の時で、十六歳の時はもう何でもできると思っていたの。自分がのぞみさえすれば、で、自分の努力さえすればやれない事は世の中にはないっていうとんでもない誤解の塊だったと思うけれども、でもそれぐらいなんかこうエネルギーに満ち溢れていたっていうか、怖いものを知らなかったから余計その鼻をへし折られることがいっぱいいっぱいそのあとで起きるんだけれども、でも基本的に十代の十九までは私は努力さえすれば、それはもう扉さえ叩けば絶対的に、あの・・・叩かなければなにも起こらないけれども、扉を叩いて開けようとすれば私は扉を開くってずっと信じていた。アメリカの高校生活っていうのはまったくみなさんがビバーリーヒルズ白書で見るような、あういうふうなものではなくて、本当のアメリカのほうが田舎で、田舎っていうか、私がいたのはデトロイドから一時間くらいのところのベッドタウンなんだけれども、アメリカのライフスタイルって、ニューヨークやロサンゼルスっていうのは、あれはアメリカじゃない。 

 

A:まったく造られた町っていう・・・・ 

 

 

安藤:っていうか、そこはアメリカの中でニューヨークという国っていうか地域で、なんか明確じゃなくて極めて特殊なとこで、で、あれ以外のアメリカっていうのはもう何年たっても全然変わらない、何十年たっても変わってなくて、普通の生活している、皆。で、私はそういう普通の家庭の、まぁすごく裕福な過程ではあったけれども、高校生活を当たり前に送ったのでそれ事態は別に特筆すべき出来事は本に書いた事ぐらいだけれども、で、私が言ったkとはそう、扉を叩けば必ず開くんだっていう、妙な気持ちというかある種のいろんな意味で私の人生のいろんな物事をかんがえるときの原点になったって言うの?あのー、アメリカの高校生活で。で、アメリカの高校に行ったときに一番印象に残っているのは、私は英語がとりたててすごくできたとかいうわけじゃないんで高校生活を普通に送るにはとても苦労しました。で、そのなかで、カウンセラーの部屋っていうのがあって、あの日本みたく心理カウンセラーとかいうのではなくて、単にどういうふうに勉強させるかっていう学習カウンセラーみたいなね。でどういう単位をどういうふううにだせるとか、まぁよろず相談屋みたいなカウンセラーがいて、それは他の学科を受け持つ先生であってもいいんですけれども、そのドアに紙を毎日新しい紙が張り出されて、朝の七時半ぐらいからずーっと学校が終わってから七時ぐらいまでの時間割がバーっと書いてあって、で、そこに自分が会いに行きたい時に名前が空いていれば書いて、で、その時間にその先生に会いに行く。で、そうするとどんな話、どんな事でも一応相談に乗ってくれる。例えばだから、ほらアメリカ人だけじゃないと思うんだけれど日本人ってすごく、あの・・・、しおらしいっていうか謙虚でしょ。でもアメリカ人って考えられないような質問を平気でするのね。考えられない相談をもちかけるわけ。例えばだから、私は数学が嫌いですから何とか数学をやらないで卒業できる方法はないでしょうか、とかね。本当にそんなにすごいことは日本では絶対いわないし、アメリカ人ってそこらへんは自由である種すごい押しが強いと思うんだけれども、そういうもうとんでもないことでも必ず一応カウンセラー達は聞くのね。で、わたしは英語があまりよくできないので、英語がよくできるようになるためにボランティアをしたい。と、お願いしに行って、なんと私がそんなネイティブでもなくてできもしないくせに、小学校に絵本を読んであげるボランティアの仕事をもってきてくれてなおかつそれが単位になった。で、そういうことが次々に起こって私がなにか相談しに行くと、そのカウンセラー達が魔法の杖の様にいろいろと駆けずり回ってくれて、いろんなことを現実のものとしてくれた。でももちろんそこには自分の努力もあるし、そこに行って話をするという自分の一つの行動というのももちろんあるんだけれども、なんかその時にね、そのドアに必ず書いてあるわけ、ドアを叩きなさいって。叩かなければドアは開かないっていう諺みたいな事が書いてあって、ああっ、そうかって。私はすごく単純にアメリカに行って一番私の生き方を左右したのはドアは叩かなくちゃ開かないんだっていうすごい単純なことで高校生活どんなだったかっていうアメリカの話でいけば凄く凝縮していえば、そうかドアっていうのは叩かなければ絶対開かないんだって言う事を知ったっていうのかなぁ。で、あのまま日比谷高校にいたら私は、ああ、ドアっていうのは叩けば開くのかなあと思いつつドアの前を通り過ごしたかも知れないし、それが一番一つの・・・・、毎日楽しいことばかりじゃもちろんないけれども、留学生活の中で一番・・・自分自身の中で残っている・・・・ものかな。

 

A:それで次に大学の話になるんですけれども、大学は今お話聴いていると、アメリカの生活で自分でドアを叩けみたいな教訓を得て、そのへんでアメリカの大学に残ろうとか、そういうことは思わなかったんですか?

