宮崎緑

 

84 7.5 pm3:00-4:30 NHK 13F 喫茶室にて

Q夕刊フジのインタビュー記事について

宮崎 基本的にね、新聞のインタビューっていうのはあんまりなくて、そういう学芸部とか文芸部っていうのは時々ありますけど。ああいう夕刊フジみたいな形って言うのは夕刊フジそのものが初めての試みなんですって。ああいうインタビュー記事を連載して載せるっていうのはね。だからそういうのでいけば、お互いに珍しいんじゃないかと思いますけどね。で、いろんなところに所々は出てるんですけれども、インタビューをお受けする時間がないんですよ。

平木 ほんとにお忙しい中、どうもありがとうございます。

宮 いえいえ、あの広報部がね、全部管理をしてくれて、それでそういう調整をして、いろんなスケジュールの中で自分が取材して、リポートしなければなりませんでしょ。だからそれをおろそかにしないようにその範囲でってことで受けてるんですよね、で、今日はね、内緒なんです。誰にも言ってないです。

平 ありがとうございます。

宮 いいえ。

平 今日はどこかにリポートに行かれたわけですか?

宮 いえ、出ませんでした。リポートには。

平 そうですか。では、今日は、どういう番組が・・・、構成といいますか・・・。

宮 ニュースですか?そんな大事件って言うのはないんだけどね。国会の動きとかね、健康保険法の改正案が今焦点になってるでしょ。それがどうなるかとかね。あとアメリカの民主党の副大統領候補がね、黒人か女性か、とか今話題になってるでしょ。

平 そうですね。今女性票だけ集めてもあんまりそれほど高くないっていうか。

宮 そうなのよね。そういうのとかね。そうするとね、街頭インタビューとかするとね、もしそのモンデールさんに何かあったときに、女性か黒人かで副大統領が昇格して大統領になるときに、そうでしょ、あの国は、そのときに、女性か黒人の大統領が生まれることになるけどどうするか、なんて不安の声が街の中で出たりしてなかなか難しいな、と思ったりね。そういう話をしたりね、あとはね、話題風には素粒子ね。素粒子っていう言い方難しいんだけど、クオークが発見された話とか、その他・・・。

平 ああ、そうですか。それじゃ、ここで自己紹介を。今日は女性部員も来てますし・・・。

 ジュースが来る ―

平 それじゃ、自己紹介をしてもらいます。 平木、仙波、多田、石坂、吉岡、西村、市原、石崎、和田、本田、早川、南場、村山、増田、伊藤

宮 あんまりあれね、一年とか三年とかわからないわね。自己紹介してもらって、ああ、そうなのか、って感じ、けっこうね。

多田 一年生に見えますか?

宮 あなたは新入生っておっしゃったわよね。大丈夫、見えます()

伊藤 かなり年がめちゃくちゃですからね。

宮 そうですね。

伊藤 まあ、こんなかっこうしてるし。

宮 でも、最近はね、わりと慶応と早稲田の間では差がなくなったっていうかね、カラーが薄くなってきたとかね。そういうの聞くのよね。で、社会の中でも出身校を聞くとね、早稲田出身ですっていう人がすごい慶応っぽかったり、慶応出身ですっていう人がすごい早稲田っぽかったりね。どこにそのらしさっていうものの基準を持つかでぜんぜん違うんですけれども、私なんかね、やっぱりスマートかどうかっていうので見たりなんかしてるんですけどね。

多 スマートです。

宮 うん、スマートですね()

平 でも、うちのサークルはですね、けっこう個性的な人間が早稲田の中でも・・・、

宮 特に?

平 えー、個性的な人間が多いと私は自負しているんですが、まだ極めて早稲田の面影を残しているんではないかという・・・。

宮 ああ、そうかもしれませんね。

平 えー、思っております。

伊 これだけ、ずうずうしくやれるっていうのも・・・。

宮 でも、ほら、ちゃんとスーツにネクタイとかいうのもね、もっと違うかと思いましたらちゃんとほら、ネクタイ締めてらっしゃるでしょ。だからやっぱり偉いなとか思ったりして。

石坂 仙波さんは?

宮 そういう感じの方ばっかりかと思っていたんですよ。

仙 今ね、社会復帰が大変なんですよ。51日間ずっと歩きっぱなしで・・・。

宮 ああ、そうですか。

仙 NHKはね、鹿児島ニュースに流れたんですね。東京には流れなかったですけど。

宮 全国版にはならなかったみたいですね。

仙 鹿児島からあっちのほう・・・。

宮 どこから?北から南にいらしたの?

仙 鹿児島から北海道へ。

宮 あ、逆にね、へー。

平 日本縦断で、51日間で・・・。

石 植村さんを抜いたということで・・・。

宮 ふーん。

平 まあ本日は、いろいろと質問といいますか、ざっくばらんにお話ししたいなと思っているんですけれども。

宮 みんな、召し上がったら。せっかく。

平 はい、そうですね。

一同 はい、いただきます。

 

平 まあ、国際政治学を学ばれているということで、あと、ニュースキャスターとしていろいろとお忙しいと思うんですが、学校に行きながらニュースキャスターというのは大変じゃないんですか。実際問題として。

宮 もし違うことが専門だったとしたら、まったく違う二つのことを同時にっていうか、並列した感じになるんですけど、そうじゃなくて、あの・・・。

平 実践の場として、本の中で書かれていましたね。

宮 そうですね。同じことを違う角度で眺めるって言うことを毎日していますから、だから大変だって言うのは、物理的にね、時間がないとか、締め切りが近づいているのに論文書けてないから徹夜でやらなきゃ、とかね。そういう大変さはありますけど、学問的な部分と毎日の報道って言う仕事の部分との摩擦みたいな大変さはないです。

平 ああ、そうですか。

宮 たまにありますけどね。

伊 宮崎さんちゅうのは声が細いんですね。テレビで観るとビンビンに聞こえてきますけどね。

宮 そうですか。本当はか弱くてね。静かって言う感じなんですよ。そういう風に見えますでしょ、やっぱり。

伊 そんなに生の声って聞こえないですね。

宮 聞こえないでしょ。だから、いかに科学技術が発達したかっていう・・・。だからね、時々原稿めくる音とか入ったりするでしょ、バサバサって。

伊 原稿暗記しているようで、実は・・・(判読不能)に出てるっていう・・・。

宮 うん、それもあるわねー。

 

平 まあ、みんなすごい問題意識持って本日やってきたわけなんですけれど、じゃあ、ざっくばらんに。

本多 じゃあ宮崎さんに、卒業論文は”バーニングパワーと核”ということで。

宮 あれはね、修論です。修士論文。

本 ああ、修士論文ですか。

宮 卒論はね、あのー、もうちょっと違うものなんですがね。

本 ああ、そうですか。で、あのー、まだそれは見ていないんですけれども、”バーニングパワー”というのは、あの、どういうことですか?

