水野晴郎

 

   えー、こんばんは。水野晴郎です。えー、この時間帯、本当によく集まってくれました。それからまた、だんだん寒くなってきたね。えー、どうぞ風邪だけはひかないようにね、一つがんばって勉強してください。えー、今日はこんな立派な会に、人物研究会っていう会だそうだね、そこに私を選んでくれて大変光栄です。えー、話を聞くと、田中角栄さんを始めいろんな方々が祖上に上がったらしいよね。それだけ興味のある人物がここにやって来ていると思うんですけれども、えー、私のような人間をようこそ呼んでくれたと思います。もっともっと早く淀川先生を呼んだりね、すればよかったのにもう亡くなってしまいました。黒澤明監督も亡くなってしまいました。日本映画ちょっと寂しいよね。ほんとに日本映画日本映画寂しくなってきた。でも逆に北野武だとか、いろんな人たちが、新しい人たちがね、どんどん出てきてこれからの日本映画を支えてくれるんじゃないかと思うんだけれども、まあ今日は人物研究会ということなんでまあちょっと勝手かもしれないけども、僕個人の話をね、いろいろとしながらその中でまた、後刻質問なんかもさせて頂いてもらって、それに答えていきたい、そんな感じがします。


 まずは自分自身の話からさせて頂こうと思います。まあ知ってると思うけども、私は昭和6年生まれ、1931年、早いものでね、もう67歳になっちゃった。あっという間ですよね人生なんてね。僕は大体満州育ちで、満州っていうのは知ってる通り中国の東北部、えーでもね、気がついたら満州にいたんです。えーと言うことはタブン日本で生まれて、向こうに連れて行かれたんじゃないかと思うんだけれども、えー、それから小学校に上がったのがね、内蒙古、モンゴルだね、モンゴルで小学校上がったんです。小学校1年生、その時ね、たった6人しか学校の生徒いなかったんです。で1年生は私ともう一人かわいい女の子二人だけ、で学校の先生は二人だけ、校長先生ともう一人、なんときれいなぽっちゃりした女の先生、その二人だけ。当時そんな若い先生がよくぞモンゴルまで行ってたなあと思うぐらい。でその先生からいろんなことを教えられたわけなんだけれども、えー、それからモンゴルを転々としてね、北京近くまで戻ってきてそれからまた終戦の時は満州へ行ったわけだ。で満州へ行って僕たちが中学生の頃、何を教えられたかっていうとね、とにかく僕たちが徹底的に教えられたのが死ぬ事だったんです。お前ら二十歳になったら死ぬんだ、軍隊に入ってとにかく国のために死ぬんだ、そんな風に教えられちゃったんだね。僕たちはね、二十歳になって死ぬなんてそんな怖いなあ、なんて思った。しかしね、みんなそういう風に思っている時代だから、もう戦争に勝たなきゃいかんみたいな時代だからとにかくそう思わざるを得ない。みんなもそう思ってんだから自分だけ恥ずかしい、怖い、そんなこと言っちゃいけない、と思って黙ってた。それからまあ死ぬことを教えられて、やがて昭和20年、1945年の8月15日がやって来た。終戦ですよ、戦争が終わった。暑い日だったなあ、今でも覚えてる。その時にガラーッと生活が変わっちゃった訳だな。完全に変わっちゃった。まあ満州だから当時ソ連がダーッと入ってきた。でソ連軍が我々のうちを滅茶苦茶にしちゃったんだね。正直な事を言うけれどもほんとに滅茶苦茶にしてしまった。で僕たち子供が大切にしてるのものまで全部持ってっちゃったんだね。でしかもその後中国の内乱ですよ、目の前で銃撃戦、ダッタカダッタカ戦争中よりもっとひどいぐらいの内乱が目の前でやってる訳だ。もう兎に角我々は日本に帰らなきゃいかん。日本に帰るべしということでお袋が中心となって、僕とそれから弟、小さいのが3人いたんだね、それから祖母と、それだけの手を引いて兎に角満州の荒野を歩いて歩いて歩きつづけて2年間、ようやく日本に帰ってきたんだな。で何度も何度も我々はへこたれる訳だ。もう歩けない、もう歩けない。その時にお袋が叫んだんだな、「駄目だ、今歩かなきゃ死んじゃうよ。今歩かなきゃ生きていけないんだ。」そこからね、僕は生きることを教えられたんだ。それまでは死ぬ事死ぬ事「お前らは死ぬんだー」って言われて8月15日を境にして、1945年の8月15日を境にして、「生きるんだ生きるんだ」っていうことを教えられちゃったんだね。それでようやく日本に帰ってきた。まあ帰ってきたのはいいけれども、焼け野原だよね当時はね。