 

安藤:それはすごく努力してんだけれども、私の場合は親がこれからもう四年間、さらに四年間アメリカですごすとなればもう申し訳ないけどアメリカ人になってくれっていうわけ分からない親で、今から二十五年前っていうのは、まだなんていうのかな・・・・・、アメリカに女の子が一人で留学するのって凄く極めて異常なことで、今とは全然違って、やっぱりアメリカに女の子が十六で一人で行ったっていうのは、うちの母なんて言うのはよく親戚の人からね、うちの父はあまり発言権がないんであまりそのことは言わなかったらしいけれども、よく親戚の人たちから、あなたは親として気が狂っているとまで言われたの。十六歳の女の子を一人でアメリカにだして親としてどうかしている、責任を放棄しているみたいな事を言われて完全に避難を受けた。で、私は日本のそういう事を含めてきっと反発してアメリカに行ったと思うんだけれども、で、そういう時そういうふうな風潮なところで、一年間留学してさらにもう四年間、実は私は奨学金が歯科医師会から出て、留学していた地元の大学に奨学金で行かれることになっていたんだけれども、親があと四年間さらにアメリカに行くんだったらもうアメリカで就職して、アメリカで結婚して、あなたはアメリカ人になってくださいと言う、つまり二度と帰ってくるなっていう、ある種アメリカに対して極めて憧れと要するに偏見とかまだまだあった時期なのでそれで私はなんとなく大学進学をあきらめた・・・・、それでしかたなく、しかたなくしか

たなくっていったら上智大学に失礼なんだけれども、上智大学の当時はまだインターナショナルディビジョンっていう、ディビジョンっていったらデパートメントではなくて、普通学部はデパートですよね。ディビジョンっていったら文部省の大学卒業の□をもらえない、短大卒の学校だったんだけれども、でも私が大学に行って二年目ぐらいに文部省が一応学部として認めるということになって、最初は外国語比較文化学科になって、今は独立して比較文化学部になって、でそこで・・・いやいやながら・・・・・。で私にとっては圧倒的にアメリカが良いという事ではなくて、アメリカに一緒に過ごした時間を共有した友だちがいて、そこに自分の高校生活のあかしがあるわけだからそこに戻りたいっていう・・・・、そのために大学は午前中に行って、午後からずーっとアルバイトしてお金を貯めていた。

 

A:例えばどのようなアルバイトを?

 

安藤:もうありとあらゆる仕事をした。私は、まず子供たちに三軒茶屋の教会で英語を教えてそれから家庭教師をやって、それから渋谷のパルコでエレベーターガールをやって、あと三越でオムロンの電卓を売ってお茶の水の・・・中央大学だっけ?お茶の水にあるの。

 

A:えー、結構あります。明治大学もあります。

 

安藤:あ、明治大学の方じゃなくてねもっと坂の下のところでコダックのフィルムの店頭売りをした事もあるし、それから中野の駅前のぶんめい堂でカステラ売り。もうありとあらゆるアルバイトをやった、本当に。私はだからとにかくお金をためて、親は私がアメリカに行くって言ったら完璧に見捨てて兵糧攻めをするわけだし親の力は借りられないので一日も早くアメリカに戻るんだっていう夢を抱いてすごいアルバイトを。すごいアルバイト君でしたよ。午後からはアルバイトに行くかテニスに行くかで、毎日へらへらふらふら。

 

A:在学中にレポーターか何かをやるようになったのが業界にはいるきっかけなんでしたよね。

 

安藤:だからエレベーターガールをやっている時に、テレビ朝日のディレクターの人にアメリカに行く、アメリカって聞いただけで反応しているんだけれども、アメリカに行くレポーターを探しているんだけれども君がやらないかっていう・・・・。何でその時に私に声をかけたのかっていうと、前にエレベーターに乗ってきてすごいしつこい男の人がいるなっていうのは知っていたのね。で、エレベーターガールっていうのは操作盤に向かっているので、後ろの背中がすごく無防備になっていてもう男の人なんて触り放題っていう感じなんですよ。十代やそういうかわいい顔をしているけれどだんだん四十代や五十代のおじさんになってくるとみんあ本当に何かずうずうしくなってくるというか・・・。で、ある時お昼休みになると毎日来る人がいるなっていうのはわかっていたんだけれども、他のエレベーターが先に来ているときでもそっちに乗らないでずっと私が操作している方に乗ってくるので、あ、やな感じだなって。それがテレビ朝日のディレクターで、で、私がすごく声が大きいっていうのと、外人のお客さんと英語で喋っていたのを聞いていたっていう。私が英語をできるっていうのと、声が大きい、学生できっと暇そうだっていう、いろいろあって、で、私にグレーハンドバックっていうのに乗って二十八日間で西海岸から東海岸までアメリカ大陸を横断する仕事。それをテレビでうつすってことになっていて、私はアメリカに行けるっていうたった一つの目的において、だからテレビに出られるとかテレビに出たいとかレポーターをやりたいとか、私はそういうのにはまったく興味がなかったんで、だからそれでレポーターをやれっていわれていったいレポーターがなんなのかも全然わからないし、まあレポーターって言っても通訳兼雑用兼たまにマイク持って喋るっていう。私もすごい初めてでめちゃくちゃひどいから、たまーに喋るだけであとはもう本当に通訳兼雑用係みたいな事をやっていたんだけれども。それがだからテレビ朝日のほうで私が働くきっかけになったもので、その時はだからテレビっていうものが今でもそうだけれども・・・・、テレビっていう物は映画の流れからでてきたものだから、テレビカメラっていうものがすごく傍若無人だった時代っていうのがあって、今でこそ放送する側に人権を意識しようとかね、そういう意識がすこしづつめばえてきたけれど、二十年前の報道っていうのは本当に、報道してやるぞ、報道が行くぞ、報道が行ってあげるんだという感じ。新聞が世の中で一番偉くてね、テレビは一応新参者なんだけれども、でもすごくマスメディアの中でもテレビカメラっていうのが、人に有無を言わせず踏み込めてどこへでもすたすた入っていける極めて傍若無人な存在だったわけ。で、そのアメリカ横断のレポーターをした時もそういうカメラの思い上がりっていうのをもうものすごく見せつけられて、ああテレビってなんて醜い仕事なんだろうっていうのが私の中であったイメージで。というか強烈に私の中でなんてテレビっていうのは醜いんだろう。なぜカメラがあることによって普段日ごろはいっていかないところに対して何事もなかったかのようにすたすたと入り込んで行けるんだろう。もうカメラって何者なんだろうっていうのをすごく考えて、で、その時にもう二度とマスメディアは嫌だ。特にテレビは絶対嫌だというふうに思ったので、ある種テレビに対する憎しみみたいに思った。これは本当。テレビのどこが偉いのよ、笑わせないでよねっていう、普通の存在じゃなくても私にしてみればなんかすごくなんか・・・、理解を超えて傍若無人な、もうそれに尽きると思うんだけれども、だから帰ってきて私は報道番組はそれがきっかけでアシスタントになったんだけれども、その時には本当に誠心誠意お断りしたし、私としてはアメリカの大学に行ってホテルのマネージャーになりたいっていう夢があったし、うーんまぁ、お答えが長くなりましたが、きっかけとしてはそういうきっかけ。テレビを憎んだっていうと大袈裟かもしれないけれど、私はテレビカメラに対してすごい大きな疑問をいだいていた。 