平 核の抑止力ですよね。

宮 バーニングパワーっていうのはね、交渉力のことね。外交をするときに、交渉力として、例えばチャイナカードとかね。そういうふうなの使うでしょ。そういう交渉力のことを言うんです。だから、どこに交渉力があるっていうような、ただ単に大国であることが交渉力になっていたりね。あるいは豊富な資源を持つということが交渉力になっていたり。非同盟みたいにいろんな国々をね、強力な意見を終結できるという点が唯一の交渉力であったりとかね。いろんな交渉力があるわけね。そのひとつとして核の潜在能力っていうのを私は選んだんですけどね。修論の題として。

本 あのーよく均衡と訳していますよね。”パワーポリティクス”とか。そういうものはあのー、そういうものが大事だと思うんですが。

宮 バランス・オブ・パワーはね、大事ですよ。やっぱり。勢力均衡というのはいつの世も大切だと思うし。人間もそうです。一人の人間が何か一面だけに偏るんじゃなくて、こうバランスの取れた生活とか、個性もそうですしね。そういうものが必要だと思うんです。それと同じようなことが国際政治の中にもあるんですよね。で、一昔前のバランス・オブ・パワーっていうのは例えば19世紀のね、イギリスみたいに、ある力を持っているほんのいくつかの国々の中でどこかひとつが勝ってね、どこかが急に落ち込むようなことがないように、たとえば協定を結んだり、同盟を結んだりしてうまくバランスをとっていたのがバランス・オブ・パワーの元なんですよ。こう、19世紀的な。で、それは、バランサーの役割をイギリスが果たしたからできたんですけれど、今日のバランス・オブ・パワーっていうのはそういう形の古典的なのはもう絶対成り立たない。米、ソという2超大国がありますから。あの、2極構造の上にしか成り立たないんですよ。だからむしろ、総合的な勢力均衡というかね、軍事力なら軍事力、経済力なら経済力とかそういう一色でバランス・オブ・パワーを考えるんじゃなくて、何かなければ代わりにこれがありますっていうね、あの、キッシンジャーの言うリンケージね。ああいう感じのことでバランス・オブ・パワーが成り立つようになってきたということです。

本 で、その”核”っていうのはですね、あの、バーニングパワーとしての力がやっぱりあるわけですか。そういう風に思われるわけですか。

宮 ええ、あるから分析しようと思ったんですけどね。ただね、まだこの研究はとても恥ずかしくてね、修士論文にはなってるんですけど、もう、読んでいただくなんてできないという感じでね。図書館にあるんですよ。でも、図書館から自分で借りてそのまま返さないっていうパターンがありますでしょ。あれをやろうかとか思ってるぐらいなんですけどね。なかなか図書館にも行けないから、もう、恥ずかしい限りなんですよ。

本 僕はですね、まったくの私見なんですけれども、やっぱり核が抑止力になってはまずいんじゃないかと思うんですけれども。それはやっぱり国際政治上仕方がないこととして、やっぱり認めざるを得ないところがあるかもしれませんけど、それをやっぱり認めてしまいますといろいろあると思うんですけど、それはやっぱりどうとらえているんですか?

宮 でもやっぱりね、すごく現実主義的にしなければならないと思うのね。ていうのは、例えば、なんか小さな部屋に、密室の中にね、二人人がいたとするでしょ。で、その二人がピストルを向け合ってる。まさに撃ち合わんとして向かい合ってる状態だとして、そこに第三者が入ってきて、あるいは、二人の間の協定でこれから、12、の3でいっせいにピストルを捨てましょうって言ったとするでしょ。そうすると、多分捨てないと思うんですよ。そういう状態っていうのわかります?そういうのを・・・(不明)のジレンマっていうんですけどね。そういうジレンマ状態っていうのがあるんですけれども、で、それは国際間でも同じね、で、最初からピストルを持っていなければあの1、2、3で捨てましょうって言って捨てられる状況っていうのは生まれてくると思うんですけれども、もう持っているわけですよね。既成事実として。いくら、じゃあこれを使うのをやめましょうとか言っても、そういう風にはならないし、それからむしろ現実問題として核に対する査察の能力っていうのがね、偵察衛星とか、そういうものっていうのが・・・、

本 今、そういうのが・・・(不明)に拡がっていますよね。

宮 そうね、ええ。

本 で、そういう風になっているときにですね、日本がその宇宙を、そのなんて言いますかね、米・ソが入らないで日本がリードしていくとそういうような形を僕は・・・(不明)。そういうのは、まったく非現実的でしょうかね。

宮 そうではないし、願望と現実は違いますけどね。願望を持つということは一つとても大事なことですね。ただユートピア論では政治は進んでいかないっていうのは確かで・・・。

本 で、今の革新団体っていうのは、まったく、あの、革新団体ってありますよね。そういうのは、机上の空論に走っている・・・。

宮 ナンセンスとはいいませんけどね。もう少し現状を見たほうがいいと思います。これは私の立場からすると公共的な場で言えないことなんですけど、このクラブの中にとどめていただきたいことなんですけど、そうなんですね。

本 そうすると、憲法との係わり合いとかいろいろあるんですけど、日本は時々技術とか・・・(不明)しますよね。で、どういう風にしていきますとね、日本と、どんどんどんどん、あのー、なんていいますか、アメリカに利用されているような、利用されると、ほら、均衡とかまた、ちょっと違うんでは。

