宮台真司 鶴見済

 

[鶴見]  えーと、じゃあ、、、この、、、これは、もともと俺が振られてですね、宮台さんに対談をお願いした形になってるんで、俺が進行役を務めます。が、えー、機を同じくして、これは皆さん持ってたら読んでほしいんですが、(当日配布した鶴見氏によるレジュメ。筆者注)自殺マニュアル発禁、「発禁」なんです、本当に。もう発売できません、どこからも。えー、もう、こら、もう、読んでもらうしかないです。宮台さんの状況もご説明くださーい。

[宮台]  鶴見、もう少し説明したほうがいいよ。(笑)えー、太田出版との絡みの事をもう少し。

[鶴見] あ、えーとですね、、、うー、、、太田出版とですね、版権を引き上げるだ、引き上げないだで、言ってる内に、東京都が、えー、結局、審議会で今回は見送ったものの、有害図書に指定する動きで、物事を進めるという風に発言したのが、実はゴー・サインだったということで、えー、いきなり、神奈川県では、、、、、神奈川県というと、東京、大阪に次いで、日本で3番目に大きなマーケットなんですけど、「自殺を肯定するモノは、ダメだ」と、いうような、もう、それに追い討ちをかけて、それで、雪崩式にですね、もう、宮城県とか、「自殺を誘発することを指定の口実にすればいいや」みたいな形で、現在約10県で、有害図書指定が決まってしまい、前例を言うと10年前に、遊人の「えんじぇる」というのが、有害コミック騒動で有害図書指定を喰らって、全10県で有害図書になったときに、版元の集英社は、「絶版」を決定したと。えー、全都道府県40いくつのところ、10県も、えー、売れないところがでてしまったら、こりゃもう絶版、通常は売れないわけです。文庫になろうが、改訂版を出そうが、もう、この本は消えてしまった、と。

[宮台]  うーん、あのさぁ、鶴見君はさぁ、「有害図書指定」っていうのが、事実上発禁って言うのではなくて、ね、あのー、制度的にはつまり、「成人にのみ売っても良い」、未成年、つまりこの場合18歳未満、高校生、中学生、小学生には売ってはいけないという規定なんだけれども、それが、事実上「発禁」に近い効果を持ってしまう理由をもうちょっと説明した方が、、、

[鶴見] あ、はいはい。えー、発禁処分というのはですね、実際にはやっちゃいけないんです。あのー、こりゃもう絶対ダメなんですよ。国がもう、注釈もなしに、えーと、出版を規制してはいけない。つまり、どんな本も、言論とか思想の自由っていうのは、要するに、本の形を持って現れるもんなんで、「出版を規制する」っていうのは、もう、どんな保留も付かずに認められない訳なんです。だから、えー、本来なら「性」とか「暴力」とか、そういうモノだって、国とか、規制できないハズなんですけれども、なんとか、ですね、規制したいと思ったときに、苦肉の策を取ると。そういったときに、必ず上がってくるのが、「青少年、子供がマネするじゃないか」とういう論理なんです。で、「青少年育成条例」っていうのも、もともとは、「子供に見せたら子供に害があるから」と、勝手に、行政者が、かんがえて、そこをなんとか、苦肉の策として使って、条例っつうのは、もともと県の中の法律ですから、県の中だけで、それを売れないようにしたりとか、神奈川県だと、閲覧とか贈答、読み聞かせなんかも全部禁止なんですけれども、そういうのも禁止するだけだと、我々は県の中で青少年の健全な育成を考えて、そういうことをしたまでだ、と言うんですが、結果的に書店の人というのは、購買者の年齢なんて分からないわけで、そんなことは分かりきってるんですけれど、全部返本するんっすよ。で、それが、ひとつのところがやりだすと、東京がやるのは、他の県にもやれっていってるようなもんで、それが、全国的に、こう、なんっつうかなぁ、国盗り物語のような、一個一個県を埋めていって、それで全部県が埋まったときに、「絶版確定」と。まぁ、通常、10県ぐらいでやめる、まぁ、その本の出版活動はやめる、というのが普通ですね。で、事実上の「絶版決定」という、唖然とした事態になったんですけれども、、、

[宮台]  まぁ、あのー、戦前にはねぇ、皆さんご存知のように、治安維持法と、そのエージェントである特高警察があってですね、発禁とかも、大量に指定された訳ですね。この場合には、まぁ、風紀便覧と言っても、いろいろ猥褻云々かんぬん言うよりも、特に左翼、反国家的思想ということで、取り締まられたわけですね。ところがまぁ、戦後も発禁本って無かった訳じゃなくて、「チャタレイ夫人の恋人」、チャタレイ裁判と言われることでも有名な、一連のですね、1940年代末期からの、まぁ、猥褻本、カストリと言われるような系列の、、

[鶴見]  え?それって発禁処分?

[宮台]  いや、事実上発禁処分ということになりますねぇ、、、 だから、「発禁」と言う形には、、、だから、、、

[鶴見]  「ワイセツ」ということで、、、?

[宮台]  そうです。「ワイセツ」ということで。

[鶴見]  でも、自主規制させるんですよねぇ、、、?

[宮台]  いや、そうじゃないです。それは、つまり、「猥褻図画頒布等」というですねぇ、刑法173条以下に規定された、法律違反になりますので、、、

[鶴見]  そっか、そっか、そっか、、、、

[宮台]  で、当然、出版社、版元、すべて警察に逮捕されて、基本的には全部裁判に掛けられますから、えー、発禁とまったく同じ形態になります。で、これは、いわゆる「有害図書指定」とは違って、「猥褻図画頒布等」というのは、販売者、被販売者がだれであるのかを問わないで一般的に成り立つ、そういうカテゴリーですね。で、ところが、「有害図書」といわれるモノは、もともと1950年代後半から、徐々に全国化していく「青少年保護育成条例」とか、「青少年健全育成条例」とか、あるいは「青少年愛護条例」とか、いろいろ呼び名は有るんですけど、こういったですね、地方条例の中に、18歳未満の児童、っていうんですが、これは児童福祉法の、児童の概念ですが、この児童に対して、主に暴力ですね。えー、まぁ、簡単に言えば、攻撃性、あるいは、攻撃力を強くする刺激モノ、性欲を強く刺激するモノを、売ってはいけない、という、、、

[鶴見] それって、東京にしかなかったんですよねぇ?

[宮台]  そうですね。うん。

[鶴見] 「青少年健全育成条例」っていう名の、、あっ、じゃねーや、「健全図書」「不健全図書」っていう呼び方をしていて、今でも、「不健全図書」が指定されると同時に、必ず「健全図書」も指定されていて、ちなみに前回の、俺が審議を、架空の審議をやった、えー、審査会での健全図書は、「ハッピー・バースデイ・勇気のきらめき」とかですね、これは健全だなー、と。その程度のモノだったんですよ、本来。

[宮台]  うん、あのー、要するに、90年に入る頃にですねぇ、和歌山県発で、コンビニなどで主に売られている、ね、有害コミック、これは彼らがつけた名前ですけれども、要するに、あのー、エロ漫画、さっき遊人の名を挙げてましたけれども、まぁ、森山なんか、いろいろ発禁になりました、代表的な作家たちが居ましたが、でー、これを取り締まろうという運動が、住民サイドから為されて、それを受ける形で、青少年条例の中で、有害図書を取り締まろうという、そういう条項を設けることになったわけです。で、この条項はですね、先ほども申しましたように、当初は、暴力性と性的な刺激、これを取り締まる、そういう趣旨に基づいたモノであったが為に、当然のことながら、かなり、逸脱的な、拡大適用を行わないと、自殺マニュアルのような類に適用できないわけなんですね。で、岡山県などはですね、実はこの、拡大適用で乗り切ってる訳なんですが、えー、他のですね、自治体の多くは、この自殺マニュアル、鶴見さんの本を取り締まるために、わざわざ条例改正まで行って、この自殺の誘因になる、あるいは自殺のみならず、「自傷」というカテゴリを入れているところもありますが、自殺や自傷の誘因になる可能性のの高い本については、これをまあ、ある種の「成人指定」ですね、未成年に売ってはいけないという指定を行うことができると、こういうことになってまして、だいたい97年以降ですよね、この鶴見君の、本が続々と、、、

[鶴見]  不思議なことにね。

[宮台]  えー、自治体で、まぁあのー、有害指定されて、成人にしか売ってはいけない本になったわけ、なんですよ。

[鶴見]  ちなみに、その頃の「自殺マニュアル」ってのは、もう既に在庫調整の段階で、えー、ベストセラーの波ってのがあって、それが必ずロングセラーになるわけじゃないんですけれども、自殺マニュアルは、幸運にもロングセラーの波にのっかって、えー、棚が、こう無くなれば補充する、無くなれば補充するという、こういうサイクルを繰り返しただけで、その頃に決まってるんですよね。なぜか、ぞくぞくと。

[宮台]  あのー、たぶんね、えー、例えば、有害図書指定を行う、議会の方々とかですね、議会、あるいは行政の方に少年部、または、女子少年部というのがあって、その中に、有害図書を指定するそういう部署が有るんですが、その役人さんの方々は、これが事実上の「発禁処分」のなるということを恐らく知らない方もいらっしゃる可能性があります、地方のほうですと。でー、例えばですね、いわゆる成人映画ってのがあるじゃないですか。最近には「R指定」ってのがありましてですねぇ、あの、中学生である場合ですと、15歳以上、18歳未満なら保護者同伴じゃないといけないという指定がありますよね。あるいは、それ以前から成人映画指定というのがあって、これ、ま、しかし、指定されたから僕たちの目の届かないところで行われるということじゃなくて、これだけアダルトビデオが隆盛になる以前は、どんなにちっちゃな街にもピンク映画館の一つや二つはあって、、、

[鶴見]  あー、もうないですねぇ、今。そういえばねぇ。

[宮台]  はは、ないですねぇ、、(笑)いま、上野浅草近辺のまあ汚い町にちょこちょこあったりするんですけれども、まぁ、要するに、映画の「R指定」「成人指定」っていうには、いわゆる、発禁処分と違った効果を持つわけですね。で、どうして、図書、この出版業界のみがですね、えー、有害指定、映画で言うと成人指定になりますけども、この「成人指定」によって、ま、発禁と同等の力を持つのかということは、これは版元と取次と、書店、特に最近は、チェーン化された書店が多いですよね。で、この三者の対応の中で決まることなんですが、その辺をもう少し説明していただければ。

[鶴見]  えーと、皆さんがまず聞きなれない言葉はまず「取次」ということだろうと思うんですが、実はこの、流通過程で一番重要なポイントに有るのが、この、取次さんなんです。本来なら「本の問屋さん」にすぎないんですが、えー、二つしかありません。日本の取次、「トーハン」と「ニッパン」のふたつです。それで、「トーハン」と「ニッパン」はつるんでますから、えー、そもそも、この段階で取次が、扱わないといったら扱わないんですよ。扱えない本てのは流通しない、ってまず、一番でかい規制がそれで、「自殺マニュアル」だの「人格改造」だの、ずーとこれと戦ってきたんですけれども。えーと、書店なんかでもですね、そうそう、例えば神奈川県で、「ジュンク堂」とかですね、神奈川県で伸ばしてるチェーン店で、えーとなんだったかなあ、ちょっと東京で目にしないようなのが二つほどあるんですが、そこなんかは、えー、全部返本してる、と。既に。そういうでかいところが返本しだすとですね、小さいところってのはですね、今、神奈川県がどういう状況になってるかっていうと、、小さいところで置いてるところに、警官が張り込んでいると。「売らねえだろうな」ってんで見張ってるそうなんですが、そんなことしてまで、さすがに、その小さい本屋は意固地を持ってですね、売ろうとしませんから、いずれ全部帰ってくるでしょう、と。そういうですね、えーとね、そうなってくると、例えば都道府県の中で、半分くらいダメになったとしても、取次とかが「そんな本、ウチでは扱わねぇよ」っていうことを判断する可能性がある、と。したら、もう、その時点で、「絶版」なんですよ。

[宮台]  あのー「自殺マニュアル」って、最初から「取次」扱ってましたっけ?あつかってないですよねぇ、最初はねぇ?