君たちはもう知らないとは思うけれども完全な焼け野原、何にもない時代。ウロウロしてたんだね、まあ今で言うなら不良少年、不良少年ていうか非行少年ていうかな、グレていた訳だな。でーまあ適当に仕事はしてたんだけれども、面白くないから毎日ねえ、ふらふらふらふらしてた。そしたらねえ、街が停電してんだね、しょっちゅうね。電力事情悪くって。でそのー電力事情悪くって停電ばっかりしてる中で一軒だけ明るい所があった。その明るい所っていうのが映画館だった。映画館ていうのはね、停電すると商売にならないから自家発電、バッテリーで電気を起こして映画はやっている訳です。その明るさに惹かれてね、映画館に入ったんだよ。生まれて始めて自分のお小遣いを出して、当時3円だった、入場料がね。それで3円で映画を見た。アメリカ映画だったんだよね。このアメリカ映画にしびれちゃってねえ、それからですよ、それから僕は映画を好きになっちゃったんだ。というのはアメリカ映画を見て何が一番最初に驚いたか。今の君たち笑うかもしれない。でも正直に言っちゃうとね、当時我々はほんとに食うや食わずの生活をしていた、それなのにアメリカでは車がある。家の中では電気洗濯機がある、電気掃除機がある。トーストがあるんだな、トースターがあるんだな。ポンと出てくるんだ、パンが。わーすげーなあ、と思っちゃった。で僕たちにとっては卵っていうものはものすごい貴重品だった。それが毎朝みんなで二つずつ目玉焼き食べてるんです。何て事だろうと思ってね、まずその文化に憧れちゃったんだ、物質文化に。それからもう一つはね、当時民主主義、民主主義って言われても何の事かさっぱり分からなかった。アメリカ映画は民主主義を教えてくれたんだね。やさしくやさしく教えてくれたの。『ミネソタの娘』っていう映画があったの、『ミネソタの娘』。ずいぶん古い映画だけどね。これはね、ミネソタっていうのは知っているようにアメリカのほんとに中部の北のほうなんだね、寒い所なんだ。だからあのースウェーデンの人たちが大体数多く移民してる場所なんです。でそこの農家の貧しい娘がね、勉強しようと思ってその州の都に出てくるんだ。ミネアポリスまで出てくるんです。貯めたお金を持って一人で、たった一人で女の子が出てくる。ところが途中で男に騙されてしまってお金を巻き上げられてしまう。しょうがない、ミネアポリスに着いても何の仕様もない。で彼女はね、すごく行動力のある女の子だから兎に角新聞を見て求人欄を探すんだね。そしたらある家でメイドさんを募集しているんだ。よしそこへ行っちゃえって強引に行っちゃう。大きな屋敷のメイドさんになっちゃう。そのメイドさんになった家っていうのが実は上院議員の家なんだね。でそこで兎に角お茶入れたり、えーまああのーデザート運んだりお掃除をしたり手伝ってるわけ。で上院議員の家なもんだから、若手の上院議員なんだねその当主は。それでしょっちゅうその家で会議をやってる訳です。仲間が集まって政治の話をしてるわけ。である時その上院議員が中心となってある問題点をいろいろと話してんだね。どうしようああしようああしようって。でその時たまたま彼女がお茶を運んでくるんだ。それで黙って出してる。みんな喋ってる,一生懸命そんなことお構いなしに。「この問題困ったなあ」って言ってんだね。そしたらねえ彼女がふっと言うんだねえ、「これはこうなさったらいかがですが、私ならこうしますわよ。」一言その農家の娘は言うんだ。そしたら他の人たちが驚いてね、「君は一体何を言ってるんだ、君はメイドじゃないか、そんな事言う権利ないよ、黙って早くお茶持って帰りなさい。」そう言うんだね。そしたらそこの当主が、若い当主が、上院議員さんが、「ちょっと待って、それは良いアイディアじゃないか、ちょっとそれ取り入れてみようよ。」ということでやってみるんです。そしたらねえ大成功しちゃうんだな。それから彼女が認められて彼女のアイディアがどんどんどんどん取り入れられる。やがて秘書になってうんと良い仕事して、最後には彼女自身が上院議員になるんです。ワシントンまで行っちゃうんです。なるほどなあと思ってねえ、我々ではとても考えられないこと。ほんとに農家の貧しい娘、お嬢さんがいろんな努力によって、頭によって、自分の知識によってアイディアによって上院議員まで平気で上がっちゃう。あっこれが民主主義って言うものか、なんかそんなことを教えられてね、俄然アメリカが好きになっちゃったんです。