 

A:当初はそういう事とおっしゃいましたけれども、なぜ今の安藤さんがということが気になってしまうのですが。

 

安藤:あ、それはもう20年という歳月があるわけで、私はテレビカメラというものとか、テレビっていうものといろんなふうにある種戦い続けけたっていうか、今もそうだけれども。で、どういう現場に行っても、まぁいろんな現場に今まで行ってきて、戦争もあれば紛争もあれば暴動もあれば地震もあれば、もうとにかく私が報道の中で歩いてきた現場っていうのは、私はグルメ番組もやったことがなければ鍋番組もやったことがなくて、それは当たり前なんだけれども常にニュースが起こっているところに行ってきたわけだから、それはあの・・・・、絶対的に幸せなことは起こっていないよね。ニュースの中で何か現場に行かなくてはならないということは、必ず人が死んだり、血が流れたり、人が撃たれたり、国が壊れたり、それから地震が起きて家が潰れたり。すべてにおいてそこには人間の血だったり悲しみだったり、そういうものしかないわけ。で、そういうところに行くことによって、自分は何でそういうところにいつもいつも行くんだろうっていう事とか、いろんなことを考えてくるとやっぱり私は今まで続けてきたっていうのを一言ではなぜだっていうことは全然お話できないけれども、私自身が常にそういう現場に行くことによって、自分の価値観みたいなものが粉砕されるのね。自分の枠組みがぶち壊されるの。だからどんなに不幸なところに行こうが、どんなに汚いところに行こうが、どんなに貧しいところに行こうが、ある種ものすごく私はとても感動する事に必ず出会って、で、戦争に行って感動するなんて不謹慎と思われるかもしれないけれども、人間っていうのはぎりぎりのところでいろんな側面を発揮する動物なのね。で、ぎりぎりのところに追い詰められないと本当に発揮しない側面もいっぱいあって人間っていうのは。人間本来のすごく優しい部分とか、人間が本来持つ尊厳とか、そういうぎりぎりに追い詰められた時に、本当に悪い奴は本当にぎりぎりに追い詰められた時に本当に悪くなるの、最終的にほんとうにぎりぎりの土壇場まで追い詰められた人間がどういうふうにするかっていうのは、本当にその人が持ち合わせた本性が最後にぎりぎりの場面で本当に凝縮して出してくるのね。だから、多分皆さんもこの日本の中で味わっている幸せが、一瞬の中でものすごく凝縮された瞬間で味わったりとか、感動っていうのが・・・、うまく言えないんだけれどもそういう中に私はいろんな人間のそういうこう凝縮されたいろんな感情みたいなものを垣間見たりして、今まで自分が持ってきた価値観とか枠組みとかがこなごなに微塵もなく打ち砕かれるっていうのかなぁ・・・。それが私にとってずーっと仕事を続けてきた理由なんだと思うのね。一回現場にいって粉砕されて、また戻ってきてまた粉砕されて、また戻ってきてまた戻ってきてって言うことの繰り返しで、それが自分にとってはものすごいエネルギーになった。だから続けてきたのだと思う。あの、よくテレビに出たいとか・・・、テレビに出る事に対してなんの未練もないというか、出ることが理由に、出つづけることが理由になっている人っていっぱいいると思うのねテレビって。つまりテレビってものすごく正直なメディアでやっぱり見ていらっしゃる視聴者の皆さんってものすごく勘がいいと思うの私は。で、私達がいろいろな仕掛けていることとかたくらんでいる事とかいろんな事をすごく見抜くし、それと同時にもう一つは、その出演者なり画面に出てくる人間の本性を皆さんは直感的に見抜いていると思う。だからそれが好き嫌いの感情につながっていくんだと思うけれども。とにかくテレビに出つづける事だけがその人の・・・、何て言ったらいいんだろうな・・・、すべて理由になったときにはそれは画面の中でとてもあさましく見えるのね。で、そういうものを視聴者の皆さんはものすごく敏感に感じるから、私はテレビの画面に出ることについてはあまり意味は・・・・、自分の中では重きを置いてないっていうか、だからどうでもいいってことではないんだけれども、自分の見てきた事を伝えたいって事の法が大きいからテレビに出なくちゃいけない、テレビに出つづけるってことは、私にとってすごく生意気な言い方かもしれないけれどあまり意味はない。最近ラジオに出たいってすごく思うし、ラジオやろうかなって思う。 

 

A:またどうして?