[鶴見] 普通、今の本の流れってのは、出版社が見込み生産で、一万部なら一万部なり刷ると、それ全部取次に渡すんです。で、取次の中のコンピュータに、配本パターンてのがインプットされてて、それを、全部、駅前のどこどこの書店に何冊、どこどこの書店に何冊というふうに送られていく、コンビニエンスストア方式、なんですね。だから、今の書店なんっつうのは何にも考えてない。取次の配本パターンにしたがって、入れる本を入れる、ただそれだけなんです。コンビニエンスストアと一緒ですから。だから、店揃えが一緒でしょ?え~、えーと、、、、なんだっけ。なんでしたっけ?

[宮台]  いや、えーと、、、最初から「自殺マニュアル」って取次が扱ってましたっけ?

[鶴見]  あ、そうそう。自殺マニュアルって、取次がそういう撒き方をしてくれなくた、例えば、いちいち全部、注文とったんっすよ。短冊ってあるでしょ?こういう、読書カードみたいなの、ついてんじゃないっすか。ああいうのに、書店の人とかが、一冊ずつ書いてFAXで送って、120万冊やったんだって!異常なんすよ。とてもじゃないけど、有り得ないっすね。前例のないこと。

[宮台]  うん。あのー、要するにですね、取次の方はですね。120万部累計、これ出されたのは何年前でしたっけ?5年前くらい?

[鶴見]  6年前っすね。

[宮台]  そうですか。だからこの間、ずーと、取次ぎのほうはですね、ハンディキャップを負わせてきてるということがあるわけですね?

[鶴見] そうです。ただですね、、、、だから、今回のこういった事でですね、取次が、もう扱わないと言ってしまったら、もう、宅配とかそういうことでしかないですよね。

[宮台]  うん。だから、、要するに、取次は今までハンディキャップを負わせてきて、ところが、販売店側が、わざわざ短冊を取って対応していてくれたので、読者のニーズが有れば、本は撒かれたって事ですよね。ところがその、販売店の側が、いまその警察が張り込んでる云々の噂をされてましたけども、これはねぇ、書店の側がですね、分からなかったと言う言い訳は通らないんですけど、どんな理由があったとしても、大半の場合は、18歳未満に売ってしまった場合には、その、育成条例違反で、青少年条例違反でですね、この販売店自体が挙げられちゃうんですよ。逮捕されるんです、簡単に言えば。なので、あのー、かなり、その、有害図書を扱うのは、えー、リスキーな振る舞いになるわけなんですね。でー、これは映画なんかの場合は、成人指定を行うのは「映倫」なんですけれども、で、映倫ってのは、映画業界の、自主規制団体ですから、その、成人映画に指定された物を18歳未満の人が観に行っても、僕なんかは14,5歳で行ってましたけれども、その、14,5歳で観に行って、で、入れたからといって、映画館の方が摘発されたりすることはないんですけれども、で、そこがですね、映画と、ちょっと違った、非常に大きなリスクが、販売店側の方に存在することになります。しかし、これだけですとね、アメリカなんか、例えば、ハワイなんかだと、21歳以下、あー、21歳未満か、の人間に酒を出すと、その店は挙げられてしまいますけども、この場合には、、、

[鶴見]  それっつうのは、どこかの州で、、、

[宮台]  州、州。お酒についてはね。これは、あのー、、

[鶴見]  全国ではない、、、でしょう?

[宮台]  全国ではない。州によって違いますね。これは身分証明証を提示させてますよね。ディスク・ティープなんかに入る段階で。だから、もちろん日本の書店も、そのー、まぁ、怪しいな、と思ったらば、身分証の提示を求めて売るというそういう選択をすれば、売り続けることは、出来るんですね。で、ところが、制度上そういうことは論理的に可能なんですが、販売店の側が、そのー、そこまでして、自殺マニュアルを売ろうと、そういう選択をするところがないわけです。まぁもちろんあるところもあるでしょうが、あんまりない。あるかも知れないけれども。そりゃまあ、販売店単独のですね、要因に帰することは出来ない。やっぱり、その、日本の、まぁ、田舎的状況ってのがあって、えー、そういう風なリスクまで掛けて、敢えて自殺マニュアルを売りつづけることになると、当然のことながら、地域住民との間に軋轢が生じますね。地域住民の方から、何とかできないのか、と、行政にクレームが行きますよね。もちろん行政は、ただちには何とか出来ないんですが、法的には。しかしですねぇ、住民からそういったクレームが来ていることをですね、書店に告げることは、十分あり得ることですし、それによって、地域住民の、ある種共同体的な、同調圧力を受けるということは十分あり得ることなんですよね。で、そのようなことがあるので、、、

[鶴見]  いや、実際あったんっすよ。和歌山で、最初に、「有害コミックから子供を守る会」かな?猥褻コミックかぁ?子供を守る会の、その、新興宗教のおばちゃんたちが発起人なんですけど、その人達っつうのは、あー、有害コミック置いてないかどうか、えー、県内中探して歩いて、有害コミック置いてあった本屋を通報してまわったそうっすよ。そら、警察が、やっぱ行くんですよね。それっつうのは、もう、露骨に戦前と同じ状態なの。

[宮台]  うん。そういう風な状況があって、結論的にいうと、東京なんかの一部の書店なんかは、えー、気合を入れて扱い続けるかもしれません。えー、日本全国規模でいうと、その、かなりの場所で、自殺マニュアルを、現行のシステムで入手することはかなり難しいことになりますね。でー、それをかいくぐろうとすれば、地方について言えば、自費出版の本を通販で配布するのと、同じ形態を取らざるを得ないと、こう思うんですけれども。この辺は、鶴見さん、どうなんですか?

[鶴見]   いや、そういうふうにしたところで、やっぱり、じゃあ、18歳未満の人に売ったら、「違法」ですから、やっぱり売れないと思います。それをビビる限り。ビビる以上は。

[宮台]   だから、通販だと、問題になるのは、相手が18歳未満か、以上であるか、をね、調べることが基本的に不可能になるわけですから、そんなの身分証をコピーしてください、なんて言っても、そんなのいくらでもできる訳ですから、いや、あのー、インチキできますから、えー、そういう間違った人間にあたってしまった場合には、やはり送り主の方が、この育成条例違反でパクられることになるんで、通販のシステムは、ですね、やはり非常に利用しにくい。ということになって、、、結局、手はないんですかね、これは。物理的に。

[鶴見]  いや。俺はもう打つ手はないと思って、何にも手は打ってません。手遅れだと思ってます。

[宮台]   っていう状況がですね、あのーいま、この、「完全自殺マニュアル」を巡る、、、

[鶴見]   まったく何の罪もないでしょ?

[宮台]   うん、、、事実上の発禁状況ってやつですね?

[鶴見]    理由が一切ないのに発禁になった、と。

[宮台]   で、まずだから、ひとつね、注意しときたいのは、戦前の発禁処分とか、猥褻図画頒布等でパクるっていうことではなくて、ってのはつまり、制度上発禁処分ではないんですけど、或る本を発禁処分に近い状態に置くことができるわけです。で、個々のですね、制度それ自体は、あのー、単独で使えば、あのー、「発禁」という効果をきさないんですけれども、日本のさっき言った、販売と取次といった形態、えー、そして行政側の対応と、組み合わさると、えー、ある種の本を発禁にできると、そういうシステムになっているということですね。

[鶴見]  そう、責任をすこしずつ請け負っていって、その全部の流通過程とか、全部の、その、、、日本全土、とかね、そういった、全体的に観て、最終的に発禁、と。言うような形を取ることになってるんですよね、恐るべきことに。

[宮台]  うん、、じゃあ、あのー「事実上発禁」とういう意味が分かっていただいたところでですね、じゃ、鶴見君?あのー、この本が「有害である」と言ったですね、えー、認識が一般化しつつありますが、鶴見さん自身はどう考えてらっしゃるんですか?

[鶴見]   え?!だって、これって、、雑誌で散々言ったから、言う言葉がない口で言ってもしょうがないんだなぁ、と思いましたよねぇ。いや、ほんと、10でも20でも言いますよ、、、

[宮台]  じゃぁ言わなきゃあ。ちょっと言ったほうがいいですよ、それは。

[鶴見]  あや、あのー「そもそも自殺は何で悪いのか?」から、始まって、「この本は自殺を誘発してる証拠があんのか?」と。えー、「何で今さらこんなことやるんだ?」

と。「すでにそういう議論は尽くされてるじゃないか。この本が自殺させたんじゃなくて、自殺する人がこの本を参考にした、と考えるべきだろう」と。そもそも「自殺」っていうのは、違法行為じゃないんですから、自殺を誘発するも、しないも、えー、っそれは、、、あー、、、、もういいや。以下、「フォーカス」参照。「フォーカス」か「創」を参照してくださぁい。

[宮台]  えーとね、じゃぁ、この観客の方々の中で、その、自殺マニュアルを、一部でもお読みになった方がいらっしゃったら、ちょっと手を挙げていただけませんか?



[鶴見]  ほぇぇ!オソロシイー!

[宮台]  このぐらいいらっしゃるんですね。じゃあ、お読みになったことのない方、手を挙げていただけますか?、、、、、だいたい2:1ですね。 

[鶴見]  どっちが多いんですか?