 どうしてもアメリカの映画会社に入りたい。そういうものに僕はね、監督になりたいとは思ってなかった、当時は。監督というよりも役者にもなりたくなかった。兎に角宣伝マンになりたかったんです。映画の宣伝をしたかったの。面白い映画を出来るだけ沢山の人に見せるために題名をつけたりポスターを作ったりキャッチコピーを書いたりそういう役目をやりたかったの。だけど僕は岡山の田舎です。岡山の田舎から東京に出てきて、いきなり「入れてください」って言っても誰も相手にしてくれないよね。でもねそれでもね、一生懸命各社へ行って、大学の傍ら兎に角履歴書を撒いて歩いたんです。あっちこっちへ。

それから1年ぐらいしてね、もう駄目だろうと思ってたの。そしたらねえ、突然ある日手紙が来てねえ、20世紀FOX、あの『タイタニック』を作ってる会社だね、あそこから手紙で来たんだね。宣伝部に空きが出来たから来ませんかと。もう飛び上がらんばかりびっくりしてねえ、その時私は田舎で郵便局に勤めてたんです。食べるためには兎に角公務員がいいって事で郵便局に勤めてたんです。郵便局といっても貯金課だよね、お客さんが貯金をしに来るのをお金を勘定して、ちゃんと判子を押してそして返してあげる。そういう役をやってたんです。兎に角公務員やってれば一生食いっぱぐれはない。定年まで十分食っていけるし、すんだら年金がつく訳だな。だから安心な訳です。でも俺はどうしても映画の宣伝やりたい、アメリカ映画の宣伝やりたかった。すっ飛んで行ったんですよ、東京まで行った。そして行ってみたらなんとアルバイトなんだね、アルバイトだったんです。