 

安藤:あのねー、うーん・・・、テレビってすごい画面管理が大変で、画面管理が大変って別に愚痴っているわけじゃないんだけれど。あのね・・・・・、黙っててもテレビって情報が伝わる。

 

A:ありますね。イマジネーションを書き立てられると言うか。

 

安藤:ていうかね、画面がこうあるでしょ?で、私がこうやって手を組んでいるのか、こうやっているのか(ポーズを変える)、こうやっているのかによって、私の伝えているニュースに対する距離感をあらわすことが出来るのね。一緒にやっている木村太郎さんが時々芸能のニュースでコメントを求められた時に必ずこうやって。彼はきっと自分のスタンスを示しているわけ。こうやって、こうやって(笑)画面の中から自分のスタンスをそういう事によって伝えている。そうやってテレビの画面って言うのは何か言葉で喋るとか、それから手話でもなんでもいいんですがしぐさだけではなくて、本当にちょっとした目線とか、ちょっとした自分の体の斜に構えるのか正面に構えるのか前に乗り出すのか後ろに引くのかという事によって、ありとあらゆる情報を伝える事が出来る。だから私はこのニュースに怒っていますとか言わなくても怒っていれば怒っている様子をすれば怒りが伝わるの。って言うのがテレビで、だからテレビっていうのはその画面の中に無数の情報が隠れていて、それをどれくだいコントロールできるかっていうのがキャスターとしては私はいいキャスターなのか、ダメなキャスターなのかの境界線だと思っているのね。つまり自分が画面の中でどういう情報を発しているのかっていう事を隅々までコントロールできるって事がキャスターとしての私はプロのキャスターとしての資質だと思う。つまり、いやそういうつもりでやったんじゃないって。そういうつもりで言ったんじゃないっていうのはありえないのね。もう自分が画面の中で情報を伝えていて、それはテレビで、実際テレビに限って言っているんだけれども、で、それは自分が管理して情報を伝えているわけだから、自分がどういうふうな目線でどういう事をやろうかっていう事をすべて毎秒毎秒考えてないといけない。それが多分テレビの情報伝達のしかたで、で、それをすごく私はすごく神経質にやってきて、すごく真剣に取り組んできたつもりだけれども、ああラジオが良いなと思っているのは、そういうこう画面管理から離れたところで、今度はすごく言葉、自分の話に集中してもらえる。声のトーンとか話に集中してもらえるメディアなのかなぁって最近思ってラジオをやってみたいなって思い始めたからそういう・・・。テレビってものすごく・・・・、時々とんでもないリアクションが返ってくる事があって、えっ?っていうこっちが全然意図してない受け取り方をされる時もあるし、で、特にテレビを見ている人たちでやっぱりちょっと精神的に不安定な人はストーカー的になっちゃうのね。で、これは予断だけれども、ただ私が毎日毎日同じ時間に例えば夜のニュースで出てくることによって茶の間にすわっているのは男性一人だとするでしょ。で、1対1になっちゃっている。マンツーマンの状況になっちゃている、コミュニケーションが。で、彼にとっては私が彼のために毎日同じ時間に会いにきているっていう理屈になるわけ。

 

A:なるほど

 

安藤:その点不思議な、だからテレビってとても不思議な媒体だと思う。それで、あの、ある種こう・・・、もちろんその男の人っていうのは決して異常な精神ではないけれども、でも極めて狂っているかっていうと、そんなにでもないわけね。それでそうなりがち、なんかこう思い込みとかが発生しやすくて、で、例えばそういうふうな人っていうのは毎日毎日その、テレビを見ながら、自分が喋っていることを手紙に毎日書いてきたりとかね。そういうコミュニケーションになりやすいのがやっぱりテレビだと思う。多分ラジオっていうのは顔が見えやすいのがテレビだと思う。多分ラジオっていうのは顔が見えないから、いろいろ自分で想像していくっていう部分でちょっと距離感ができる。テレビっていうのはすごく直截な非常に直接的なメディアだから。

A:安藤さんが考えているテレビの限界とか、映像の限界とかそういうものは。

 

安藤:限界?

 

A:限界というか、映像で出来ることの限界というか。

 

安藤:映像で出来る限界?映像で出来る事の限界というよりもね、映像を加工する事の限界かな、私が思うねは。今はね、テレビをみていて私はすごくニュース番組に厳しく言っているんだけれども、あの・・・、人がしゃべったことをすぐスーパーに加工するでしょ。で、私はね、もちろん耳の聞こえない人のために字幕をいれるのであれば、それだったら逐語でやらなくちゃ、全部いれなくちゃいけない。そうじゃなくて自分たちがこう、あの・・・、強調したいところを必ず字幕スーパーをいれたりなんかするんだけれども、あれはね、聞く力を人から本当に取っていると思うのね。だって聞く前に読むでしょ、絶対に。何でテレビは音声があるのね私は字幕スーパーを出すのかをすごくすごく怒るのね、毎日必ず見るんだけれども、でも、あの、べたべたの字幕スーパー地獄に各局ともね各番組とももうはまっちゃってて、もう一つの番組がそこから抜け出す勇気をもてないっていうとてもゆゆしい状況になっているんだけれども、私はあれはテレビとして首しめていると思う。つまり、文字放送じゃないんだから、ちゃんとそこに人がいて喋って肉声で語っているわけでしょ。それを私たちは耳をすまして聞いてそれを自分達がどう考えるか、それを大切だと思えば大切だと思えばいいし、何もこっちから黄色い字や赤い字やでっかい字でね、ここが大切だといわんばかりに字幕スーパーで強調する必要はまったくない。それは、押し付けているよ。作り手の強調している意図をあまりにも押し付けすぎてる。で、見ている人もばかじゃないんだから自分達で趣旨を選択する力はもっているわけだから、何もコレを持っていってください、あれをお買い上げくださいっていうふうな、何かあまりにも押し付けがましいんじゃないかということを必死に言っているんだけれども、だけど割と若い世代のほうがダメ。その地獄から抜けられないっていうか、すぐにあれがないとなんか何を言っているかよくわからないんですよとか言って、なーんかあんた聞く力ないんじゃないのとか思って。抑えているけど。