[宮台]  読んだことのある方のほうが多いですね。だから、これだけ売れてるわけですよね。で、僕自身、自殺マニュアルが売れてたころは、ブルセラの取材をしてましたけれども、結局買った人っていうのはですね、中学や高校の教授の方で、回し読みをしてるんですよね。回し読みをしているので、実際120万といっても、読者人口、これはもう、かなり上回る。数倍規模で多分上回る可能性がある、わけですよね。

[鶴見]  それで、今度は、あのー、初めてしったっつう、オヤジの人たちが結構買い始めて、それで、あの、一時期、オヤジ主体の八重洲ブックセンターとかで勢いづいたんですよね。ってことは、まだ市場が残されてた、全然知らない連中がいっぱい居た、ってことになるんっすよ。だから、このまま売っときゃ、ねぇ、どのくらい売れたか見当もつかないし、、、うん。

[宮台]  うん、私の、ねぇ、パートナーで「AERA」の記者やってる、ハヤミユキコの話ではね、やはり、あの自殺マニュアルの記事を「AERA」に書いたら、やはり、それについて今まで知らなかった年長の方から手紙がきて、いわゆる、その、ロリコン殺人等の指南を行う「有害図書」と、自殺マニュアルとは区別して考えるべきであろう、と。なにゆえならば、自殺については、その、いいことか、悪いことか、実際にはちゃんとした合意が存在しないし、自分はいつも自殺を考えている、ので、そのような本はむしろ、、、、だから、その、自殺ではなくて、安楽死をいつも考えている、、、安楽死の問題はまた、時間があれば、お話しますが、まぁ、あの、基本的にですね、自殺を巡る問題はですね、幼女を強姦するとか、爆弾を作るとかという話と、自殺をするという話とは、やや、カテゴリーとして違うということをですね、おわかりいただきたいな、と思うんです、ね。で、このカテゴリーの問題、もう少し踏み込むと、いわゆる日本でですね、今から3年前ですか、脳死法案が通りまして、いわゆる、臓器移植といわれる、「操作」のためにですね、ドナーと言われる方が、つまり、本人ないし、プラス家族承諾で、脳死段階でですね、臓器を取り出せることになった。つまり、一応「死」と認めることになった、いわゆる脳死問題というのがあって、それともう一つ、それとは別に、今度は、安楽死っていう問題があるわけです。安楽死っていうのは、実は、日本でも判例上は合法化されているんですね、えー、この、安楽死っていうのは4条件存在しまして、日本の場合ですよ。この95年の横浜地裁判決ってのがあるんですけど、えー、まず、「死期が迫っていること」で、モルヒネ治療にもかかわらず、これは第二の条件、「モルヒネ治療をしていること」で、3番目、「本人が痛くて、苦しくてたまらない、と申告していること」そして4番目「死を希望していること」この4つの条件が満たされれば、えー、安楽死、つまり、えー、まぁ、具体的に、多くは日本の場合は、生命維持装置をはずす、延命治療を行わない、ということを意味するんですが、、、

[鶴見]   そーすか?それ揃えばいいんすか?なんか東海大学の医者が殺人罪に、、

[宮台]   その東海大学の裁判です。殺人罪で告発されて、えー、基本的に安楽死4条件を満たしていれば、安楽死に荷担することは、自殺幇助罪ではないし、殺人でもないが、今回の、東海大の医者についていえば、これは、満たしていなかった、と。4条件を満たしていなかったので殺人罪に該当する、と。

[鶴見]  あー、そうっすか。何となく、そんな形で、安楽死も否定したいんですよね。安楽死、尊厳死とかも。何でだかしんないけど。

[宮台]   うーん、ただ、流れとしていえばですね、この場合は「4条件」がありますし、で、この4条件は、実はその、諸外国でもかあんり採用されている条件なんですが、一部の国、については、この4条件を、緩和するという方向にでていまして、テレビとかでも報道されて、皆さんご存知の、その、オーストラリア北部准州といわれているところで成立している法律が、その典型例ですね。で、これは、えーとですね、えーと、死期が迫っていれば、本人が耐えがたい痛みを訴えていなくても、えー、死期が迫っていることを専門医が証明し、更に、本人が健全な精神状態にあることを、また別の専門医に証明させれば、耐えがたい痛みが無くとも、自分の死期を自分で決めて、えー、要するに「自殺」をすることができる、と。こういう法律になっています。で、アメリカはですね、えー、キボーキアンという有名なお医者さんがですね、今まで40人近くですか、自殺を、、、

[鶴見]  あの人なんかもう、あのー、自殺幇助罪の無い州に行ってね、どんどん、安楽死どころか、自殺幇助やりまくり。

[宮台]   そうですね。彼はですね。彼を巡る、第三回目の裁判でですね、キボーキアン無罪になったんですけれども、この無罪の、その、要件を見てみると、安楽死4条件とまた違ってですね、痛みがあれば、その、耐えがたい痛みがあれば、死期が迫ってなくてもいい、っていうですね、そういう条件なんですね。肉体的苦痛があれば、で、耐えがたいと本人が訴えれば、えー、安楽死幇助、安楽死を行ってもよいということですね。で、このように、いろんな条件が緩和されつつあって、皆さんもう、お分かりのようにですね、安楽死と自殺の境界は極めて曖昧で、従来、安楽死と呼ばれているモノは、すべて昔は「自殺」であって、「自殺幇助」だったんですね。えー、したがって、安楽死っていうのは、最近できた新しいカテゴリー、つまり、合法化されたので、あるいは、合法化を求める人間がでてきたので、安楽死っていう、自殺の中に新しいサブカテゴリーができて、で、今になってみると、自殺と安楽死が違うかのように区別されているだけの話。

[鶴見]   わかりやすい例を言うと、ガンが克服されたあとに、人類が直面する不治の病って、アルツハイマーだと言われてるんですけど、アルツハイマーって宣告されたら、跡はボケまで一直線なんですよ。その人が下の世話まで、人に見られる、人間の尊厳を、えー、失う前に死にたいと切実に望んだとき、何ら反体制的でもなんでもない、普通の人間の感情だと思いますけど、その人はどうすればいいかって。レーガンなんかもアルツハイマーですよね。意識がはっきりしてるうちに死ぬ=自殺なんですよ。

[宮台]  そうですねぇ。今、尊厳死っていうカテゴリー、これは、なかなか法的には認められていないんですが、要するに、さっきも言った、脳死、安楽死、そして自殺の間に、強いて言えば、その、尊厳死ってのが入って、これは肉体的苦痛云々ではなくてね、例えば今の場合では「ボケ」っていうファクターが入りましたけれども、個人が自分のですね、尊厳、自分が自分であることの価値を、その、自分自身で失ったと思える状態であれば、それはもちろん生前に決めるわけなんですが、その場合には、あのー、自殺の可能性を認めてもいいと、カテゴリーを拡張すれば、尊厳死になってくるわけ。

[鶴見]  まぁ、植物人間になっても行きたくない、ってのも尊厳死に含まれます、、

[宮台]  そうです。含まれます。植物人間も含まれます。「植物人間」ってのもね、今は差別用語らしいです。あのー、放送では使えなくて「植物状態の人」と言わなくてはならない。(笑)

[鶴見]  ほんとですかー!?

[宮台]   そうなんですよ。こないだラジオで「植物人間」と言ったら、いきなりディレクターからダメ出しが、「ダメだよー、それはー」っていうふうに言われましたけれども。

[鶴見]  いいじゃないっすかねぇ?植物みたいな人間。すばらしい。俺もなりたいなー。(笑)花のような人間。マリーゴールド君とか、、

[宮台]   まぁ、そのねぇ。植物状態の方をねぇ、その「ベジタブル」「ベジ」とか蔑称で呼ぶ。ですからねぇ、植物人間=ベジとまぁ、蔑称だろうと考え方なんですね。そりゃまぁ、横に置いときましょうよ。で、まぁ、自殺って言うカテゴリは、そもそもそういった意味で、非常に微妙なカテゴリーなので、人を殺してはいけないとか、幼女を犯してはいけないとか違った問題があるので、そもそも今の状況では、コミニュケーションのね、対象になるべきなんですね。えー、どのような条件が、自殺と安楽死と尊厳死を分けるのか。

[鶴見]   そう来る?

[宮台]   うーん、いや、だから、このことについてはね、朝日新聞神奈川版でしたっけ、コメントではね、そのことについて僕の意見が一部採用されてるんですけれども、結局自殺を巡る情報にアクセスすることを禁じる、と。つまり、完全自殺マニュアルについては、まさに、自殺についての情報であるし、もちろんインターネットなんかにも、そういうものはあふれているんですが、そういうものにアクセスすること自体が、自殺の誘因になるという、そういう考え方が、一般化しているのであるならば、もちろん自殺についてのコミュニケーション、ですね、自殺はいいか、悪いか、とコミュニケーションすること自体も、有害だという判断の対象にならざるを得ない、そういう可能性があります。

[鶴見]  「死」全般も、、、

[宮台]  「死」全般に広げてもいいでしょうね。だからそうなってくると、むしろ、これからしばらくの間、えー、必要とされる、「死」を巡るコミュニケーションが、特に、未成年と呼ばれる若い人たちの目から遠ざけられて、その結果としてね、その、彼らの死や、自殺についての、、、

〔ここで、演者の鶴見氏がタバコをくわえる、それに対しての観客からの抗議〕


[鶴見]  あのー、もし、なにか問題があれば、裁判で決着をつけましょう!(笑)堂々、受けてたちますから、そうしましょう。気付きませんで、禁煙だそうで。

[宮台]  かれこれ、実際にあは、自殺マニュアルの、事実上の発禁扱いというのがある種のコミュニケーションの隔離に等しいわけで、これが、どういう帰結を引き起こすのか、必ずしも明らかではない、ということがあります。で、ちなみに言っておきますと、自殺本の類は、諸外国の間にも、多様に存在しております。で、自殺本についての裁判で、要するに、有害図書指定のような「処分」が認められたケースもありますが、そうでないケースもあって、実はこれについての行政的な処置の妥当性も、実は、ちゃんとした合意があるコミュニケーションわけでもありませんで、しかし、日本の場合はね、こうした場合を超えて、重大な問題があると思うんで、これはちょっと、後の話にしましょうか。

[鶴見]   でもー、ここまで、あのー、安楽死に関してだったら、もう、他の国だったら認めていこうっつう方向ですよね。日本がむしろ、逆だっつうのが面白いかな、、、全然、後進国じゃないっすか?世界的に見ても。

[宮台]   あのー、これがねぇ、だからむずかしいのは、、

[鶴見]   あ、東南アジアとか抜かして、えー、アメリカ、ヨーロッパ。

[宮台]    いや、これが難しいのはねぇ、「サイト」っていう、今出ている雑誌で、安楽死について、結構長い文章を載せさせていただいているんですが、あのー、それでも書きましたが、こういうややむずかしい問題があるんですね。でー、、、、、、、、、スミマセン、一瞬、何について喋っているか分からなくなってしまいまして、、、、

[鶴見]   じゃぁ、ここは私がつなぐとして。えーとねぇ、まずねぇ、これで皆さんに愕然としてほしいのは、世の中、全然デタラメだっていうことですね。思って理ほどね、ちゃんと出来てないです、この日本の社会ってのは。えーと、さすがに自殺マニュアル発禁になれば皆さん分かってもらえるかもしれないんですが、皆さんむかついている「日の丸君が代法制化」「盗聴法」、、、

[宮台]   あ!それで思い出した、言いたかったこと!

[鶴見]  では、どうぞどうぞ!