アルバイトの空きは出来ましたよっていう事だったんです。手紙にはそう書いてない。で兎に角よく話を聞いてみると、当時のアメリカの映画会社って労働条件が全然良くない。5日間勤めて毎日の日給でお手当て貰って,金曜日に赤伝て言う伝票を書いて、それをキャッシュにしてもらう。そして1日5百円だな、1日5百円出して、それで貰ってかえる。それでもし来週仕事が無かったら、ハイさようなら、クビなんだよね。それでどうだって言う訳です。わーっと思ったね。どうしようかなあ、だいぶ悩んだ。それで兎に角しょうがないから、一遍岡山に帰ろうと思って帰った。それで郵便局の偉い人の前行って兎に角休みとってみた訳だね。だからね、偉い人の前行って長い間休んですいませんでしたって言おうと思ったんです。ところが偉い人の前に行った時に長い間お世話になりましたって言っちゃったんだね。これでもう終わりだよね、決まっちゃってる。というのは僕自身の心がそう考えてたんだろうね。やっぱり映画界に行きたかったんだ。でとうとうアルバイトで20世紀FOXに飛び込んだわけ。で仕事が無くなったら終わりだからねえ、兎に角自分で仕事を作った。兎に角当時はねえ、コピーなんてない無いでしょう。だからアメリカから山のようにねえ、資料が来てるわけですよ。例えばマリリンモンローがどうしたとかね、グレゴリーペックがどうしたとかっていう資料がいっぱい来てるわけだ。それを全部自分で持って帰って、下宿に持って帰って、三畳一間の下宿で一生懸命翻訳したんだね。一生懸命翻訳した。それでそれを会社に持って行って今度はガリ版切るわけだ。実写、今はもうコピーできるけど当時は無い。ワープロも無い。兎に角手で一生懸命書いて、それをガリ版で印刷して一冊の本にして、『FOXニュース』と勝手に名付けてそれを新聞社やラジオ局へずーっと配って歩いたの。そしたら新聞社の人が、「おっ、面白いじゃないか、コンナニュース今まで無かったよ。載っけてやろう」ということで載っけてくれるんだ。もちろんお金は貰えないけどね、載っけてくれる。それでそれが新聞になる。そうすると偉い人が見る。「おっ、これはうちの宣伝が出てる。誰がやったんだ。」「水野っていうアルバイトがやってます。」「うーん、これは面白いなあ、こいつちょっと使ってみよう。」ということになって、ようやく本採用ということになったんだね。だから不思議なもんでねえ、僕はやっぱり自分で仕事を作って自分で採用してもらったわけ。だからもともと映画が好きだったんだろうとは思うけどね、特に20世紀FOXっていう映画会社はマリリンモンロー、マリリンモンローを育てた会社でね、だから余計にマリリンモンローが好きでね、えー僕は昔っからのそのー少年時代からグラマースターが好きでねえ、みんなアイドルアイドルアイドルってみんなが言ってるのに僕だけはね、えらく年増のグラマースターばっかり憧れていたんです。まーああいう人と浮気をしてみたいとかね、そんなことばっかり考えていたんです。だからまあマリリンモンローが好きだったっていうのもわかるような気がする、自分でも分かるような気がするんだけどね。まあそれでFOXに約五年ぐらい居たかな、それから今度はユナイト映画、日本ユナイト映画ってところでスカウトされてね、まあヘッドハンティングされて、給料倍やるからこないかって言うことになってそちらに移ったわけ。それでユナイト映画に行っていわゆる宣伝部長になったわけだね。それで十年間やって、十年間やってるうちにちょうど日本テレビの、えー前は『水曜ロードショー』だった、終わる時は『金曜ロードショー』だったけれども、えー『水曜ロードショー』が始まるんで誰か解説者を探してるっていうわけだね。オーディションを受けてみませんかって局の人の言われたんです。それでまあ、十年間宣伝部長をやったからもういいやと思ってね、それでオーディション受けたんです。そしたらまあ合格しちゃったんだねえ。十人ぐらいオーディション受けたらしいんだけれどもあとでよく内輪話聞いてみたら、「水野さんが一番へたくそだった」、「じゃあなぜ僕を採ったの」って聞いてみたら、「髪が短くて髭をはやしてるから、それで一番目立つだろうと思って採用したんだ」って言われたわけです。だからやっぱりテレビっていうのは目立たなきゃ駄目なんだね。目立つってことは一つ必要なんだね。なんか一つ自分のキャラクターや個性ってものを打ち出さなきゃ駄目なんだらいしいね。まあそういう事で二十五年間金曜ロードショーやっちゃったわけだね。二十五年半くらいやってるわけです。それでいろいろ長い間やってるうちに今度は、最近のテレビ、視聴率競争だよね。もう視聴率、視聴率中心でしょう。ちょっといやになってきた。それで映画のほうも水曜ロードショーの時は『風と共に去りぬ』やったり『アラビアのロレンス』やったり『ドクトルジバコ』やったり『ゴッドファーザー』やったり、兎に角良い映画を一番に最初にテレビでやってくれたわけです。ところが金曜ロードショーになってからはどうしてもそうはいかないんだね。視聴率だからって『釣りばか日誌』ばっかりやったり『あぶない刑事』ばっかりやってるわけだよ。(笑) そうするとねえ、「いやー映画ってほんとにいいもんですね。」って言えなくなってくるの、正直言って。(笑)