宮 うん、あのー、一応私の専門って言うのがね、研究っていうのは、潜在能力がどんな意味を持ってしまうかっていうのをやっているんですよね。で、潜在能力っていうのはどういうことかっていうと、原子力発電とかね、ごくごく平和なことにね、平和利用で技術開発で進んでいこうという道がね、同時に核っていうものの特殊性から、軍事的な潜在力を「高めて」しまうわけです。原子力発電所が一個あるってことは、あの、例えば、それから、ロケットの技術ね、日本では衛星を打ち上げたりしていますけどね、あの技術っていうのはICBMがどのくらい正確に命中する能力を持っているかっていうことを計るには恰好の技術なんですね。で、どういう平和利用と、いわゆる純粋な科学っていうものとね、それから、あのー軍事的側面とか政治的側面っていうのがもう密接に結びついちゃってるんですよね。特に最近の多様化の時代ではね、相互依存がいろんな分野で深まっていますからね。だからそういう能力っていうのはもちろんいろんなところで関与してるし、だからそれがただ単に意思はなくとも潜在力を持ってるということだけが国際政治の中で安全保障上どのような意味を持つかということを研究しようと私は思っているんですけどね。で、核とは離れますけれどもその技術っていうことだけ言うとね、これ有名ですけれども、アメリカの先端技術がソ連東欧圏にリークされるというね、それをハイテクトラフィックってアメリカでは言っているんですけどね、ハイテクノロジーの流れね。で、それがものすごく敏感になっているのアメリカは。それでアメリカの高度技術っていうのはね、やっぱりソ連よりは上なんですよ。ところがアメリカの技術が東欧圏にもれることによってそちらのほうがそれを使って追い越していくっていう状況が出てくるわけでしょ。あの、ボールベアリングっていうのがありまして、あのー、ベアリングね。ボールを削る技術とかね、その摩擦をどうする技術とかね、なかなか大変なんですってね。それがね、アメリカは当時世界一だったわけなんだけど、その技術をソ連に民需用として輸出したんですよ。自転車で使うようなのは民需用だし出てもかまわないんじゃないかっていう判断でのことなんだけれども、それがね、ICBMとかのね、命中精度を高めるためのミサイルジャイロっていうの、あれに大変な貢献をしてしまって、その工場とかテクニックを駆使した直後にソ連はICBMの命中精度がね、飛躍的によくなったの。そういうことがあって。それからアフガニスタンに侵攻したでしょ。ソ連が。あのときに使ったトラックっていうのはそれよりも先にアメリカが、あの、カマ工場って言うのがあって、ソ連のカマっていうところにある工場なんですけれど、そこで技術提携と、たぶん提携だと思うんですがね。それから資本を投下したのね。それで作った工場で生産される自動車、それはあのートラクターとか農業用の車とか、いろいろあるでしょ。そういうのを作るはずだったのね。表向きは。ソ連もそういっていたのよ。で、ふたを開けてみたらそこで作ったトラックが軍用トラックになってアフガニスタン侵攻などで使われていたわけ。そうすると陰の立役者はアメリカになるわけでしょ。技術的には。で、それをいみじくも言ったのが、レーニン。もうすでにあの時代にね、レーニンは西側世界っていうのは一生懸命資本主義で物を売っているわけでしょ。それをやっぱりわれわれも買おうではないか、っていう風に提唱したのね。で、その周りの共産主義の人たちがそういうのではいけないんではないか、そういうことで足を引っ張られてはいけないんではないか、というようなことをレーニンに言ったときに、彼がなんて言ったかというと、「いいとも。われわれは彼らの作ったロープを買ってそのロープで彼らの首を絞めてやろうではないか。」って言ったわけね。そのころはまだロープだったわけだけど、軍事技術とか、その他の高度技術のところでね、問題になっているわけですよ。で、これはね、もう一朝一夕で解決できる問題ではないですね。で、民需用だし、資本主義経済にとっては市場の拡大っていうのは死活問題ですからね。だから売れればいいわけですよね。自動車だって輸出できればしたほうがいいし。で、今までの市場が手狭になって他の国との経済摩擦が起こればね、当然今まで侵されていなかった市場を求めて出て行くでしょ。そうすると当然東欧圏とかはいってくるわけですよ。それで輸出したものが今度は逆に裏目に出て使われるとかね。そういうことっていうのが、で、それがね、ヨーロッパ、西側陣営内の足並みの乱れにも影響してるんですよね。今、ヨーロッパの国って言うのは冷戦のときみたいに一枚岩になってアメリカの言うことに何でもしたがっていくっていう感じじゃないでしょ。それぞれの国の国益があって事情があって、で、それなりにやってますでしょ、ヨーロッパ各国ね。日本もそうですけど。で、それっていうのもアメリカが自分のところで勝手にね。でも困るんですっていえないんですよ。2,3年前のシベリアパイプラインの問題でもね、ソ連のパイプライン建設に両側の技術と資本をいれるということで。まずイギリスがやるって言い出して、続いてフランスがやるって言い出してアメリカに逆らったわけだけれども、アメリカとしては入れさせたくないんですよね。2つ理由があって、ソ連に技術がもれたりして貢献してしまうっていうこと、もう1つ実はパイプラインで結ばれれば当然ソ連とヨーロッパ諸国のつながりは強くなるでしょ。そのパイプラインのために今まで下せた政策的な決定っていうのができないかもしれないっていうこの二つがあったんですね。東西関係で。ところが各国は経済的に破綻して、当時西ドイツなんてのは失業率が最高になっていて、もうどうしようかというところだったから、どうしても輸出はしたいわけ。いろんなね。経済的にできるんだったら市場にしたいと思っているわけですよ。そういうところで根本的な戦略はね、東西関係っていうのはわかっていても、小手先で、表面的には、経済的には関係を作っておきたいとかね。そういうことになるとだんだんなし崩し的に足並みが乱れてくる。そういうのがあるから、だから、ユートピアはわかるわね。もっとこうしたらいいんじゃないかとかね、世界から戦争がなくなったらいいとかね、みんなが同じ言葉を使って同じご飯を食べて、同じ服を着てね。人類が一家みたいに手をつないで地球上を取り巻くっていうのはいいに決まってるんですけど、現実問題としてできないことだし、できるようなことではないんですね、人間という動物そのものが。だからなるべく現実をよく見て分析して現実に即した考え方をしていかないと・・・。なんか長くなっちゃって。

平 じゃあ、一問一答形式でどんどん。よろしいですか、それで。

宮 おまかせします。

平 まあ、その、ニュースキャスターとしての仕事っていうのは、今までずっと勉強なさってきたことを実際の情報と結びつける恰好の場になっていると思うんですけど、そのニュースキャスターとしての宮崎さんにいろいろと聞いてみたいことがあるんですけれども増田どうだ?

増 僕からですか?