[宮台]   ちょっと、その「日の丸君が代」の話で後で振り返ります。それはねぇ、「権利」っていう概念に後で関係するんですよ。じつはですねぇ、あの、僕は「性の自己決定論」ッテ言う本のコーディネーターとして、「自己決定」とか「自己決定権」といわれる権利があります。で、これは、「権利」という言葉が使われている以上、これは憲法上の概念なんです。これは、国家権力に対して主張するべきもので、他人に対して主張するべきものではもともとないんですね。で、権力ってのはもともと、そういうものであるわけです。で、例えばですね、「売春を合法化しろ」っていうのも、まぁ、売春を合法化している国も先進国では大半ですけれどもね、これも、要するに、或る時点で、売春を禁止する、あるいは売春婦うを取り締まるという法律が、憲法に違反する、ということです、簡単に言えば。であるから、これを、非合法であったのを合法にしているという動きになっているとお考え下さるとわかりやすいです。で、「人権」というのは、ですね、憲法上の概念なんですね。どういうものかって言うと、もともと、日本ではですね、あんまり理解してない方が多いんですが、憲法ってのは、統治権力に対する命令です。ですから、もしですね、花子さんと太郎さんがいたとしてですね、花子さんが、ナンパしてきた太郎さんに対して、「私、オウム真理教の人とはつきあわないの」と言ったとしますね。それに対してですね、「君は思想信条の自由を侵害しているだろう、それは憲法違反だ」という振る舞いには意味がないんですね。思想信条の自由とか両性の平等云々かんぬんといった憲法上の権利はこれは、統治権力に対して要求されているものです。ですから、企業は雇用において、男女の差別を行っても憲法違反ではありません。「男女雇用機会均等法」という法律が出来て、はじめて、「違法」な振る舞いになります。つまり、観単にいえば、法律が、市民への命令で、憲法は統治権力への命令です。そして、その、統治権力は、どのような理由があっても、人権を侵害するような行動、つまり、法律を制定してはいけない、ということになります。

[鶴見]  で、おれの「人権」は?っていうね。俺の人権は露骨に侵害されてるでしょう、っていうね。

[宮台]  そうですねぇ。で、結局、都条例とか、地方条例とか法律っていうのは、もちろん、条例制定あるいは法律制定は統治権力の行為になりますから、当然これ自身は憲法違反、あるいは権利の侵害を問うことが出来る、そういう種類の振る舞いになっているわけです。ところがですねぇ、こっから先は短く進みます。あのー、僕が、以前あるテレビで売春合法化っていう話をすると、「宮台、おまえは自分の子供が売春してもいいと思うのかー!」っていうねぇ、そういうリアクションがでてくるわけですねぇ。で、これがいかにトンマであるのかっていうことが、権利概念を考えればすぐ分かるわけです。えー、例えばですねえ、簡単にいえば、自分の家族親族で、売春や買春をしている人間に対して、どのようなコミュニケーションをしようと、自由勝手です。何の矛盾もありません。で、あるいは、同じ事ですが、安楽死や自殺の自由、をですね、例えば、憲法上、法律上認めよう、という主張する人間が、自分の周囲にいる人間が、安楽死あるいは自殺試みようとしているのに対して、それを邪魔立てするとか、辞めさせようとすること自体は全く問題ではなく矛盾ではありません。でー、つまりですね、自分自身が安楽死したいと思うか、あるいは自殺したいと思うか、あるいは自殺しようとしている隣人を止めようと思うかということと、そのようなコミュニケーションを一般に禁止するのかどうか、という問題、つまり、憲法上法律上の問題とは、全く違うんだって言うことはですね、日本以外の先進国ではですね、はるかに理解されやすいですが、日本では理解されにくい。例えば、売春に嫌いな人が、「売春を禁止しろー」って言う、、、

[鶴見]  ひょっとしたら、日本の歴史の中で、一回も理解されたことがなかったんじゃないかって言う、、、

[宮台]  あっ、あ、一回も理解されたことはないです。

[鶴見]  だから、あの、要するに、そのー、このー青少年健全育成条例でやってる人たちっつうのは、親が子供にね、あのー、自分の、本を、読ませないのが、良いんだっていうことが、出来るんだから、こういう風に、制度的にやってもいいんじゃないかっていう、、、そこに大きな隔たりがあることに気づいてない。

[宮台]   そのとおりなんですよねー。だから、親が、子供に読ませなければいいし、子供に見せなければいいわけです。そのようなコミュニケーションは、どんどん、取って差しつかえないし、憲法違反でもない。思想信条の自由や、表現の自由にも全く反しない。なぜならば「私人」、市民の振る舞いだから。ところが、行政が同じような、保護育成的な、まぁ、ある種の保護育成主義とも言いますが、あるいは保護厚生主義とも言いますが、そういうタイプの振る舞いをすることが、、まぁ、あのー、多くの場合、直ちに憲法違反になる可能性があります、あるいは、憲法違反であることが、裁判で証明しにくくても、その、理念的にはですねぇ、基本的には、そのー、立憲政治の原則に大きく反しているということに成りかねないわけですね。

[鶴見]  実際そういう痛い歴史があったからこそ、ああいう「日本国憲法」を作ったわけじゃないっすか、ねぇ?

[宮台]  そうなんっすよねぇ。うん。

[鶴見]  だけど、今いちばーん、守られてない法律が、多分、日本国憲法だと思いますよ。

[宮台]  まぁー、でもー、その、憲法だけじゃなくって、その、法律を守ると言う事がねぇ、日本ではあまり、リアルではないわけですよ。で、例えば、これは昔からよく言われますけれども、ね、法律違反だからといって、例えばさっき、訴訟、、例えばですね、「禁煙だ」っていって、これを、訴訟を起こす云々かんぬんっていうには、アメリカであれば、リアルに起こし得るわけですが、日本でですね、何かって言うと訴訟を起こすようなことをすると、やはり、さっき申し上げた、地域の共同体から排斥されるっていうこと、、これが起こりかねないわけなんですね。ですから、あの、東京なんかはいざ知らず、関西なんか田舎いくと、トラブルが起こった場合には、警察じゃなくて、むしりマル暴さんていうかですね、ヤクザさんを頼るほうが、はるかに、現実的な解決になり得るということが、あるわけですね。

[鶴見]  

後進的な、「政治形態」ですね、非常に。だけど、皆さんは、さっき、僕が「じゃあ。裁判に訴えましょう。裁判で、法廷で決着をつけましょう」と言ったときに、ふと思うのは、「弁護士探さなくっちゃ」弁護士ってどこにいるの?これが分からないんですよ。弁護士法ってのがあって、弁護士ってのは、広告とかそういうのをしちゃいけないことになってる。で、じゃ、弁護士を頼むお金。裁判ってのは、やっぱり弁護士をつけなきゃ意味ないですから。で、これが法外に高い。何百万って請求されてくる。それも、弁護士法ちかで、一律料金って決まってる。それで、実際に、民事訴訟なんかだと、例えばこないだ、加勢大周って人がね、勝訴したっつう、ニュースで見ましたけど、「加勢大周」っつう名前を使う、使わないっていう、くだらない話をずーっとやってて、六年後ぐらいかな?やっと使えるようになったときは、加勢大周は、えー、もう、ぜんぜん日本の芸能界からは、干されちゃって、台湾とかに行っている、とかって、ね。だから、六年ぐらい平気でかかる。で、金なんか、結局、それで自分の手元には残らない。両方とも損しちゃう。裁判、実は、機能してないんっすよ、この国では。刑事訴訟なんか、俺実際受けましたけど、あれはちゃんとシナリオが決まってて、演劇ですから、30分もやらない。そこがね、この国の一番底が抜けてるところなんじゃないかなーって思うんですけど。

[宮台]ま、だから、法的に見たら「市民社会」じゃないっていうことなんですけれど、じゃ、ちょっとね、話変えますけれど、ね、鶴見さん、ね、この「自殺マニュアル」って言う本を書いたときには、多分、ある種の読者層の想定っていうか、あるいは読者が置かれている状況に対する想定ってのがあったと思うんですよ、ま、子供とか児童とか呼ばれている人間達に、ね?でーまぁ、そのそういう想定は今でも維持されているのか、あるいは、例えば、この行政的な措置が、いろんなところで取られるようになったときに、そういう、まぁ、いわゆる青少年とか、児童と呼ばれる人間たちが置かれるであろう、状況について、どういう風に思うのかとか、そういうことについてちょっとお話ねがえればと、思うんですが。

[鶴見]えーと、結局、この、俺が、手書きで書いたレジュメの方に行っちゃっていいんでしょうかね?何となく、こう、移行しちゃって。結局、宮台さんが反発していた、、児童売春禁止法とか、青少年健全育成条例で有害図書になって、えー、一番権利を侵害されてるのは誰かっていうと、これは、未成年なんっすよ。よく考えてみたら、、未成年者っていうのいは、これ人権認められてるんっすか?基本的人権。憲法で保証されている「国民」のなかに、「未成年者」っつうのが、はいってるのか、入ってないのか、俺いまだに分からん。

[宮台]  えーとですねぇ、多くの先進国では、18歳って言うのがだいたい、成年に達する年齢だとされてて、結婚も18歳でOK、選挙権も18歳でOK、親の扶養義務も18歳で終わり、と。要するに、18歳が区切りになるんですよね。で、買売春も18歳になったらやってもいい、と。えー、だいたいそういう感じですね。ただ、セックスをしていい年齢っていうのは、それよりも2,3年ぐらい早く設定されているというのが、日本以外の先進国の、大方の状況だと思いますねぇ。でから、その点で言うと、児童とか、青少年、「青少年」っていうのは、要するに、第二次性徴が始まって以降、だいたい成人に達するまでの年齢のことを、だいたい青少年ということになってるんですね。えー、、、、

[鶴見]  これ、18っていう数字も全くめちゃくちゃですよねぇ?

[宮台]  いや、これはちょっと、どうかなぁ?選挙権とか家族を持って良いかっていう、、、

[鶴見]  20っつうのから大人っていうことにしてみたりとかって、何で18とかっていう、これ、要するに、明治時代から18で来てたら、全部18なんじゃないかっていう、、、

[宮台] いや、そうじゃなくてねぇ、鶴見さんねぇ、日本はバラバラなんですよ。結婚していい年齢は、女性は16でしょ?だけど、淫行条例は18に設定されていたりとか、あるいはですねぇ、児童福祉法でいう、児童っていう、「保護義務」が認められている年齢っていうのは18未満なんですよね。選挙権は20ですよね。被選挙権は25だったり。バランバラン、です。

[鶴見]  でー、児童福祉法なんか見ると、「国民は児童のために、児童の健やかな育成のために尽くさなくてはならない」なんて書いてあるところを見ると、どうやら、18歳未満の人間は「国民」ではない、、、、?

[宮台] 、、、でもねぇ、鶴見さんねぇ、日本以外の国も、だいたい、あのー、こう、要するに、18歳以上が一般の、一人前の「市民」で、十分な権利を与えられるが、それ以前は、むしろ、あのー、一人前ではない、「一人前の市民」ではないので、権利が制限されるっていう考え方が、実は、当たり前だったんですよ。でー、ずーと、当たり前でした。1970年代ぐらいになるまで。で、従って、、例えば、具体的にいえば、日本と同じようにね、ま、犯罪があれば、大人だったら責任をとって、重罰を加えるようなケースでも、子供の場合には、保護更正のの対象だ、ということで、基本的には更正が行われる、と。罰を与えるのではなくて、えー、更正のための教育が行われるというのが一般的でした。あるいは、成人の場合、犯罪を犯せば顔を出すが、或いは、実名を出すが、えー、未成年の場合には顔も出さない、名前も出さないというのは、簡単にいえば、子供に人権を認めていないから、なんですね。つまり、人権に伴って生じる、義務が存在すると考えられていないので、統治権力はこれを許さないっていう、、、

[鶴見]  でも、アメリカなんかで、銃ぶっ放した子供とかの、名前とかが、全然日本で報道されてるのは、あれは、なんでだろう、、、、?