ねえ、やっぱり嘘を言っちゃいけないもんね。だからねえ、最初はね、実は分けてたんですよ、「映画ってほんとに面白いもんですね」「たのしいもんですね」そして最高点が「いいもんですね」だったの、分けてたんですさり気なくね。見てる人は分かるなと思ってね。ところがそれももう行き詰まってしまってねえ、もうこれ以上は言えねえやという事で、一応卒業させてくださいってお願いしちゃったんだね。その代わりみんな知ってるとは思うけども、今月曜日の深夜に『麹町名画座』っていう番組を作ってもらってね、わざわざ。そしてそこで僕の好きな映画だけをやってるわけだね。勝手にちょっと古い映画、クラシックだけども名作だけを選んでやってるわけです。だからまあ自分自身に忠実であるのが必要じゃないかなあってそんな感じもしてね、えー時々バラエティーの変な番組も出てるけども、それはともかくとしてやっぱり映画の分野においてはきちんとやってきたいなあ、っていう感じがしてね、えー現在を迎えちゃったわけなんですよ。


やっぱりそういう事で僕はアメリカ映画好きだったんで兎に角、アメリカへ行きたくてしょうがなかったんだよね。兎に角アメリカへ行こうって事で、しょっちゅう一年のうちに三回から四回、多い時は六回ぐらい行ってね、長い時には二ヶ月ぐらい滞在してそして向こうをずうーっと周ったんです。もちろんロサンゼルス、ニューヨーク、サンフランシスコそういう所はもちろん行きますよ。でもそれだけじゃ駄目。やっぱりね、レンタカーを借りて、もう西部のほう走るんです。ビヤーっとあの広い広い本当に広い荒野を走ってみるんだなあ。これは楽しいよ。それがまた段段と盛り上がってきてねえ、今度はねえ、アメリカをもっと知りたいアメリカの社会事情をもっと知りたいという事で、じゃあどうすればいいか、もちろん自分の目で見ることは大切だけれども特に大切なのは警察の目からアメリカを見たらもっと面白い面が見えるんじゃないか。そういう思いに至ったわけだね。それでね、アメリカの警察学校に入ったわけですよ。で本来ならば二ヶ月か三ヶ月ぐらい、州によって違うんだけどね、二ヶ月から三ヶ月ぐらいみっちり勉強しなければいけないんです。ところが警察庁の紹介をもらって行って、うまくお願いをして二週間から三週間でスキップさせてもらってね、それで一応卒業したことにしてもらって、でアメリカの各地で予備役警察官っていう制度がアメリカにはあるんですよ。これは給料出ない。出ないけども普通の警察官と同じような形で同じような仕事と義務を持ってやるわけですね。ですから拳銃をつけて、バッジをつけて、パトカーに乗って実際に犯罪現場に走っていくわけです。刑事さんと一緒ならば刑事さんと一緒に殺人現場に行くわけです。それをやらしてもらったんです。このおかげでアメリカの裏側っていうのを相当見せてもらった。これは勉強になったね、僕はね。おかげさまで結果的には社会警察学博士っていうのをもらっちゃったけどね論文書いてね。だからまあそういうわけでアメリカの警察っていうのは本当に面白いし、えーそれからそこから見るアメリカの社会っていうのが本当に様々な図面が見えるね。例えば現在ではまあ多くの人種が集まっているわけだから、えーもちろんアイルランド系もいるしアングロサクソン系もいるしスウェーデン系もいるしゲルマン系もいるし、もういろんな人が集まって、イタリア系がいる、スペイン系がいる、そして特に南米からいろんな人が入ってきている。そういうひとたちで混成でしょう。しかも最近では東洋からもどんどんどんどん来ている。そういう人たちで作ったアメリカの一つの文化、これは面白いね。確かに面白い。例えば音楽一つをとってもそうだよね。あれは黒人の人たちが最初にあのー神様に向かって歌った歌がだんだんだんだん変化していってブルースを作り、ブルースがまた白人の手によってまた変わっていって現在のアメリカのミュージックに変わっていくわけだよね。それでジャズになっていくわけだよね。それで今度はイギリスの方からいろんな文化が入ってきて、ロックンロールになったりいろんなことになってくるわけなんだけれども、例えばアメリカの独特のものっていうとやっぱりミュージカルだよね。ミュージカルっていうのはアメリカの独特のもの。アメリカにはバレーの歴史が無い。でオペラの歴史が無いわけです。オペレッタの歴史も無いわけです。だけどもどんどん輸入しようとする。輸入してるうちに自分たちのものに一緒にしてしまうわけだよね。ジャズと一緒にしてしまってアメリカ式ミュージカルが誕生することになる。まあ