平 誰からでもいいよ。

宮 遠慮しないでどうぞ。

平 手短に、的確にね。

増 あの、新入生歓迎会っていうのが早稲田でありましたときに、椎名誠さんが言っていたんですけれども、NHKで、シルクロードとかありますよね。ああいうのでレポート形式でやるわけなんですけれど、ああいうのでNHKはいろいろ取材しますよね。幻の湖とか。でも当時の様子って言うのは今あるわけないんですけれども、それがいかにもあるように作ってキャラバン隊が移動しているって言うのをNHKが金で雇ってやってて。それで幻の湖がどんな名前か忘れましたけどその横に人民公社が建ってるっていうんですね、現実は。でもそれをNHKとかああいう放送局っていうのはいかにもその幻想的な固定観念のような感じで報道しているって言うんですよね。で、実際宮崎さんがレポーターとして東南アジアへ行ったりしていろんな特集を組むことがありますよね。ああいうときに宮崎さんが自分の目で見て感じたことっていうのはニュースなどで実際放送されたものとギャップを感じることってありますか?

宮 まずね、うそは放送しません。これはもう当然のことなんですけれども、よくあるでしょ、他の局で宇宙人が出てきたりね、そのようなうそはしません。でね、一昔前のドキュメントっていうのは、NHKではそういうことありませんでしたけれど、例えばうんと暑い日にね、この暑さのために、牛がね、川の中にピラニアがいるってわかっているのにそれでも涼しさを求めて入っていきます。なんていう場面を作るとするでしょ。そのときに、牛はわかっているから入りたがらないわけですよ。ところが撮影するために牛の鼻にピアノ線をつけて無理矢理引っ張って撮る、なんてこともあったわけですよ。これはね、ただ、ひと昔前の、ひと昔なんてもんじゃないわね、五昔くらい前の映画とか、そういう類のものであって、NHKでは絶対そういうことはしません。ドラマとかは別で、ドキュメントについてはしませんけれども。ただね、私が今までレポートした特集とかで放送したものを考えると、ある一定の心情とか視点とか、ニュースでも切り口っていうのがあるでしょ。そういうものを貫いて取材をすると、私が見たものを見たようにお伝えするっていう部分は出てきますね。そうすると同じ現実でも他の方が見たらそう感じないかもしれない。そういう人はありますよね。で、今求められているのは、まあ個性の時代ですし、私が見て私がこう感じました。皆さんご覧になったらどうお感じになりますかっていう部分は必要だと思うんですよね。

増 はい、そう思います。

宮 だから、同じ光景を見てかわいそうだと思うひともいれば、ざまあみろと思う人もいるかもしれないし、ちっともかわいそうじゃないって思う人もいるかもしれない。ただ自分がそのうちのどれを感じたかをお伝えすることができればね、当然情報ってのはそこに限られるわけですよ。ネパールに行ったときにね、日本では見かけないけど情報局っていうのがあるんです。CIAみたいなものね。その情報局のお役人っていうのは必ず立ち会うんですよ。テレビクルーに。こう映してもらっては困る、というところは発展途上国にはたくさんありますでしょ。例えば虐待とか。そういうところこそ欲しいんですけどね。現実問題としては。夕日が沈むきれいな港の画を撮りたいと言っても、港は軍事機密だから映しちゃいけないとか、そういう規制がたくさんあるんですよね。で、お役人がついてきて映せない。そうするとむしろ本当はもっと映したいところがあるのにそういう制約で映せないっていう場合はあります。で、それがあなたの言ってるようなね、ところになるかどうかは取材で決まるんです。けれどもそういう場面は確かにありますよね。

増 じゃあ、あの、宮崎さんが実際東南アジアにいったことがありましたね。NC9でずっと観てましたけれどもあそこで報道されている内容っていうのは宮崎さんが感じているさまとか、こういうところを観てもらいたい っていうのは出てますかね。

宮 そうです。だから、私はこう思ったし、こういうところを見てきたということでね、それからあれは、あの、東南アジアとネパールが入ったから、アジア地域の難民キャンプとかスラムの現状をリポートさせていただいたんですけれども、そのときにあの、もちろん同じ国の中にね、伸びてくとことかとても反映してるところとか明るい部分はたくさんあるわけです。ただ、あのときの目的っていうのは海外助け合いっていうことで、こういう不幸な現実を知っていただくっていうところだったので・・・。

増 僕、それで感じてたんですけどね、そういうのばっかり出しすぎるんじゃないかなーって・・・。

宮 ですから、それが目的ですから、そうじゃない部分っていうのは当然「ここはこんなににぎやかですよ」っていうのは出しませんでした。でもそれは出す必要がないから出さなかったわけで、必要があれば出します、ええ。

平 NHK特集って言うのは、いまだにジャーナリズムの立場というものを貫いている番組だと思うんですけど、いつも楽しく観てるんですけど、民法でスポンサーがついてしまうとどうしても視聴率アップを図るということで最近すごく娯楽になってますよね。それに対してNHKは非常にジャーナリズムの立場を貫いていると思ったんですよね。

宮 で、あと1個ね。ちょっと今の人の質問の前にあと1個ね。今のに関してね、裏話ね。これはここだけの話ですから他では言わないでほしいんですけど、大韓航空が撃墜されたでしょう。あれもほんとに悲劇でね、ひどいことだと思うんですけど、そのときに撃墜されたっていうのはNHKがまずスクープしてわかったんですけど、そのあとなかなか出てこなかったでしょ、機体とか、遺体が。で、それが数日してからようやく岸に流れ着いたっていう状況でしたよね。そのときに一報がついたとき、機体の破片らしきものが着いたと一報がきたときに、日本テレビあたりか何かが投げ込んだものじゃないかよく確認するように、ってそういうのがあったんですよね。

一同 ()

宮 そういうところはね、とても気を使っていますね。

伊 1回公表したらとりもどせないですからね。

宮 うん、そうね。その影響力っていうのはね、あるしやっぱり真実を真実としてお伝えするし、それから、ただ拾ってきた情報を右から左へ流すっていうんじゃなくて、一度自分たちの中に取り込んで、改めて出す。だから、今日何時何分に何がありました、っていうだけで終わるんじゃなくて、それが社会的にどんな影響を持つ可能性があるか、あくまで可能性ですけどね、それからその他の分野のつながりでね、これがこうなったことによってこちらはどうなるか、例えばこの間ボリビアで、対外借款ってありますでしょ。その発展途上国が経済援助として受ける借款をね、焦げ付かせたんですよ、ボリビアが。このこと自体はたいしたニュースじゃないし、額もたいしたことなかったんです。で、日本経済に直接影響することはないだろうってみてたわけ。ところが次の日に株価が急に下がったんです。で、数ヶ月ぶりに一万円割れしたの。一月前にそんなことあったでしょ。商学部の人はそういうの観てるかしら。