[宮台]  で、これはねぇ、70年代に、大きな変化が起こって、あのー、いろんな理由があるんですけれども、18歳以上、一律大人、で、それ未満は、権利を与えないで、保護する対象とすることに、合理性がないんじゃないかって言う疑義が、いろんな方面からでてくるわけですよ。だから、有り体に言ってしまえば、18未満であったとしても、判断能力があると考えられれば、重罰を与えて良いんじゃないか。で、その背景には、ね、もうー自分たち行政は、或いは、国としてはね、子供たちが幼少の時から、自分の振る舞いの責任をとれるような、そういうタイプの教育をしてきている、と。つまり自分のやったことは、自分で責任をとれ、というタイプの教育を、きちっとやってきている、と。つまり、簡単に言えば、自己決定支援型の教育をやっているという自信が、あるということが裏付けになって、初めてですねぇ、えー、まぁ、例えば15歳で人を殺した場合でも、終身刑やむなし、とか、えー、いうふうに変わってきたということがあるんですね。で、その点で言うと、日本は実はねじれてまして、保守論壇なんか見ると分かるでしょ? で、なぜかっていうと、子供の名前を出さない、とかって言うと、「加害者の人権をそこまで保護してよいのか!」とか言ってるんですね。これは人権概念の濫用って言うか、完全な間違いで、子供の、あのー、人権を認めず、保護更正の対象とする、つまり、つまりそういう風な行政義務を認めるが故に、あのー、名前も顔も出さないんですね。で、同じような間違いを、実は、左翼の方も行っていまして、まぁ、そのー。

[鶴見]   社会的な責任を免除してあげるというのは、その人の人権を徹底的に奪うことだということを、ミシェル・フーコーが言ってます、よね。

[宮台]  そういうことです。で、それは常識なんです、社会科学の。

[鶴見]  きちがいのひともそうですね。

[宮台]  保護更正の対象とすることは、人権を認めないのとほぼイコールだという、まず、その常識を、ね、ふまえないと、ダメなんです。

[鶴見]  欧米でもやっぱり、そういうのは宙ぶらりんで、曖昧なんですか?

[宮台]  非常に混乱がありました。いろいろ混乱があって、だんだんすっきりしてきている。

[鶴見]  いや、俺が知りたいのは、未成年には、憲法で保障されてる基本的人権が認められているのか、認められていないのか、という。どこも宙ぶらりん?

[宮台]  あのー、それはねぇ、たとえば、あのー、、、

[鶴見] はっきりと。法のもとの平等というのは、、、

[宮台]  認めていない、と言った方がいいです。事実上の運用としては、ね。人権には例外はないんですよ、もちろん。理念的には。

[鶴見]  ですよねぇ、、、

[宮台]  ええ。人権には、例えば、能力のない人間には人権を与えないといった規定は、ありません。で、しかしながら、事実上の運用では、統治権力に主張しうる権利は、えー、未成年の段階では、その、常識的に考えれば、ずっと制限され続けてきましたが、ただ、その人権概念をどんどん子供にも認めようではないかっていう、もちろん、あるいは最初は女性にも認めようではないかっていうふうにでてきて、それが次には、子供にも認めようではないかってでてきて、、、

[鶴見]  日本では、逆ですよね、 20まで18っていってたのが、20まで引き上げようかっていう話ですもんね。そこら辺のところに、やっぱ、国別の違いっつうもんが現れてんじゃないかって思うんですよ。

[宮台]  あの、じゃあ、ちょっと話ずれますけどね、じゃあ、何故、日本で、その、例えば、子供扱いする年齢を、ね、そのー、責任とれる年齢を、一方で下げろっていってる連中が居ますよねぇ?15歳で重罰化止む無しって言ってるのがいっぱい居ると思えば、例えば、あのー、売買春を巡るコミュニケーションを見てれば分かりますけれども、あの、欧米などに比べればね、あのー、非常に、例えば18歳なら18歳まで、え、完全に子供扱いするのが当たり前だっていう感受性が、ずーと、むしろ、どんどん強くなってきてますよね。

[鶴見]  議論を整理しないで、議論してるから日本の論壇なんかの人たちはごっちゃごちゃになっちゃって、身も何もない議論になっちゃってるようにみえますが、、

[宮台]  うん、そうなんですねぇ。でー、僕がね、鶴見さんに聞きたいと思うことは、ね?あのー例えば、援助交際の問題視とか、自殺マニュアルを読むという振る舞いの問題視って言うのは、大人の側のどういう、まぁ、ある種の比喩的に言えば、どういうタイプのヒステリー症状なんだと思います? それは、何を怖がっているんでしょうねぇ?

[鶴見]   、、、、、、、えー、、、、、理解できないから、なんでしょうねぇ。

[宮台]   そうでしょうねぇ。つまり、「不透明さ」を怖がってるわけですよねぇ。

[鶴見]  今までと違う。そして、理解できない。と。

[宮台]   つまり、不透明さを怖がるってことは、昔は透明だった、もっと分かりやすく言えば、子供は大人の言うことを聞く存在だし、大人は子供のことがよく分かることができたし、分かるし、まぁ、手のひらの上で遊ばせることくらい、自由自在に出来る。

[鶴見]  で、子供がどの程度逸脱するのかも、何となく理解できた、と。だけど、この逸脱のしようはちょっと理解できない、と。

[宮台]  だから、結局、子供を大人扱いにしようということは、今まで、少なくとも建前の上で、自分が優位で、自分がコントロールしている対象、つまり、青少年ですよねぇ、、で、つまり、えー、これが、自己決定するようになれば、いろんな振る舞いが予想不可能であったり、コントロール不可能であることが、当然の前提としてでてきますから、そうすると、実は大人のコミュニケーションの日本的構造、と言うか、日本的というと語弊があるんですが、ま、例えば、日本の教育が前提としてきた、大人と子供の力関係って変わっちゃうでしょうね、多分ね。

[鶴見]   そうなんですよねぇ。えーと、子供が自分で決めさせろって言い出しちゃったのが怖いっつうのも有るかもしれませんよね。

[宮台]   それが大きいでしょうね。だからあのー、結局ですねぇ、あのー、、

[鶴見]   だから、人権は本来認めってなかったっつうことになるんでしょうかねぇ、、

[宮台]   うん、、鶴見君ねぇ、89年の「子どもの権利条約」批准っていうね、今から10年くらい前に、「子どもの権利条約」批准って、あの国連総会の「子どもの権利条約」の制定ってのがあって、ね、これは各国で批准されてきたわけです、順番に。 で、日本は批准がもっとも遅かったんですけれども、まあ、その延長線上に1996年の、ストックホルム会議っていう、児童虐待をはじめとして、つまり、「子どもの権利条約」の精神に基づいた、法運用が、各国でなされているか、検証する会議が、96年のストックホルム会議なんですが、ここで日本がものすごい攻撃されたんです、ね。つまり、なぜかっていうと、日本の男性が、東南アジアで幼女を売春してるからなんですね。で、このことが槍玉に挙がったことが、実は、日本の国会で話題になって、それがきっかけで、「児童ポルノ・児童売春禁止法」案ってのを創ろうではないかという話になったって、ご存知のように、これはいつの間にか、「援助交際禁止法」案に性格を変えて、幼女を買うのが問題とされてたのに、17歳の少女を、ですねぇ、セックスしちゃいかんとか、買春をしちゃいかんとかいうですねぇ、話に変わっちゃったいう経緯があるんです。まぁ、それは後で、時間が有ればお話するということにして、ねぇ、、、

[鶴見]  いや、時間がなくても、ここでどーんと説明しちゃっても良いんじゃないですか?

[宮台]  あ、そうですか?いや、でもねぇ、言いたいことははっきりしてるんですよ。つまり,子供にもにも人権があるんだっていう考え方は、実は,西洋でもあまり一般的じゃなかったんです。ところが、10年くらい前、子供にも権利を認めようではないか、つまり、子供にも人権が有るんだっていうことを、当たり前の常識にしようではないかっていう動きが、ようやく10年前に国連で合意されたんです。そのぐらい、歴史は新しいんですね。でー、実は、その、89年でしたけれども、その前に、ね、実はその。性のリベレーションっていうのが、その、法律上起こって、1970年代に、多くの国で、売買春が合法化されたんですね。実はそうした動きの延長線上にあると考えてよいです。つまり女性だけではなくて、その、いわゆる、エスニシティという意味でのマイノリティ、そして今度は、年齢が低い、という意味での、ぺニフェラルな、つまり、周辺的な存在にも権利を認めていこうではないかっていう風な、ですね、20世紀のですねぇ、大きな流れの中に入ったっていうか、沿った、動きだっていうことを、ね、まず伝えておいていいと思うんです。でー、それはですねえ、どういうことかって言うと、実はあのー、日本だけではなくて多くの国で、昔の「田舎」、或いは,昔のですねぇ、古い段階の単純な社会ではなくなって、あのー、子供達、或いは、様々な大人たちも含めて、自分で、ですねぇ、それぞれの「幸せ観」、えー、良きことや悪しきことのそれぞれのイメージがあるのは当たり前だし、それぞれの人間には全く別々の、ね、チャンネルがあって、で、別々のネットワークを生きている、そういう存在だっていうことがわかって来たんですね。これを、僕は、まあ、「成熟社会化」っていってるんですね。でー、昔はですね、そうじゃなかったわけです。えー、社会学では、「単一帰属」と言いますけれど、多くの人間は、例えば、えー、鶴見さんであれば、鶴見家というですねぇ、或いは、どこに住んでたのか分かりませんけど、そういったですね、地域共同体に、こう、べったり張り付いた存在だっていうふうに考えられてきたし、実は、旧枢軸国の多くでは、実は、そう考えてました。あるいは連合国と言われてた国でも、枢軸国ほどではないにしても、やはり、社会に存在する、諸集団の種類や数が少なかったってこともあって、だいたい、誰がどこで何をしてるかっていう、動機付けが、ね、透明だったっていうことがあります。で、だから、こういう透明性が前提にあって、あのー、いろんなですね、例えば、子供に人権はない、とか、えー、女性に人権はないとか、或いは、えー、ある種のエスニシティを持った人間に人権はないといったような、発想を持ってやり続けてきたわけなんですが、、もう、それが出来なくなったので、それぞれの場所で、それぞれの利害に基づいて、それぞれの文脈に基づいて、自分のことを決めてもらうのが、よく、そして、その、自分のことを決めるだけの力を養うように、養えるように、行政がコンディションを整えるのが良いんだ、っていう考え方に、変わってきてるわけです。で、もちろん、性の問題だけではなく、死の問題もそうだし、クスリの問題もそうだし、いろんな問題も、えー、そうした流れの中で変わってきている、ということです。で、そういう動きが、なかなか、そのー、日本の伝統と、乖離するものであるために、えー、これは非常に特殊な条件であるんですが、非常に不安感を抱く人たちが多いと思うんですね。

[鶴見]  イギリスの若いやつなんつうのは、ほとんど18ぐらいで親元はなれちゃうんじゃないっすか?アメリカなんかでも、ね、このー、親元はなれない方が異常って感じですよねぇ?