 

A:バラエティ番組とかでそうですよね、言葉のポイントですよってところで絶対でてきちゃうっていう。 

 

安藤:ただね、だからすっごい今のそれが今おっしゃったテレビの限界っていうか、今テレビの限界はテレビで自分の首締めてきたっていうのがすごいあって、テレビのフレームは肉声であって動く映像であるわけ。これがテレビの可能性でテレビの一番すばらしいところで、新聞には絶対出来ないのは、新聞の良さっていうのはあらためて読み返して、ああこういうことだったのかってこう納得してね、で、その行間を自分達の想像力で埋めていくっていう新聞っていうのはやはり時間をかけるメディアだと思うのね、私は。でもテレビっていうのはそこでパッと見て瞬間的に情報をキャッチできるメディアでそれはお互い特性が違うんだからお互い嫉妬しあったりしているんだけど、新聞とテレビっていうのは。でも、そういうテレビのすばらしさ。肉声があってそこに動く映像があって、同時進行でリアルタイムで、中継というリアルタイムで今起こっている事が世界中の隅々まで見られる、まあインターネットもそうだけれども、見られる、まあ地上波が発信しているだけれども。で、そういう素晴らしい可能性を持っているテレビを私は映像や字幕の加工のしすぎで首を締めているっていうのがとても悲しいなっていう。こんな出来事があってね、私がCNNのキャスターをやっていた時にレーガン大統領が今アルツハイマー病になっちゃっているけれど、レーガン大統領が鼻におできができてレセッタっていう海軍病院に入院して手術したの。で、まヵガンじゃないかって大騒ぎになって、時の大統領がガンで入院しているなんてとても大変なことだし。で、実際には悪性だったか良性だったか知らないんだけれど、その鼻にできた腫瘍を摘出してレセッタの海軍病院を退院します。で、私はCNNのその生中継をやっていて、生放送をやっていて、で、今レーガン大統領がレセッタ海軍病院から退院するところの映像が生中継で入ってきたの。もちろんCNNだから全部英語なんだけれdも、で、同時通訳も用意しているし、どうしましょうかっていうんで、私はそれ全部そのままやろうって決断したのね。で、すごく怖かったのはそれがだって退院する映像なんていうのは、こう病院の玄関から出てきて、で、お医者さんとか、バーっと並んでいる人に一人一人敬礼して自分のすぐそばの車まで行く、これの数分間の出来事なんだけれども、それを生中継で全部見せるっていうのは極めて退屈な映像になる可能性があるわけね。私がその生中継でそのままやろうって思ったのは、もしかしたらレーガン大統領の顔色が見えるかもしれない。それから足取りがわかるかもしれない。そこに情報ってものが隠されているわけよ。つまり良性だったか悪性だったか私達は知らされないんだけれども、レーガン大統領が出てきた時に、いつもはお化粧して顔色がすごくいいんだけれども。その日はさすがに手術の後でものすごく顔色が悪くて、で、いつもと違う分厚いカーディガンみたいなものを着ていて極めて年齢より老けて見える。で、挙句の果てにちょっとふらついたりしたのね、敬礼するときに。で、それをすーっと見ることによって私達は何も加工しないただ歩いているレーガン大統領っていうのを見ることによって、いろんな情報を自分なりにそこから引っ張り出す事ができるわけ。だから私が、あっレーガン大統領がふらつきました、とか言わなくても見ていればわかるわけでしょう。見ていればどんな顔色をしているかわかるわけだから、私はすごく思うのはそれがテレビの映像のすばらしさだと思うのね、情報を考えた結果。それがなんか今はあまりにも加工しすぎ。で、テレビは自分でテレビの首を締めているっていうか、私はそれはすごく強く思う。

 

A:ではちょっと話題を変えまして、レーガン大統領の話が出ましたけれど、世界のいろいろな要人の方にインタビューしてみて、やっぱりシラク大統領にもなさっていたはずなんですけれども、各国の要人の方で印象深かった方っていうのは、まあそれぞれ多分あるんでしょうけれども特に印象深かった方とかは?

 