平 そうですね、観てる人は・・・()

宮 でね、ボリビアなんていう遠くのぜんぜん関係ないような国の借款が焦げ付いたっていう、たいしたことのない、まあその国の人にとってはたいしたことなんでしょうけど、日本の私たちが明日のお米に困るかどうか、っていうニュースじゃないですよね。ところがそれが日本の株式市場に影響を与えてるわけですよね。そういうことがあるっていうとね、やっぱりそのつながりっていうのは、どこがどうつながっているかっていうところまで広く見ていかないといけないでしょ。で、見渡すのに失敗して外れたっていうこともあればばっちり当たったということもありますし。

平 むしろそうするとニュースっていうのは、やっぱり日本を中心にして日本にどれだけ影響するかを軸にしてニュースの選択をしていくわけですか。

宮 ええ、一応そうなんです。で、アメリカではね、ニュースの重要度の原則はたくさんありすぎて、どれを選択するかの基準はまず、全世界は安全か、次にアメリカは安全か、次に自分の州は安全か、で、その次に自分たちの毎日の生活は安全か、っていうそういう基準なんですね。

平 ニューヨークタイムスなんかは必ず国際記事がトップですよね。

宮 多いですね。ただね、日本じゃまだなじまないのね。世界がどうでも私がよければ、っていうところがあって、鎖国の名残なのか、世界がトップに来ると抵抗があるっていうね・・・。

平 アメリカ人と日本人を考える場合、国民性もあると思うんですけれども、僕も高校時代アメリカに二年間行っていたんですけれども・・・、

宮 ああそう、違うでしょ。

平 やはりぜんぜん感覚が違いますね。要するに国際的なニュースに関する基本的な考え方や取り組み方が違うというか、ものすごく彼らは身近に感じているんですね。それに比べると日本はどうも・・・。

宮 そうなんですよ、それは。国際社会の中でその国がどのくらいの地位を持っているかで違うんですね。で、アメリカと日本の位置づけっていうの、ただ日本はやっぱりどんどん上がってきましたでしょ。サミットの中での発言力っていうのもそうですけどね。どんどん変わってきたから今度は少しずつ変わってくると思うし、それからね、NC9で去年初めてニューヨークとの回線をつないで、毎日ニューヨーク情報みたいにしてお伝えできる時間があったでしょ。そしたらね、それに対しては本当にね、お年寄りを中心に何で私たちの毎日の生活じゃなくて、ニューヨークのどうでもいいニュースを流すんだ・・・、と。

平 そういう反感もあるんですか。

宮 あるんですよ。で、どうでもよくないんですよ。やっぱりニュースをお伝えする以上、今日はクリスマスでにぎやかできれいでしたね、とかたまにはありますけど、それだってアメリカという国をうかがい知るためにはまったく無意味ではないですよね。あのロック・フェナー・プラザでのギンギンのクリスマスとかね。あんまり見られないでしょ、日本だとね。そういうのがよくあるんですけど、お年寄りなんかは、アメリカの記事なんて要らない、英語や横文字が聞こえてくるだけでいやだ、という方もいるわけです。だけど始めた当初はそうだったんですけど、今はもう全然ないんですよね。むしろ、NC9のぽっかり開いた窓を通して世界の動きがわかるっていうのはすばらしいっていうのがね、同じお年寄りから来るわけです。お年寄りっていっても75~80才くらいの方から来るわけです。

平 ある意味では、NC9に対する見方というのが・・・、

宮 変わってきていると思いますね。

平 ええ、変わってきたと思いますね。NC9ってある意味ではニュース番組で、すごい斬新な切り口でトップを行っていると思うんですね。まあ当初からそうでしたけれども、ええ。

宮 始まったころからね。

平 ええ、ですから、それにつられて他の局だって変わってきてますけれども、そういう見方っていうのもある意味できてきたって感じが・・・。

宮 そうかもしれませんね。そういうのがすごくあるものですから、だからやっぱり時とともに移り変わるものだし、人間なんて一定ではないんだから、そういうのをニュースの中で反映していかなければ、と思っていますね。

平 ああ、そうですか。あのー、この前の夕刊フジでしたっけ。宮崎さん自身も、ニュースを実際に自分で選ばれるということ・・・、本の中でしたっけ、書いていらっしゃいましたけれども、実際どのくらい選ばれて・・・?

宮 それはね、アメリカではそういう風に世界は安全かとか順位をつけましたでしょ。日本ではその他とか申しましたけど、やっぱり、熟練のベテランだとね、木村さんなんかに言わせるとね、何がニュースかというと、体がゾクゾクってするようなものがニュースだとおっしゃるんですね。見てて感じてしまうわけ。そういうのってありますよね。理屈じゃなくってね、これはニュースだって思うことって大切だしね。で、その感覚っていうのは駆け出しではあんまり身につかないんですよね。会議の中なんかでもゾクゾクするところはみんな大体一致しますね。多少ばらつきはありますけれども。でもひとつだけしかニュースをお伝えするわけではないんで、そのばらつきの中でどっちが先かっていうのを議論するわけですね。で、そういうところに少し自分の意見を入れて、私なりの感じかたっていうのもありますから、そういうのを申し上げまして、その中でどうするとかね、落とすとか拾うとか決めたりして。毎日繰り返しですからどれくらいって言えるものではないし、それからチームワークっていうのは不思議なものでね、ずっとやってると、スタッフの入れ替わりなんかもあるんですけれど、会議とか打ち合わせ、今日も二時半からやってきたところなんですけどね、そこで今日はどういうのがあるかなってみるわけでしょ。そうすると政治とか経済については大体予定の予想ができるわけ。あらかじめ国会期間中で今日は何とか委員会があるってわかれば予想できるわけだし。そのほかに発生物がこういうのがあるって、そういうの見てね、で、今日はこれとこれっていうのが大体雰囲気的に決まってくるわけですよね。

石坂 あの、「社会あんぐる よりどりみどり」の中でですね、僕たち大学生に向けて3つの教訓を・・・、

宮 ええ、自分で考えなさいとかね。

石 ええ、自分で考えること、型破りの薦め、それから、誇りを持つこと。その中で僕が興味を持ったのは、型破りの薦めっていう項目なんですけれども。

平 早稲田にこういう学生多いですけどね。

石 私たち、早稲田の学生ということで、そういう人が多いと思っていたんですけれども、実際入ってみますと、まあ仙波さんなんていうのは非常に例外といいますか、早稲田にもそういう人が非常に少ないんですよね。だから先ほど言いましたように慶応と早稲田の学生には違いがないっていうのもわかる気がするんですけど、でもまだまだそういう要素が残っているんですね。そういう潜在的な力を持った人がまだ多数いると思うんです。そういう人たちに向けて具体的に、まあ人それぞれ違うと思いますけれども、型破りといってもいろいろあると思うんですけれども、まあ、具体的に、宮崎さんはどういうものがお好きなんですか?