[宮台]  だからねぇ、これは、すっごい古い伝統ってのがありましてね、、、

[鶴見]  やっぱり、その辺の感覚として、ガキに人権っつうか、自己決定権をある程度加味、加味っつうか、認めてる社会と、認めてない日本社会っつうのは、結構別れるんじゃないのかなぁ。

[宮台]  別れます。これは、統計といっても何なんですが、あの、子供の年齢が上がればあがるほど自由にするっていうふうに答えるっていう、社会調査、社会学者がやった国際調査がありますが、これは面白いんですねぇ。日本以外のG7の国は全て、「子供が成長すればするほど自由にする」っていうふうに答えてるんですが、日本だけが違うんです。で、子供は、幼いときは甘えさせる、自由にする、年をとればとるほど、年齢が上がれば上がるほど厳しくするって答えたのは日本だけ、なんですね。これはさあ、例えば皆さん、小学校のときは、制服もないし校則もないのに、中学校になるといきなり軍隊調の詰襟とかですね。つまり、年長者になればなるほど、年齢が上がれば上がるほど厳しくするっていうのは、日本特有のやり方です。で、イギリスのもパブリックスクールとか厳しいのがありますが、これはエリート教育校で、これは小学校から鞭でシバくくらい厳しいですから、あのー日本の中学高校が厳しいってのと、わけが違うんですねぇ。っていうふうに、実はそのー、欧米的な考え方では、子供はむしろ家畜に近いので、犬をしつけるようにしつけなくてはならず、でー、自立すれば、つまり、大人になれば、自分でリスクを犯して「狩り」に出かけるんですね。だから、自由にするって伝統があるんですが、日本の場合そうじゃなくて、年長になればなるほど、農村共同体に「所属」させて、みんなと力を合わせて、犯罪なんかに対処すべき責務を負うというような、だからむしろ、年長者になればなるほど共同体に強く所属させるという、実は、文化的な伝統があります。だから、この日本の伝統が、20世紀の先進国の流れの中で、ちょっと、このー、異様な「ねじれ」を起こしちゃってるていうことが、ありますよね。

[鶴見]  そこにこの問題が、グサッと絡んでるんじゃないかていうことが、俺の今回言いたかったこと。

[宮台]  だから、こういうね、先進国的な社会っていうか「成熟社会化」って呼んでますけれども、ね、そういうことになると、何処の国でもね、共通に起こってくる問題があるんですよ。それはねぇ、ひとつ、共通の問題は、あのー、例えば、以前はですねぇ、その、成熟社会に達する前は、重化学工業中心の時代で、ね、で、「アメリカに追いつけ追い越せ」で、日本の場合は。どの国でも、ものの豊かさがとても大事で、で、そのためには国民打って一丸となってがんばろう、みたいな、スローガンです。で、これは20世紀の、少なくとも、前半多くの国を支配していた原理原則です。先進国の、ね。で、ところが、それが、先進国の全ての状況が変わって、その、ものの豊かさが一定程度達成されて以降、何が幸いなのか、何が良きことなのか、は、人間それぞれに「分化」するということです。で、これは、全ての国で、例外なく起こらざるを得ない状況なんですね。で、それと同時に、みんなが承認する、意味の輝き、みたいなものも消えていくっていうことも、起こります。だから、当然のことながら、あのー、昔存在しなかった、そのー、軍隊と、ね、監獄を舞台にした、まぁ、鶴見くんも書いてるような、えー、学校教育ってのは、昔は輝きがあったから、苦役にも我慢したんですが、輝きがなくなれば、苦役は我慢されなくなります。当然のことながら、学級崩壊に類似した現象が、1970年代から、多くの先進国の中で生じはじめ、えー、それに従って、教育改革も行ってきたんですが、日本だけが遅れた、と。こういう、どの国でも起こっているような国際的な条件てのがあるわけです。

[鶴見]  だけど、日本は、ちょっとそういうことに対応しきれないほどに構造的なもろさがあったんですかねぇ?

[宮台]  そう。それが二番目の問題でね、日本特有の条件っていうのが、さっきの共同体的な、伝統というべき物です。では、皆さん、ひとつ分かりやすい例を挙げましょうか。日本は、これは政治学者の常識ですが、投票率が高い地域ほど、民度が低いんですね。例えば、これは僕の知ってる範囲でいうと、この間の地方議会選挙、例えば、この辺、東京23区だと、だいたい投票率5割台ですが、青梅市や五日市市まで行くと、投票率が7割台、8割近く行ったりするんですね。で、投票所によってはねぇ、数100世帯ありながら、投票率100%ってところもあります。で、それを見て、皆さんは五日市市民は、青梅市民は、民主主義に燃えとるなあ、と思いますか?そういうことはあり得ないわけですね。皆さん、自治会長さんが監視しているから、或いは、ゼネコン関係の動員があるから、投票にいくわけです。ですから、一般に平時における日本の投票率は、高ければ高いほど、その民度は低いと、断定しても構わない、っていう状況があります。えー、これがですねぇ、日本の状況なんですよ。いいですかぁ?民主制というのは、各人が、共同体から自立した、そのー、自己決定する個人としてですね、自分が投票する政治家の議会内行動を検証し、質問などを検証し、そして投票するということがあるべきですが、そうしたことが日本で存在しない。或いは、とても稀であるということがあります。これが、日本は共同体的だということなんです。ところがですね、そういう中でも、例えばその、自殺マニュアルも含めた、いろんな本、マスメディア、テレビ、ビデオ、要するに、最近で言えばインターネット、匿名メディア、こうしたものがどんどんどん広がって、で、当然の事ながら、若い世代であればあるほど、昔と違ってね、昔ながらの田舎があるように見えても、その、彼らの、感受性や想像力はですねぇ、田舎の、地域の範囲を超えて、それこそ世界大に、その、地平は広がっていきつつあるわけですね。でー、これ自身。僕なんかの立場でいえばですねぇ、その、共同体的な意思決定システムを変える、とても良いチャンスだと思うわけなんですが、しかしながらですねぇ、日本の、その行政権力、偉ければ偉い人であるほど、或るいはですねぇ、議会さん、議会の議員さんもそうですけど、基本的には、共同体で以って、自分の権力を維持してるわけです。で、彼らにとっては、共同体が消えてしまうこと、人々が、共同体によって動機付けられなくなることは、自分たちが、権力の基盤、或いは、リソースを失うことを意味しているわけですね。ですから、当然のことながら、人々の、このような多様なチャンネル、マルチメディア化、マルチチャンネル化など、そうしたものに対して、非常に大きな不安を持っているわけでして、で、そのことがですねぇ、今国会、こないだの通常国会における、「盗聴法」とか「改正住民基本台帳法」の制定に関する、動機付けの背景に存在するし、或いはもう一度ですねぇ、若い世代を含めて、国家に帰属させ直すというですねぇ、まあ、そういうタイプの「日の丸・君が代法」案に結びついているんですね。

鶴見   これは、老人の悪あがき、だっつう説もありますけどね。

宮台 まさにそうです。老人の悪あがきと言って良いです。しかしですねぇ、日本の場合では、ほかの先進国と比べて,老人に権力が集中していて、老人に権力が集中している理由は、先ほど申し上げましたような、その、共同体的な権力構造なんですね。ですから、老人であればあるほど、この共同体的なもの、そのようなものを脅かすような、鶴見さんの本、或いは様々なインターネット、携帯情報ツールを通じた、コミュニケーションネットワークの広がり、或いは、それを通じた感受性や想像力の広がりをなんとしてでも押しとどめ、共同体の範囲に収め、年長者が識別可能、コントロール可能、或いは、その、見通すことができるような、そういうような性質のものに押しとどめておきたいという、そういう強い願望がですねぇ、諸外国にまして、この日本に存在してる、ということです。

鶴見  あのー、覚せい剤,麻薬取締法の中心人物の、だいたい、あのー、原発なんかを推進してた人たちも、えーとね、今,その、有害コミック規制とかで暗躍してる、その、なんか、そういう中心人物の人が居るんですけど、みんな80歳とか。「これを最後の仕事にして」みたいな感じで、強引になんかやろうとしてる動きがあるんす、よね。僕の知ってる関係では、、、

宮台   うん、、だからまぁ、、、この、鶴見君の本に対する規制は97年から起こっていて、丁度、それに先立つこと、1年くらい前から、規制条例の運動ってのが起こっていて、で、東京でも買春規制条例の制定を求める運動ってのが起こり、でー、まあ、その延長線上にですねぇ、児童ポルノ・児童買春禁止法を制定しようっていう動きが起こり、そして、今国会での先ほど申し上げたような一連の法律、云々かんぬんっていうのはですねぇ、、、ふっふっふっふ、、、だいじょうぶ?(笑)

(鶴見氏、向精神薬らしきモノを吸い始める)

鶴見  ああ、どうぞ、どうぞ。これは禁止じゃないですよね?だったらいいんじゃないっすかぁ?

宮台   ふっふっふっふ、、、、、(会場爆笑)

鶴見    タバコ吸ってないっすよぉ?

鶴見    よーし!これから元気でてくるからね!