安藤:シラクはね本当評判悪いのね。しらく大統領もそだし・・・、ある意味でいろいろ本当にビックだから印象深いってわけでもなくて、ビックでも印象ない人いっぱいいるから、えーそんな人いたっけていうくらい全然印象のこらない人もいて、やっぱりシラク大統領は凄く日本びいきで知られていて、で、まあ、たまたまなんか相撲の九州場所を見に来日した機会を狙ってインタビューに応じるっていうことになって、わざわざ九州まで行って、いいんですけどねシラク大統領偉いから。で、九州まで行ってお相撲が終わった後に、きわめて日本びいきだから日本的なところでやりたい。で、料亭を用意してくれと。そのクリントンでいえばホワイトハウス。シラクでいえばエリザ宮っていうのが官邸で、すごい官邸なんですけれども。エリザ宮のスタッフがずずずーっと滝のようにやって来て、すごいチェックするの、インタビューの場所を。そしたらば、大統領閣下は畳に座れないので椅子を置けって。なんか日本びいきって変だなーって。でも料亭の畳の上に椅子なんておけないでしょう。でもエリザ宮っていうのはすごい見事なところで決して譲らないのね、大統領閣下は畳には座れませんって。座り方を知らないらしいの。おかしいよね親日家なのに。で、なんか変だなーって思いながら一歩もひかないので、でその料亭の女将さんにお願いして、次はアシスタントディレクターの人たちが、みんあそういう中継の時に大活躍するんだけれども、AD君が街の中に走っていってじゅうたんを買ってきて、それからもう一人の別のAD君が車に飛び乗って近くのホテルに行ってそこからソファーを借りてきて、で、AD君がじゅうたんをしいてその上にソファーをのせて。それだけで私はなにやっているんだこのエリゼ宮っていうのは、ひどいもんだって思っていて、その上に大統領閣下は靴が脱げない。私はもう信じられない。で、結局シラク大統領はどこが親日家なんだって私はすごく思って。靴をはいたままじゅうたんの上にソファーを置いて腰掛けてインタビュー。だからいかにも巷で言われている親日家っていうことがあまりにも嘘だっていうか、まあご本人はそれでも親日家だなんて思っていると思うけれども、あまりに悲しいっていう、そういう時にVIPの人柄っていうのが普通ににじみ出るよね。例えば自分の側近たちがそういうふうに言ったとしても、そうじゃないって彼が言えばそうじゃなくなったはずなのに、例えば本当に親日家で本当に日本の文化のことをよくわかっていたら、たたみの上にじゅうたんがしいてあってその上にソファーが置かれていたらおかしいと思うよね。で、その上に靴で上がっていくっていう、どこが親日派だっていう、それはやはりおかしいと思わないシラクという人間の人格は、あっ、そこまでねっていう・・・。で、最近、某、某とても偉い方がなんかフランスに行ってらして、シラク大統領ってどうですかって聞いたら、「最低だ」って私と意見がすごくあったっていう。まぁそういう意味でだからシラク大統領っていうのは印象深いと。あの印象深い人はたくさんいて、反面なんかクリントン大統領っていうのはすごい人柄がいいっていうか、まぁいろいろ女性の問題も起こしていますが。なんかねぇ、すごくねぇ、なんていったらいいんだろうな、このあいだ沖縄にきて(2000年沖縄サミット)顔真っ赤にして汗だくになってみんなと握手していたけれど、あの・・・、遠くにいると本当に威厳があるように見えるんだけれども近くに来るとものすごくフレンドリーな人。森総理っていうのは遠くにいると、なんかちょっといいおやじなのかなって思わせるような時が一万回に一回ぐらいあるかもしれないんだけれど、近くに来るとこんなに威圧的なやつはいないっていう人なのね。だからものすごくこう上に厚くて下に薄いっていうか、ねぇ、そういうあれなんだけれど、クリントンっていうのはものすごく下に厚く上に薄いっていうのね、人の人心を掌握する一番の基本のきをもっているって感じに私は思っている。人の話をものすごくよく聞くていう。あのね、もうすごく偉いリーダーになる人とかって、世界の中で、世界をひっぱっていく人って本当に共通している、本当になんかまがいものじゃないリーダーっていうのは本当に人の心をつかむのが上手だよね。それはどういう事かっていうと決して、決して偉ぶらないし、人の話をものすごいよく聞く。そのことによって、人って自分の話にみみを傾けてくれたら心を許すよね。それはやっぱり人の話をろくに聞かないようなやつに何かやってやろうとか、何か自分の誠意を傾けようなんて普通思わないし、すごく単純な頭なんだけども、本当にこの人すばらしいリーダー達に偶然沢山お逢いさせていただいたけれども、本当にこの人すばらしいと思う人たちはよく話を聞く。で、その聞いたことに対して非常に丁寧に正面から応えてくれる。日本の政治家で一番嫌なのは人が聞いた話を絶対に答えてないのね。まったくね、完全に幼稚園の子供でもわかるっていう、これは赤ですか、白ですかって言うと、いやーそれはあって全然違う、昔あるところにみたいな話から始めるっていうね。あのー、この日本人の政治家の悪いところは、まぁ最近若い政治家が出てきて改善されつつはあるけど、もう本当に日本になかなかリーダーシップが育たないっていうのはそういうことだと思う。つまり単刀直入になる事を恐れているのね。権威のそれを脱ぐことが怖いのね。だから人の話を聞くっていうのとに対しても、そこまでそんな、なんて言ったらいいのかな、フランクになれない。そこまで自分のよろいを脱げないっていうか、臆病なのね。臆病だからリーダーが生まれないんだろうなぁ。うん、全然ごめんなさい、リーダー論になっちゃって申し訳ない。私はVIPっていうとリーダーだと思うのね、やっぱり。世の中どれだけ引っ張っていけるかっていう事だと思うんだけれども。あのー、このあいだ日産のカルロス・ゴーンっていう日産の再建の・・・お話をしていて、で、あのー、彼は非常に人の話をよく聞く。で、やっぱりこの人すごいなって、人の話を聞いた上で、彼が一番必要だと思っているのはスピード、速さ。迅速な決断をするにあたって。それから明確である事。そしてコミュニケーション。つまりこの会社はいったいどっちに向かって何をしようとしているのかっていう、行き着く場所をみんなはっきりわかっている。それをわかってもらえるまで言葉でちゃんと伝える。それから決断する時はものすごく迅速にする。スピードがあって、明確で、そしてきちんとコミュニケーションをとる。それが絶対に・・・、口でいうのはわかりにくいかな。

 

A:僕ばっかりじゃなくて誰か女性の方・・・せっかくなので。

 

人研員B(以下B):今、こうしてうちのサークルにもすごく女性がおおくて、女性の方のほうが結構強いんですよ、そいで・・・

 

安藤:フジテレビもそうよ。

 

B:あ、そうなんですか。

 