一同 ()

宮 やっぱりね、型破りってどんなことだろう、って考えたらもうそれは型破りじゃないと思うのね。そんなのは自然に出てくることだろうしね。やはり、自分というものをしっかり見つめることね。例えば何かに接したときに感動とか悲しさとかいろいろ感じると思うんですけどね、そういうのを感じないでスーッと通り過ぎてしまう場面って多かれ少なかれあったと思うのね。小さなことでも、何かを見たときに何も感じないでああ、これか、で済んじゃうとか、そういうのじゃなくて、一生懸命感じる部分って大事だと思うんですね。それを大切にしていけば、当然自分と人とは違うわけだし自分は自分なりにしか考えられないし、感じられないでしょ。その中で、通り一遍の規格品じゃない部分って出てきますでしょ。どういう形かは個人差がありますけれど。それが結局型破りにつながると私は思います。

石 つまり、なんていうんですか、僕たち、暮らしの中でも日常のいろんな一つ一つの中に感動するような、感性の鋭いというんですか、そういう人間になりたいと僕たち思っているんですけれどもなぜかこう、なんといいますか一般社会の通念とか計算にこだわっちゃって自分の生き方ができない、みたいなところがわれわれ学生にしてもかなりあると思うんですよ。

宮 ただね、社会通念とかは大事ですよ。人間は集団行動してるわけだし、2人集まればもう社会が生まれるし。その中でルールとか規則を端から破っていくっていうのは、これはもう型破りじゃなくて本当の規則破りだと思うのね。で、そういうルールっていうのはある程度守らなければ円滑な共同生活はできないわけだし、2人や3人ではなくて日本列島みたいな小さなところに1億も集まってるわけですよね。その中で「無茶苦茶でいいんだ」とするのは許されないと思うんですね。

石 私が言いたいのは、例えば行動がめちゃくちゃであるとかそういうものじゃなくて、考え方とかの面をもう少し伺いたいんですけども。

宮 だから、通り一遍とかっていうんじゃなく、社会通念っていうのはそれはそれで大切にすればいいと思うの。で、その上でじゃあ自分はどう感じるのかっていうのを感じていけばいいし、それで、彼みたいにね、日本中歩いてみようといったっていいし。ただ、それは日本を縦断してみようって行動に移せないから型破りじゃないっていうんじゃなくてね、発想なんですよね。つまり時代に逆行しようとか大それたことではなくて、小さなことでいいんです。例えば、マイコンとか音楽とか何が好きでもいいですけれど、そのことだけを、最初の動機は、他のことが面白くない、他のことはできないっていう動機で始めたとするでしょ。それでもそのことだけを一生懸命やっているうちにだんだん自分でも打ち込んできて、その道のものすごい大家になったりプロになったりって言うのは大学在学中でも可能でしょ。そうなったときにそれを傍から見た場合にね、やっぱり普通の規格品の学生とは違うという風に見えてくるんじゃないですかね。何か自分には絶対これがあるっていうのを持っていることはね、やっぱりある意味で現代の我々の坂本竜馬みたいな時代とはちょっと違いますからね。現代のわれわれの生きている状況ではね、たいへんなね、一つのその誇りを持つべき・・・、

石 一種の意識革命みたいなものですね。

宮 うん、そういう部分だと思うんですけどね。だから、あなたがまだ何かこれだっていうのを見つけていないとしたらこれから一生懸命見つけていけばいいことだし、遅い早いの問題ではないと思いますね。ただ、何でもいいやって流されるんじゃなくてね、自分自身をしっかり見つめるっていうのが必要なんじゃないかって思います。

石 はい、よくわかりました。

宮 で、それがなんでもいいのよ。いい加減な気持ちで始めたっていいわけ。ちゃらんぽらんにやってもいいわけ。ただ、ちゃらんぽらんにやるなら徹底的にちゃらんぽらんにやってればね、それはその人の個性になっていくわけですよね。

石 ・・・?(不明)

宮 そういうところありますよね。ね、そうでしょ。(と仙波さんのほうを見る)

仙 そんな大それたものじゃないと・・・()

宮 はい、次の方。

伊 なんか、女の子の方では。

平 じゃあ西村さんなんかは。

西村 じゃあ、宮崎さん自身の高校生活とか大学生活とかは・・・。今、男の人の社会っていうか、仕事場ではバリバリやってるような感じがしますけど、学生のころはどんな感じだったんですか。なんか、おとなしかったのかな、と思うけど・・・。

宮 あたしはね、今もバリバリなんてちっともやってないんですよ。でもね、ほかの事を一切そぎ落として、自分から仕事っていう一本の道を突き進んでいくようなタイプではないんですよね。いろんなことを一緒にやってるし、馬鹿なことばっかり言ってますからね。面白いことばっかりやってるっていうところがあってね、だから、バリバリとかやり手というイメージじゃないんです。ただ一生懸命にはやってますけどね。高校時代とか大学時代っていうのは、そうですね、大学時代はゼミがすごーく厳しかったの。カミヤフジ教授のゼミなんですけどね。例えば毎週毎週、200字ではあるけれども原稿用紙20枚のレポートとか書かされるのね。

一同 ほーっ!