(会場から野次。司会、慌てて制止、「質疑応答」に入ろうとする)

鶴見   ちょっ、ちょっと待ってくださいよ。ちょっと待ってよ。じゃあ。ちょっと、俺のしゃべってる時間が異様に短かったんで、じゃぁ、私の言いたいことを言わしてください。えーとねぇ、要するに何がいいたかったかっていうと、そもそも、人権宣言ってフランスとかでやったときに、彼らは、「人間平等だ」とか言って、その後、第二次世界大戦が始まった後とかに、黒人を自分とこに連れてくる、と。そういった時に、まだ、黒人の人権なんかに彼らは気付かないんっすよねえ。同じ人間であるはずが、肌の色が黒いってだけで認めない、とか。意外に、人権を認める、認めないなんてのはその程度のもろいモノであって、えー、そうやって、例えば女性が、まず参政権を得たりとか、例えば、マルコムXがですね、えー、キング牧師とか、彼らによって、アメリカの黒人が市民権を得たりとかですね、そういう風な歴史があったわけです。だから、あのー、決して、人権を認めてる社会といえども、人権を認めてない層ってのが必ず、今まで居たはずなんですけれども、我々が見逃してたのは、目の前にいる、、、つーか、えー、これ、俺、最近気がついて、うっかり忘れてたと思って。子供ってのは、参政権認められていない。彼らは基本的人権とか、自由・人権・平等ってのを、建前としてる社会の中で、それらを一切除外されている、ということに気が付いてしまってですね、えーと、で、本来であれば、自殺マニュアルとか、そういった、何の違法性もないような本は、取り締まれないにも関わらず、えーと、そこに、例外点を見出すことによって、例えば、ほんとは売春だって自由なはずなんですけれども、えーと、子供のためだっていう理由で、排除するっていう態度に出た、ってのが、今回の、宮台さんのやってた、児童ポルノ・児童売春禁止法であり、俺が、迷惑を被った、青少年保護育成条例の有害図書指定であったりする、と。で、未成年者っつうのは、えー、この中に未成年の方っていうのはどのくらいいらっしゃるんでしょうか?いや、二十歳以下。、、、、、、、この人達ってのは、参政権、選挙する権利、ないっすよねぇ?つーことは、えー、この人達を代表する人達ってのが、世の中に存在しないわけなんで、どう声を挙げようと思ったとしても、声を挙げることが出来ない、と。声を代弁してくれる人がいない。俺が、子供の時に一番感じたのが多分それだと思うんですけど。えー、こんなのはね、子供がほんとに声を発生させることができれば、子供たちの意見を聞きゃいいわけですから、ほんとに、それが「青少年の健全な育成」につながるか、つながらないかは。そんなの子供が、えー、つうか、未成年ですがね、「そんなもん、そんなわけねーだろ!馬鹿いってんじゃねえ~よ」って言えば済むことなのに、そのことが実は全てシャットアウトされてる、という、気持ち悪いことが、実はこの社会にあって。で、そうなてくると、彼らは、この社会で、もっとも「抑圧されてる階層」になってるはずだ、と。そりゃもう、ストレス溜まるでしょう。鬱屈します。で、えー、最近騒がれてる社会問題の多く、えー、中学生の自殺であり、暴力であり、それに、教育問題とか、そこに依拠してる規制問題ってのは、実は、ここんとこちゃんとしとかねーと、解明できない問題であるような気がするし、ここんとこをちゃんとすれば、意外と簡単に、スルッとなっちゃうんじゃねーか、と。要するに、子供の声を聞け、と。子供にしゃべらせろ、と。例えば、中学生以上になったら参政権を、こんなもん先進国でも実現されてませんけど、参政権、選挙権を与えれば、こんなデタラメな社会になってないでしょう、と。いうような気がするんすよね。

宮台    鶴見君はさあ、公聴会に子供を呼べっていうことは主張しないの?

鶴見    そうそうそう!勝手に、子供のためによい悪いっていうのを、子供の意見を聞かない人間が決めてるっつうのは、どう考えてもおかしいでしょ?

宮台  うん。海外の先進国はね、公聴会に子供を呼ぶってのは当たり前のように起こってるわけ。うん。ありますよ。当たり前。中学生、高校生が呼ばれるってのは日常茶飯事です。子供の問題については。ところがですね、こないだの参議院のですねぇ、青少年のための特別委員会ってところに出ていった時に、たまたま、乙武君と一緒だったんですね。で、彼が、えーと、何歳だったっけかなぁ、彼が最年少記録を更新したんだそうです。当時、19歳か20歳前ぐらいかな?でも、それでも前例がなかったもんだから、青少年特別委員会でも、大英断だった。つまり、選挙権のない人間を呼ぶと言うこと,或いは、被選挙権のない人間を呼ぶと言うこと自体が、この日本の政治状態の中では、アブノーマル、非日常なことだと考えられちゃう。

鶴見  それに、こう、我々方の代表だと言って出る人だって、子供を守る公約なんてしたってしょうがないですから、子供を守る公約なんかしないいですよね?政治家は。票田じゃないですから、子供は。そんなことをしたって当選しないですから。子供っつうのは、未成年っつうのは、ものすげー虐げられてるっつうか、人権、えー、市民権を与えられていない。奴隷階級みたいなもんなんだっていうふうに、未成年の方、思っていいんじゃないかって思うんですよ。で、実際に、皆さんが、未成年だったときに、自分たちの声を社会に反映させたいと思ったときに、どう考えたって無理でしょ?無理すぎちゃって、もう反映させたいとすら思わないでしょ?ほんとはね、自殺マニュアルが発禁になっちゃって一番困るのは、未成年の人たちなんっすよ。俺たちなんかは、あの、その規制のホンの一部のトバッチリ喰ってるだけで、一番損してるのは、未成年者。だから、みんな、大人、、、大人っつうのも何だから、「成人」と呼びますが、成人が自分らの利権を獲得しようとするときに、子供のため、子供のためっつってね、子供を矢面に立たせてね、日教組は「子供のため」、文部省は「子供のため」って言って、子供の盾の後ろでね、みんなバンバンバンて言ってね、銃を撃ち合ってる。で、その流れ弾に当たってるのはみんな子供。未成年。彼らは口封じられてるわけですから、そういう風な残酷なことが、行われてるってことを、皆さん分かってくださいっていう感じで。で、俺や宮台さんが、ある程度、彼らの代弁者だとすると、その声にならない声たちのパワーっていうか、うめき声、俺なんかねぇ、あのー、その声にならない声たちになんで人気あんのか分からないんだよね。大人の人たちから全く評価されてない、、、、もんのすごい後ろのほうから「代弁しろ!代弁しろ!」ってね、、、

 


質疑応答



[質問]   政治システムを変革のため、参政年齢を下げ、また、多角化されたメディアなどによって影響された青少年たちの力によることで、それは可能だ、ということの根拠は?

[宮台]   根拠はねぇ、いくつか有りますねぇ。まず、その、僕はテレクラのフィールドワーカーでもあったんですが、その、テレクラの分布密度ってのは、都会ではなくて、田舎であればあるほど、濃密なんですね。で、簡単に言えば、これは、あの、理解の仕方は、他にもいろんな材料があるんですが、ただ一つしかなくて、で、基本的に言えばですね、昔ながらの、田舎の存在が続いているように見えながら、しかし、若い人たちの感受性や創造力は、田舎を超えちゃって、広がっているわけですね。ですから、そういう人間達が、えー、人によっていろんな思い方は違いますが、最近になればなるほど、そのような匿名メディアを使って、その、共同体的な同調によっては共感できない、エクスパンドできない感受性や、想像力が展開されるということです。で、更に言うならば、もう一つの新しい良い材料はですねぇ、今般の、盗聴法や台帳法のプロセスでeメールの検閲可能性が現実的になったとたんにですねぇ、インターネットではですねぇ、ものすごい、反盗聴法的なムードが盛り上がりました。今、日本でのインターネット普及率は11%です。スェーデン、北欧諸国では40%越えてます。アメリカ33%です。僕はですねぇ、もし、日本で、インターネット普及率が30%超えるぐらいに展開しているならば、今般の、盗聴法や台帳法を巡る運動の蜂起数は、まったく違ったと断言していいと思います。後、もう一つ、この、インターネットが普及した国々での、投票行動の動機付けは、多くの場合インターネットによって与えられています。インターネット上には、数多くのNPOが存在して、自分たちの投票した政治化が、議会内でどのような議決行動を行ったのか、どのような質問行動を行ったのか、あるいは、どのような質問趣意書を公表したのか、ということを、すべてネット上でフィードバックして、それを元に、つまり、そのようなフィードバックが投票行動に大きな影響を与えています。えー、日本はですねぇ、縁故つながりですとか、面倒みてもらったとか、恩義があるとか、えー、羽田の3代目だとか、名前が有るだとか、全くくだらない、民度の低い動機付けで、つまり、共同体的な動機付けでですねぇ、投票行動が行われるわけです。が、昔は、実は日本以外の先進国でも、多かれ少なかれそういうことはあったわけです。ところが、都市化によって、日本以外の諸国は、共同体的ではない動機付けに移行したんですけれど、日本ではなかなかそういうふうに、すんなり行かない。であればあるほどですねぇ、このインターネットのようなシステム、共同体に依存しないコミュニケーションのネットワークが存在して、そこで、コミュニケーションのチャンスや、動機付けが得られるようになるということは、日本の、こういった、政治的な風土、もっと具体的に言えば、政治的な動機形成のシステムに、大きな変化があるだろう、と、予想するわけです。

[質問]  鶴見氏が言いかけて終わったことの続きを。

[鶴見]   どうもありがとうございます。(笑)えーと、そう。何で俺とか宮台さんが、浮上してしまうのか、っつうのは、単純に言えば、これ、子供の代弁者だからでしょ?っていうことなんですよ。それだけ、こどもっつうのは、未成年っつうのは、声を封じられている、っていうことを皆さん分かっていてほしい。そして、もし、子供の声を封じなければ、何となく、この社会が、問題にしていることは、概ね、解消できるだろう、とそんな感じがしています。それでですねぇ、うーん、ひとつ、良いエピソードがあって、ある小学生が、「どうして、教室で子供ばかりが怒られるんですか?」っていうふうに、先生に聞いたら、先生は、グッと詰まって答えられなかった、、、これに答えること。どうして、子供が先生をしかったり怒ったり出来ないのか?これ、山崎浩一さんの「早熟なカリキュラム」という本に載ってるんですけれども、山崎さんも、これは答えられない、と言ってるんですよ。

[宮台]  答えるのは簡単ですよ、それは。だから、怒る怒られるってのは役割だから、一般に存在するわけなんですけれども、釣り合いをとるためにね、、日本以外の先進国では、担任制をとる学校へ行くかどうか選ぶことができるし、担任、つまり、ユニットのチューターってのを、子供たちが選べるわけなんです。どのチューターのユニットに入るかってのを、子供たちが選べるってのは、いまや常識ですから、あのー、そういう意味で言うとですねぇ、怒るという役割を担っている大人を選ぶ権利を子供に与えることが出来れば、力を子供に与えることが出来れば、当然のことながら、「子供を怒る大人」を子供が動機付けることができるので、怒ることとは違いますが、簡単に、、、

[鶴見]   いや、「怒る」じゃないとダメなんですよ。やっぱり変じゃないですか。生徒が、小学校の児童が、教師を怒る。

[宮台]   だって、怒るってのは、ひとつの行政目的があるんだもん。

[鶴見]   だから、そこんところに、近代市民社会が曖昧にし続けてきた焦点ってのが、そこにある。だから、本来、両者、大人と子供ってのが対等になってるのかなってないのか、、、、

[宮台]   いや、なってないです。なってないから義務教育があるわけですよ。

[鶴見]   一応、ね。「最高法規」において。 

[宮台]   なってないです。

[鶴見]   じゃあ、最高法規において、なってないっていう結論ですか?宮台さん的には。

[宮台]   そうですねぇ。だから何度もいうように、理念としては、、、、

[鶴見]    「法の下の平等」に子供は入ってない?

[宮台]    入ってないです。

[鶴見]    ということはですよ?あそこで保証されている、人権も、自由も、平等も、身の安全の保証も、全部、言論の自由も?