安藤:なんで日本はこんなに女性が優秀なんだって聞かれて、あ、どうして優秀とは言ってなかった。なぜこう物事がはかどりやすい、女性のほうがすごくストレートで、率直で、非常に意思伝達が速い。今のあなた達ってさ、言われているのよ、そういうふうに。男性もしっかりしてね。何でだって私聞かれたの。私が思うには女性のほうは長らくマイノリティで、サイレイントマジョリティ、あ、サイレントマジョリティというかサイレンとマイノリティだった。すごくこう沈黙で少数グループであったわけじゃない。で、あまりこう、要するになんかこう出世のラインにのるわけでもないし、っていうところで社会のある種掟破りなところで戦っているから私達にはなんか失うものがない。だから怖くない。だからストレートなんだと思う、すごく。それが男性の目からすると男の人ってものすごくうまいのね、組織の中でうまくやっていくことが。女の人は押しなべて下手、組織の中でうまくやっていくことが。で、女の人ってこう、根回しして、まず最初に係長のところに行って、部長のところに行って、最後に局長のところに行っちゃったりするっていう。男の人ってそうやられると、女の子がやってんじゃん、女はいいよなっ、ってことになって、っていう事になりがちなのね。男の人ってちゃんとやっぱりね、社会的な動物としてなんかこう育てられるでしょ。常に社会との距離と社会との自分のありかたっていうのをすごく意識しているから、絶対に係長の面子を潰してはいけないとかね、すごくそういう事をちゃんと考えて行動するの。女の人って長らくそういう事は知らないわけだし、いいのよ別にどうでも。だからキューンと行っちゃってものづごく速く進むんだけれども、男の人から見ればあいつ掟破りだっていう。でもその女性よりもパワーを発揮してるっていうのが、会社が大きくなる時に女性をうまく使えない会社はみんな駄目だっていう。それとあのー、私このあいだ道を歩いてて思ったんだけれども、私がいた車、道を歩いていたんじゃない車で走っていたんだ。で、六本木を走っていて、で、私が走っている横をおばさんがすーっとこう、横切るでもなくて斜めに歩いているのね。でも彼女にとって自分の渡ってい道路に車が来るっていう意識は全然ないわけ。右も見なければ左も見ない、自分が渡りたい所に行くだけなのね。ぐるって。それにひきかえてその横を歩いていた男の人たちはちょっとでも自分達が広がりすぎていると車は来るんじゃないかとちょっとこう後ろを気にしたりとかね。私ねなんて男女の社会性の違いを表しているんだろうって思ったわけ。まぁ男女でわけるのはよくない、女の人だってもちろんそういうふうな生まれながらにそう行動する人はたくさんいるんだけど。つねに社会の中で自分が一人でやっているんじゃないっていう事を男の人はわかっているのね。長らく組織の中で鍛えられているから。だから自分の歩いている道の中にも他者が存在するっていう事の意識はあるわけ。だからそのおばさんは自分の歩いている世界に他社は存在しない。自分だけ。これはすごいと思ったね。どうしたらこういうふうになれるのかなって。でもそれは良い意味でも悪い意味でもそういうふうな事になっているっていう事だと思うのね。だから、あのー、そういうふうなものが存在するっていうのは、男女の中で・・・、まぁ長らくそのDNAがそういうふうになってきたと思うのね。男のDNAって去勢されたのね、組織の中で、と私は思う。そのあいだね、女のDNAはね、力を蓄えていた。というふうに私は分析してそういうふうにカルロス・ゴーンに言ったら、ウォーそうかって。私はそういうふうに思っている。そういう質問だっけか。

 

B:はい。

A:他に誰か。

C:あの一回キャスターを始められて、で、もう一回学士入学をされたって聞いたんですけれど。 

 

安藤:はいはいはい、上智大学に。

 

C:それはどういうわけで?

 

安藤:それは大学に行っている時にずっとアルバイトおやっていて全然勉強をしなかったていう。それはもうずっと私の中にあって、もうひとつはすごく簡単な話で二十年前の報道って男だけの世界なの。入っていくとこういう机に足をのっけて、その辺にラーメンのどんぶりがあって、そのなかにタバコがばーっていれてあって事件になったら出て行くっていう事件記者みたいなそういう世界だったの。その中に紅一点て入ると当たり前だけどもすごく痛ましい。私なんかネーチャンって呼ばれていたから。で、大学生だし、でも必死にこの仕事をやろうってある種決意した時に彼らにくっついて一生懸命がんばった。で、そうこうしているうちに女性がやるっていう事が過大評価されるわけ。女性っていうだけで。他のおじさんもみんな同じように取材しているのに初めての報道女記者とかね。それから初めての政治部女記者とか。そういうふうなタイトルで自分が扱われるようになって同じ事しているのに女性だっていうだけで何か三段階くらい下駄はいた評価を与えられているわけ。だから女性だから困った事はありませんかってよく聞かれたのね、その、インタビューで。女性でそんな報道をやっていて困った事はないですかって聞かれて、それはいじめられましたとか言えばよかったんだけれど、でもね、それよりも女性だからってなんかすごい上げ底の評価をされた。同じことをやっているのに女性だからすごいみたいなね。で、それがすごい私の中ですごい強迫観念があった。もう一つは、あの、そこの目の前で起こっている事を自分は実況できるわけ。例えば、はい今戦車がでてきました。一人撃たれました。なんとかかんとか。で、西のなんとかかんとか、東のなんとかかんとか、東西冷戦のなんとかかんとか。そういうふうな、今思っている事を私は実況できるんだけれども、じゃあその背景にいったい何があるのかとか、じゃあそのことによってこの国はどのようになっていくのかとか、すごく私に基礎的な知識がものすごく欠落しているって痛感した時期だった。で、そうこしているうちにその、今言ったような、初めての戦場、戦地に赴く女性記者だって言われたりとかして、そういうふうにドンドン自分の評価が自分の思っている以上に高まっちゃって、みんなと同じ事をやっているのに何で自分だけ、それと同時に自分はそういった背景を説明したり、つまり、その、自分の目の前で起きていることが情報の断片なわけね。で、それとそれをつなぎ合わせて一枚の大きな全体像を描くの能力がないって事を自分ですごくわかって。で、情報と情報の断片をつなぐのりしろみたいなね、すごく大事な知識が私には欠落しているってはっきり思ったわけ。それでその時にそういう評価がすごく上がって賞とかいただくようになって、あーもうコレは駄目だ。本当の私っていうのは中身の全くない、のりしろのない、知識のない自分がここまで評価された事に足して、すごく極めて恐怖心をおぼえたの。前なんかすごいね・・・、そういう正体のない、実体のない自分がいつか暴れるだろうっていう、自分にすごい恐怖心を感じたっていうか。あとね自分の喋っている言葉に対して自分の中でなんの裏付けも自信ももてなくなってしまったという。ある意味私がテレビの仕事に対して自分自身がもううちのめされてたんだろうね。すごく不思議。だから評価された、賞ももらってすごくちやほやされたかもしれないけれども、その時に自分は裏腹にものすごく自分が打ちのめされたっていうかものすごい恐怖心があってそれでもうそんなことならば、きちっとスッパリやめてもう一回勉強しなおそうと。それで大学にいったっていう極めて向こう見ずな計画で、もう一回テレビに戻りたいとかそういう気も全然なかった気がするけど・・・、まぁあるバイトすればいいやって。で、それでやめて大学に行ったっていう。でも大正解だったと思う。私がテレビ、もうそうやってずるずる学生の時から始めて、テレビっていうものを自分の職業として冷静に考える時間がなかったわけだから、そういう部分から、私はテレビが本当に好きなんだろうかとか。報道をつづけたいのか、ジャーナリストになりたいのか、マスメディアの中で生きていきたいのかとか、いろいろな事を考えるいい機会で・・・、だった。初めて自分の職業を職業として考えた。それまでは何かやっぱりいやいやながら始めたアルバイトみたいな感じがどこかにあったし、初めて自分が仕事に対して能動的に選択するきっかけになったのがいずれ役にたった。