宮 毎週。で、ゼミは木曜日だったの。最初のころはね、1週間かけて書こうとか思うわけ。ところが、やっぱりぎりぎりまで遊んじゃうのよね、どうしてもね。で水曜の夜に必死で徹夜でやるの。で、そのうち段々要領がよくなるでしょ。そうすると、恐怖の水曜日っていうのが、恐怖の木曜日の午前中っていう風になるの。で、それがさらに進むと、恐怖の木曜の昼、とかになって。ゼミが午後3時からだったのね。そのゼミに間に合うように必死に書いて。もちろん書く段階で、下書きとか清書とか悠長にやってられないから、もうそのまま清書。ものすごく頭の中で組み立ててバーっと書いたからね。あらかじめ理論を頭の中で構築していって、あとは紙に写すっていう感じでやるの。

平 非常にいい訓練になっているでしょ、今の・・・。

宮 そうそう、今でもね、もの書くのがね、20枚とか50枚の枠でも早いのね()。書くとすぐ論文になっちゃうから、書くときには論文にならないように、ならないようにと。「社会あんぐる よりどりみどり」でも、なんか論文みたいになっちゃうんですよね。いけない、いけない、と思いながらね、レポート調でしたけれども・・・。最近は、もう少し進歩してきたんですけれども・・・、それでね、そういう生活をしていたんですよ。だからどっちかって言うとなるべく最後まで、ぎりぎりまで遊んでそれからバーっとやるタイプ。あの中()にも、右脳型人間とか左脳型とか書いたとこがありましたけれども、そういうようなところがあって、それで何か1つのことにね、こつこつと打ち込むっていうようなところはね、その場面、その場面ではしますけれども、一貫してそれしかないって人生はいやなの。例えば、勉強しかしないとか、遊びしかしないとか。そういうのではなくて、まんべんなく、それこそ、バランス・オブ・パワーをね、そういう感じで暮らしてきました。だから高校時代も大学時代も思い出といえばね、本当に、友達とぞろぞろといつも群れをなして歩いてたっていうのが多いですね。

伊藤 クラブなんかは・・・。

宮 クラブはね、高校のときにね、テニス部と美術部と地理研究部っていうのをやっていたんですね。で、テニスは軟式だったの。軟式よね(西村さんのほうを向く)。あなた湘南だったわよね。軟式庭球部しかなくてね、それもコートが二面しかないから男子と一緒のクラブだったのね。だから校庭100週とかものすごくやられたわけ。で、湘南ですから坂とか小さい山とかあるんですよね、近くに。で、そこに心臓破りのなんとやらがあって、そこでうさぎ跳びをやったりローラーを引いたりね。そういうクラブだったんですけど、あの、か弱かったものでね、ドクターストップがかかって。ほんとにそうなの。

平林 3つも同時にやられたわけですか。

宮 そうなの。同時にやってたんですけどね、途中でテニスができなくなって、それまで3つっていっても美術部はあまり真剣にやってなかったんだけど、あの、絵を描く時間があんまりなかったり、テニスで血豆ができて絵筆がもてなかったりね。そういうので美術部の比重は低かったんだけど、テニスをやめてからちゃんとやるようになって。で、もうひとつの地理研究部っていうのは、ちゃんとした名前がついてるけどぜんぜんそうじゃなくて、中身はみんなとトランプやったりハイキングに行ったりっていうクラブだったのね。そんなことばっかりで、そこは溜まり場的な活動的なクラブではなかったんだけどね、で、大学に入ってからやっぱりテニス好きだからやろうと思って、やるんならやっぱり今のテニスギャルのように硬式のかっこいいのがいい。軟式だとすごいでしょ、力いっぱい振り回してローラー引いたりするから。で、入ったら軟式と違うんですよ。で、もうホームランばっかりでねえ()。ホームランかネットのどっちかなのね。軟式から硬式に変えると。でね、手首をものすごく返すの。で、硬式って当ててそのままでしょ。軟式って手首をすごく使うでしょ。あれで上手くなればボルグ並だっていうそういう感じだったんですけど、ぜんぜんうまくならずにホームランのままで終わってしまったんですけれども。で、テニスとかスキーとかそういうクラブに入っていました。ただ、クラブって同好会ね。慶応の場合はテニスだけの同好会っていうのが30いくつもあるの。で、そんなのやってたんですけど。あとはねえ、ゼミが忙しいからね。

平 ほとんどゼミが軸となって回ったって感じですか。

宮 うん。ゼミが軸となって。授業はあんまり出なくてね。

平 そうだったんですか。

宮 うん。日吉なんか行くでしょ。三田では専門ですからしっかりやってて。教養課程のころはね、日吉で歩道橋降りて、銀杏並木のあるとこに関門があって、学校に行こうと思ってるのにそこからUターンすることが多かったですね。で、それを潜り抜けるでしょ。裏から出たりして、「今日は授業に出るんだ」って行くわけ。そうすると教室の前で待ってるのよね。で結局みんなで遊んじゃったりすることが多かった。で、あるときね、「出席は絶対とりません。だから私の授業には出なくていいです」って言う先生がいたの。法学の授業だったのかな。1年のときに。で、絶対に出席とらないし試験はレポートにしますって言うのね。これはもう楽勝に違いないってね。それは必修だったから、全員取らなくてはならないのでそれを取ってたわけ。そしたら絶対しないって言ったにもかかわらず夏休みが近づいたころに続けざまに三回も出席を取ったのね。そういう陰険な先生なの。約束を守らない。

多田 早稲田にも、そういうのぎょうさんおるんですよ。

一同 ()

宮 あれ困るわね。取るんなら最初からたまに取りますって言ってくれればいいのに。その時間は自動車の教習所に通ったりしていたのね。それでとにかくそういう先生だったのね。で、出席を続けて三回取ったの。一回目はみんなはずしたのね。知らないから。そしたらそういう情報が入ってきて、これは取るらしいって。で、二回目に出ようって言って。で、私は教習所の試験と重なってたのね。で、出席とりそうだけど、行けないから誰かかわりにやってって言ったら、みんなが親切にしてくれちゃってね。

一同 ()

宮 でね、いっぺんに四枚出しちゃったの、出席カード。あるでしょ、そういうのが。友達がやってくれるときにね、まあ仲がいいグループっていくつかあるわけでしょ。そのグループごとにはお互いはわかっているわけね。どの組のグループでもね。で、それぞれのグループで一枚ずつ出しちゃって。で、呼ばれてね。

一同 ()

宮 で、そのあと、夏休みにレポート。試験がないから。それは確かに試験がなくてレポートだったの。で、レポート書いて、当然、あの、共同作業ですからね。それは私が一人で書いて、で、周りの男の子たちに全部写させてあげたの。そのころはとても親切だったの。そしたらね、灰色レポートとかいって張り出されちゃって。

一同 ()

宮 だからね、私が書いたんだけど、結局法学落としたの、それでね、そういうことをやってたんですよね。でね、自分で学生を指導するときにね、絶対に出席だけは取らないし、レポートは写してもオリジナリティーがあれば認めることにしてるの。写したって明らかにわかってもその人なりの解釈、書き方ってあるでしょ。そこでその人なりのオリジナリティーがあればそれはひとつのいいことだと思うのね。