[宮台]  先ほど申し上げたように、女性や、ブラックの人たちが勝ち取っていったように、その権利概念の自明性を拡張せよ、と闘い取っていくしかないんですよ。

[鶴見]  そう!そうなんです。それを言いたかった。だから、あのー、俺はマルコムXになりましょう!みなさん。未成年のために、ね。キング牧師にはなりたくないけどね。(笑)あのー、そういう状況に居るんですよ。みんな。だから、黒人よりひどいよ。黒人なんかさ、あのー、一応、しゃべれるんだから。代表者がでて、「俺たちに人権をよこせ」とか「俺たちの身の安全を保障しろ」とか「俺たちに福祉をよこせ」とかいえるのに、みんな声までふさがれてるんだから。えー、黒人よりひでぇと思って、、、

[宮台]  でもねぇ、それはねぇ、闘い取るしかないんですよ。つまり、皆さんね、小さいときからね、政治的公民としての力を上昇させる教育ってのをやってないでしょ?で、どうしてやらないかっていうと、選挙権をなぜ下げないかっていうと、それは、わかい連中であればあるほど、日本のばあいは共同体に属してませんから。年長になればなるほど共同体に所属しますから。で、年齢を下げて、皆さんが意思を自由自在に表明するようになって、政治的な影響力を行使するようになると、日本のですねぇ、パワー・ストラクチャーが変わっちゃうんですよ。で、ですから、これを抑止しようとする。つまり、年齢の低い皆さん方を、政治的民度の低い、要するに政治的に「バカ」な状態においておこうというですねぇ、こういう利害が明らかに存在するということです。

[鶴見]   もっといえば、最後にね、あのー、未成年の人たちに言いたいんですが、あなた達はですね、散々な仕打ちを受けている、と。もういいように使われて、権利も奪われて、口も封じられて、「子供のためだ」なんていわれて、自分らの読みたい本も取り上げられて、ね、自分たちのやりたいことも、やらせてもらえない。文句もいえないでしょ?で、文句を言おうとする制度すらない。もう、こうなったら、自分たちの生存の権利を手にするためなら、あらゆる手段を使いなさい、と俺は言いたいですね。暴力を使っても「可」です。以上。

[質問]   レジュメにもあるが、近代社会のシステムが崩壊した後に、社会を保つものとして、「補助サーモスタット」という言葉が使われているが、これは何なのか?

[鶴見]   今日はここまでいかなかったっすねぇ。ロフト・プラスワンででもやりますか、ねんて、、、私なりにここのところを説明すると、日本の状態ってのはもう、無法状態だと思うんすよ。で、まぁ、司法が機能してないってのが最悪だと思うんですけど、全ての過程でチェック・アンド・バランスが働かない、と。これはシステム社会論的に見たら、えー、例えば、俺の本とか、宮台さんの本とか、マイナスのフィードバック機能ってのを社会的に果たしたいたはずなんです。えー、行き過ぎだっていう。「おいおい行き過ぎだ」っていう、フィードバック機能が働いていたはずなのに、それを妨げる、と。それを、強引に、法律なんかを無視して排除してしまうっていう、この社会っつうのは、ま、ある程度、自己組織能力を失ってしまった社会である、と。まぁ、サイバー・ネィスティック的に見ると、サーモスタットが壊れたエアコンがつけっぱなしになってる部屋とか、そういう、「制御不能」な状態になってる。と、見ることも出来るが、それにしてもまだ壊れない、と。何故なのかっつうのを今日は話そうかなぁ、と。ここまで言ったらもう良いですよね?ということを話してたんっすよね。

[宮台]   僕なりに答えるとねぇ、あのー、日本のサーモスタット的機能を果たしたのは、共同体縛り、なんですよ。共同体的な拘束、なんですね。で、結論先に言います。日本はそれがメインでした。

ところが、共同体的な縛りがあまり頼れなくなってしまった、その、キリスト教的文化の下で花開いた近代市民社会といわれるところのフィードバック機能は、それとは別のメカニズムを使うようになったんですね。で、それは、いろんなものがあるんですけれども、あのー、それはつまり、動機付けのシステムです。それは「教育」であり、もう一つは、「ストレンジャーズ」ですね。「異者との出会い」、つまり、自分と全く違う人たちと共生する、つまり、コンビビアリティ、共に生きるという条件を満足させるという、そういうことが、いろんな場面で法律の制定に人を動機づける、ということがあるわけなんです。うん、ひとつ、分かりやすい例を言うと、日本には都市計画というものがありません。今まで都市計画といったものがあった試しもないいんですが、しかし、それでもですねぇ、江戸、あるいは京都といった、伝統的な町には「街並み」というものがあったんです。で、それは、何故かというと、いわゆるそれは、コモンセンス、共通感覚、共同体的な共通感覚があったので、人に任せておいても、勝手に任せておいても、同じような振る舞いをしたんです。それはつまり「同調圧力」というものなんです。ところが、共同体が細分化してくると、そういう、自制的な動機付けが期待できなくなります。人々は、勝手気ままに家を、建物を建てるようになります。すると、街並みは、当然のことながら、壊れていきます。で、そこでは、新たに「計画」という概念が必要なんですが、計画をするためには、今度はパブリックの利害、公の利害という動機付けが必要なんですね。

で、この「公」というのを担保するのが、実は、その欧米の文化における、ストレンジャーズ、異者との共生、つまり自分と同じ共同体に属さない人たちを侵害しあわないで、共生していくという概念なんです。ところが、日本では、こういう「パブリック」というf概念が存在せず、まぁ小林よしのりさんなんかが典型ですが、パブリックって言うとですね、何か大きな家のように考えてですねぇ、大きな共同体をパブリックと呼ぶ、と。えー、一君万民、国がパブリックだ、と。えー、馬鹿な評論家はですねぇ、パブリックが国に重なるとは限らない、とかですねぇ、全くとんまな比較もんてきな、批判を小林さんに対して投げかけていますが、そりゃ学問的に全く意味がありません。範囲はどうでもいいんですが、パブリックの概念が、19世紀には、欧米では、共同体という概念から、異者、ストレンジャーズとの共生のための条件、つまり、ルールや想像力という概念に置き換わった、ということが重要なんですね。このことを踏まえないと、20世紀の社会科学は、全く意味が無くなった、無かったことになってしまいます。

[鶴見]  で、この国が、「法治国家」でないということが、薄々ばれて来ているにもかかわらず、何がこの国を暴走させないでいるのかっつうのは、なんかストッパーが働いている、補助的なストッパーが働いている。

[宮台]   あのねぇ、旧枢軸国はみんな暴走したわけですよ。それはねぇ、結局コモンセンスっていうものに頼れなくなったときには、非常に危険なことが起こりかねないんですね。つまり、ファシズムの理論っていうのは伝統的にそうなの。ファシズム分析っていうのが社会科学の伝統にあるんですけどもね。こりゃ、昔、人々は田舎の共同体に所属していたんですよ。ところが、枢軸国っていうのは、急に近代化したでしょ。急速に。で、急に都市労働者が増えたんですよ。で、みんな孤独で寂しくてたまらないわけ。この寂しい都市労働者達を大きな家に「所属」させる。それが、要するに、崇高な共同体としての国家なんですよ。そうした、田舎の共同体に代わって、輝かしいアーリアの共同体や、第3帝国や民族や、そいう概念が持ち込まれるわけです。実は、この、崇高な共同体としての国ってのは、伝統とはなんの関係も無い。極めて人為的なものです。で、全く人為的なものであるが故に、、これが多くの場合、動機付けを暴走させることになります。これは実例が、既にあるわけです。つまり、我々のように、共同体に頼る以外に、ネガティブ・フィードバックというかですね、サーモスタット原理を知らない国は、例えばアメリカという「重責」がありましたよね?アメリカという重責があったお陰で、日本は天皇制に復帰することも、軍事大国化することも、絶対に不可能だったんですけれども、このアメリカの重責がだんだんだん緩くなってくると、、で、もちろんアメリカの目が黒いうちは天皇制の復活なんてことは絶対にありえないんですけれども、しかし、アメリカの許す縛りの範囲内ではですねぇ、暴走はしないまでも、極めて異様な事態の起こる可能性は有ります。で、とりわけ、共同体はですねぇ、危機に瀕すると、共同体を守るために何をするか分からないという具体原則があるんですね。

[鶴見]  だからナチスドイツのときに、あの人たちは何を考えたかっつうと、共産主義を選ぶくらいなら、民族主義を選ぶ、と。ユダヤ排斥運動。えー、ヒットラー。あれは共産主義に奪われないように、共産主義が政権とるくらいならナチスが政権取った方がいいだろうっつうんで、がたがたの社会を、ナチスにゆだねた。だけど、いま、この日本の世のなかで、法律さえ、民族なんか日本人実感できませんし、国家なんつうもんも、みんな考えてない。で、法律さえ、無法状態といえる。じゃあ、何が支えてんのかっていうと、ここんなって出てきたのが、さっきの、共感、共生しようっていう。我々の、ヒトという生き物の、ナマの実感、これ以外に最後のストッパーはねーんじゃねーかという、そこでギリギリ耐えてるという感じがですねぇ、えー、そういう風な感じがしますねぇ。これだけじゃないと思うんですけれど。えっとねぇ、システムと生活世界ってのは分離されたえたっていう、支配する側とされる側ではかつては分離されてたと思うんですけど、まぁ、ハーバマスとかね。システムと生活世界を分けたりして。まぁ、ね。今の社会だと、システムと生活世界が、たとえば、同じ人間が担当してんすよ。朝7時に起きてシステムにいって、夜中に帰ってきて生活世界に戻って、土日はいいおじいさんとか。で、大蔵官僚に、月・火・金曜は、なってる、とかね。おんなじ人間がやってる以上、、、

宮台    鶴見君、ね。鶴見君はずっとそういう風に言ってきたんだけども、鶴見君の意見に共感する若い人たちも、出てきているわけじゃないですか。だから、難しくなってるんですよ。例えばね、人々がそうやって、ね、共同体的な縛りから、そこから、自由になっていくわけです。特に若い世代からね。で、そうすると、年長世代は、これを社会の崩壊だというわけ。で、僕や鶴見君は一旦そういった、共同体的なお約束から自由になって、自分の足で立ってもらわないと、新しいルールも共通の原則も。成り立たないだろうって言うんですよ。で、僕たちが新しいステージだと、或いは必要不可欠なツールだと思うものが、或る別の視点から見ると、それが崩壊現象のように見える。それは「見える」だけじゃなくて。パワー・ストラクチャラル、つまり利害のですねぇ、違いがあるわけですよね。で、そういうものと結びついて、今非常に深刻なコンフィリクトが起こりつつある、という状況ですよね。

鶴見    分かりやすく言うとですねぇ、歴史的にちょっと対抗してる位のもんだと思ってもらって良いんじゃないかな。近代社会が始まった最初、あ、「神の見えざる手」、とかね、夜警国家観ってのがあって、それだけじゃうまく行かないんで、福祉国家っつうのが出てきた。20世紀入ってからですけど。その福祉国家が肥大しすぎちゃって、みんな、面倒みすぎちゃった。だから、もうちょっと自己決定増やして、面倒見る側の力をもうちょっと減らそうと、そういうことをしてるんじゃないかなぁ、と思ってるんですけど。その程度で済めば良いんですけどねぇ。



〔時間的な都合により、ここで終了〕



〔花束贈呈。雰囲気になじまず会場爆笑〕



鶴見・宮台   どうもありがとうございました。