 

D:それで、テレビやマスメディアに戻ってきたわけじゃないですか。それはどういうきっかけで。

 

安藤:それはね、フジテレビに誘われたの。きっかけは去年急死されたテレビの報道担当の専務がいらっしゃっるんだけれども、その方がすごく熱心に・・・、上智大学の校門のところになんか黒塗りをとめて待ち伏せしてたっていうことがあって、それがもう六ヶ月ぐらいずっと、ストーカーかって思うくらい。すごくいい方でその方が本当にあの・・・、まぁ学校に行って頭も冷えただろうしもう一度テレビやってみないかって誘われたのが、それがきっかけで、でもその時にやっぱりすごく考えたのは、もう一回同じ失敗は繰り返せない。つまり自分が本当に好きかどうかっていうふうな事を見極めて、私は戻ろうと思って、まぁずいぶん考えたけれども、よく考えるとやっぱり私は・・・、ニュースをやりたい。テレビのニュースをやりたい。動く映像と肉声が伝えられるテレビのニュースをやりたい。しばらく半年くらい考えてそれで・・・。だからしばらくスーパータイムという、亡くなった逸見さんと一緒にやっていた番組はやりながら大学に行っていた。四谷の土手で私体育もやってたの。昔の単位が全然認められなくて体育のもう一回やってくれって(笑)。いえ、私はとっていますこの授業をって。そんな事もありました。それで土手のところに、学士入学した時に早見優ちゃんがいて、そのしたに西田ひかるちゃんとかいて、しょっちゅう来てたのフォーカスとかフライデーとかの写真週刊誌のカメラマンがうろうろして、四谷のグラウンドの反対側に地下鉄の駅が見えるでしょ、丸の内線の。あそこから撮るのよ。でね、私をねらっているのかしらと思って(笑)。早見優ちゃんのスポーツ姿をねらっていたという。そういうこともありましたが。でもすごいたのしくて、やっぱり戻って大正解で、うん。

A   あ、じゃあ最後なんですけれども、僕達は、二十歳前後で大学生なんですけれども、何か僕達にいただけるようなメッセージのようなものを。 

安藤  あーもうね、やりたいことを全部やるべきだと思う私。勉強とかしなくていいよ。っていうのは何かっていうと、私はね・・・よくね、メディアで例えばキャスターになりたとかっていう女性がくるわけね、まだみんな大学生なの絶対。で、本当にストーカーのように来る人もいるわけ。人を真夜中まで待っているとか、結構いるんだけれども、そういう娘に、どうしたらなれるんですかって言われた時に、私は、私をこんな真夜中までまっていないで、ボーイフレンドをつくって映画に行ったりとかね、もう今でしかできない事を十二分に楽しむことしか私にはアドバイスできないって言ったの。それはなにかっていうと無駄な事って一切ないのよ、経験しておいて。必ずその何か、ほんっとさっき私言ったでしょ、道路を運転していて見えたおとだってこうしてみんあに話すことにある種のヒントを与えてくれているわけ。だからみんなも毎日生きて暮らして見たり聞いたりする事に、あなた達の人生で無駄ってひとつもないわけね。本当に。って事には何かっていうとそれだけ見たり沢山聞いたり、人にあったりすることに、それがどれだけあなた達の栄養になるか、栄養って言ったら変だけど、エネルギーになるし、全然無駄なことはない。それだけこう考えて、私はもう勉強したって無駄にやらないと思うけど、もう充分に人生を楽しむべきだと思う。楽しいいって事は何かって別に毎日笑ってわっはっはっていえる事だけが楽しいんじゃないのね。苦しかったりすることも、人生を生きるすごい楽しさだと思うのね。だけど隅々まで生きる事よ。自分の人生の隅々まで。私はそう思う。遊んだっていいし、失恋したっていいし、誰かをストーカーのように追っかけてもかまわないと思う。だけど隅々まで手を抜かないでやってほしいと思う。