石坂 でも基本的には変わらないわけでは。

宮 変わる変わる。1つのレポートからまったく違う2つのレポートができるとしたらそれはひとつの能力だと私は思うわね。

(誰か不明) 丸写しじゃね。

宮 うん、だからね、一言一句写しちゃうと困るけれども、それを切り貼りしたり並べ替えたり、それからちょっと他からもってきたりね。そうすればその段階で考えるわけでしょ、その人は。

平 そうですね、そういうのが専門にうまい人もいますからね。

宮 いるのよね。

平 ですから、ひとつの見方がありますよね。それに対して逆から、裏からの見方がありますよね。そういうとこだけ、とらえて、で、うまく書けばいいものが出来上がっちゃったりすることがあるんじゃないかって気がしますけどね。

宮 そうですよね。むしろそのほうがよかったりしてね。そういう生活をしてたの。だからなんとなく想像していただけると思うんですけれど・・・。それでね、中にはやっぱり高校生みたいにきちんと出席してノートとってっていう人もいるわけ。大学の授業っていうのはそうじゃないと思うのね。大学の講義はやっぱり自分で考えることが重要なんだから。授業に出ようと出まいと。毎回授業に必ず出てノートもとってっていう人はね、レポートとか試験でもそのことしか書けないのね。自分がノートにとったことしか書かないんですよ。そうじゃなくて、さぼってても、何してても、授業好きなら出てもいいんですけど、それでも興味ある本をはじから読んでみたりね。あるいは講演会に行ってみるとか外国に行ってみるとか。自分の目で見てみるとかね。何でもいいんですけど、何もしなくて遊んでてもいいんですけど、自分で考えて、自分なりのものを構築していくっていうね。

(誰か不明) 主体的にっていうんですかね。

 

宮 ヨーロッパだとかアメリカだとかの先進国に行くんじゃなくて、やっぱりね、発展途上国をご覧になるといいと思いますね。

平 そうですね、特にやっぱりアジア、特に東南アジアを中心にしてまわってみるのは非常に意義があるんじゃないかと思うんですよ。これは僕の私見ですけど、これから先日本も、アジアに対してものすごく働きかけていかなければならない、アジアの中でリーダーシップを取っていかないといけないと思うんですけど。現実問題としてずいぶん搾取とかありますしね。日本の企業も資本主義ですし。そういうところあると思うんですけど、これから非常にアジアの時代っていうのが来るんじゃないかと思っているんですけどね。

宮 うん、それはありますね。

平 時間、まだ大丈夫なんですか。

宮 うん、もうややオーバーしてるんですけどね。

平 ああ、そうですか。じゃああと1,2問だけよろしいですか。

宮 1問!

多田 すいません、あのー、宮崎さん、大学時代にニュースキャスターになられたんですけど、それで・・・、

宮 面白い人ね・・・。

多田 それでいきなり有名になられたでしょ。それで世間で人間扱いされないとか、そういう面なかったですか?いい面と悪い面があったと思うんですけど・・・。

宮 歩いてると、声かけられるとか・・・。

多田 普通の人と見られないとか、気まずいとか、そういうことありませんか。

平 いい面で、国会でのフリーパスとかありますよね。

宮 うん、そうですね。普通の人と見られないといったらこれまたさびしいんですけどね、だけどやっぱり、2つありますね。1つは、どこにいっても知っててくださるんですね。そんなに、国民一人一人にいたるまでNC9を見ていただいてるとは思いませんけれども、それにしてもご覧になってくださる方がすごく多くて、だから日本中どこへ行ってもすごく仲間意識でね、迎えてくださるんです、親しみを込めて。それは毎日お茶の間におじゃましてるからだと思うんですけれども。だからそういうことでいいんですけれどね。どこの誰だか知らない他人がね、「あなたは今度の選挙についてどう思われますか」とか聞いてきてね、ストレートに自分の答えって言いにくいでしょ。それがどんな風に使われるかわかんないし。変に悪用されたら困るし。自分の顔が作為的に変なものに出されたら困るとか、いろいろあるでしょ。そういうことがないわけですよね。いろいろと知っててくださるから。あ、NC9はこういう番組だからこういう風にやってくれるんだって予想できるんですよ。そういう意味で非常に仕事がしやすいっていうのはありますね。もうひとつは、逆にしにくい部分でね、密かに潜行しての取材とか絶対できませんでしょ。それから、お声をかけてくださるのはうれしいんですけれども、なにぶん、嫁入り前の若い娘としてはね、なんていうと学生の皆さんからいやな顔されそうですけど、一応女性であることは確かなんですけれども、そうすると中年のおじさんなんかが寄ってきてね、それもちゃんとした人ならいいんですよ、だけど前に座り込んじゃって動かない人とかね。例えば電車に乗ってると腕をつかんだまま話してくれないとかね。そうするとものすごい危機感を感じるわけですよね。そういうのわかりますでしょ。だから同じ年でも男性だったらおじさんが近づいてきて腕を放さなくてもそれほどではないかもしれないけど、やっぱりその辺は女性だからかもしれないですけど、そういうところはありますよね。そうするとそれがやっぱり悪い面に行くわけですよ。「きゃっ」とか「わっ」とか迎えてくださる場面も良し悪しですよね。

多田 だから私が聞きたいのは、そういうプライベートな生活ができないということなんです。

宮 そうなんです。それはありますよね。ただ、普通の人間に見られないとか・・・、

多田 今まで学校歩いてても、普通の女の子とかやっぱり学校で違った面で見られて、もう、あんまり・・・。

宮 うーん、あ、そうそう、それはね、その人によって違うんですけどね、でもやっぱり1つのスリットを通して見られるって事多いですよ。

多田 そういうのはいやだと思うことありませんか。

宮 その人の持つイメージがあっていればうれしいんですけど、ぜんぜん違ってね、例えば、冷たくて意地悪で人のことなんてどうでもいいって思ってて、仕事だけガリガリやってるんだっていうイメージで見られるとするでしょ、そうすると、そういう風に見ている方と何かのきっかけでお会いしてお話しなければならない場面っていうのは、最初にものすごいハンディがあるわけですよね。そういう点はいやですよね。だけどあんまりよく見られすぎていてもね、ものすごい理性的だとか思われててね、お会いしてがっかりされたりするのもあれですけどね。

伊藤 観ている人が虚像を作り上げているところが・・・。

宮 そういうところがありますよね。ただ、報道だから、虚像っていうほど虚像じゃないですけどね。

伊 変装とかしないんですか。

宮 変装なんかしないですよ。

平 どうもありがとうございました。