こんな風にねえ、見てるとアメリカっていうのはほんとに面白い。で今年は偶然だけどもアメリカのオハイオのね、オハイオ州の州立ライト大学っていうのがあるんですよね。ライト兄弟っていう飛行機を発明した人ね、あの人たちが産まれたとこなんだけども、そこにライト大学っていうのがあってね,名前をとって。それが州立なんです。そこから招かれまして約半年間日本映画を教えてたんですね。日本映画を教えてた。でアメリカの学生っていうのはものすごく迫力があってねえ、ものすごく熱心なんだよ。だから例えば一つのことで質問がびゃーっと来るしね、俺はこう思うっていう意見がどんどん出てくるんだな。

だからこっちも負けずにどんどん勉強しなければいけない。で僕の英語っていうのは実は映画から教えてもらった英語なんですよ。当時の我々の少年時代っていうは英語を使うことが出来なかったので兎に角戦後、映画、オードリーヘップバーンの映画イングリットバーグマンの映画から耳で英語を教えられたんだな。だからね、発音としてはいいんだけれどもところが文法を全然知らないの。だからね、トンチキな英語なんだけれどもそれでも彼らは一生懸命聞いてくれるんですよね。熱心に聞いてくれる。それでやっぱり残念なのがね、日本ていうのはまだまだ小さな小さなかたっぽの国なんだね。田舎の国なんですよ。だからこんなこと言った学生がいた。彼らはインテリでしょ。インテリなのに文化人なのにこんなこと言うんですよ。「日本人てまだちょん髷結ってんですか。」「まだ侍っているんですか。」とかね。「東京から香港まで車でどのくらいかかるんですか。」これは違うよねえ。どう考えても違う。だからやっぱり日本映画っていうか日本映画見せます。黒澤明の映画見せます。例えば『羅生門』見せる。それから『蜘蛛の巣城』を見せる。『七人の侍』見せる。『用心棒』見せる。全部実は時代が違うわけだ。ねえ、背景が全部違う。平安時代であったり、それからまた鎌倉時代であったり、あるいは江戸時代であったりそれぞれ違うわけですよ。それなのに彼らはそれ全然わからない。だからそれから始まってこりゃいかんと思って年表を作ってねえ、そしていつの時代いつの時代と分けてね、この映画はいつの頃の映画であるってね、そんなことまで教えていったりねえ、歌舞伎の説明をしたりねえ、これはだから僕にとっては面白かった。今までさんざんアメリカから勉強させてもらって今回は逆に日本のこおとをアメリカ人に教えてきたっていう、そんな喜びがあってね、これは楽しかったねえ。だからまあアメリカっていうのはほんとにいろんな可能性を持った国だし、また一面では不思議な国でもあるんです。だからねえ是非皆さんもね、余裕があったら是非アメリカに行って、学生時代にアメリカ行ってみるといいなあ。行ってみた人も大勢いると思うけども、ニューヨークもいい、確かにいい。ロサンゼルスもいい。だけどもいろんな所を、アメリカにはほんとにいろんな顔があるんだからいろんな所を歩いてみてほしいと思うなあ。そうすることによってですね、やっぱり違ったアメリカがどんどん発見できるんじゃないか。まあそんな感じがするわけですよね。えー、まあそんなわけでね、えー今日ちょっと一人、私のパートナーを連れてきてますんでね、この先生をちょっと紹介してお話をしたいと思います。私が岡山の芸術大学で、倉敷芸術科学大学ってところで教授やってんだけどね、そこで講師もやってるしめのしげる先生です。<中略>


 今度ね、ブライアンデパルマっていう『ミッションインポッシブル』撮った監督さんいるでしょ。あれがね、新作作ってんですよ。この人のね、『スネークアイズ』ってのを是非見てごらん。面白いから。これは凄い。もう映像のテクニックを絢爛と駆使してねえ、突然話が変わるけれでも、十五分間長回しなんだよ。最初から十五分間ずーっと一台のキャメラで全部追っかけてくるの。それでね、主人公がニコラスケイジ。知ってるねニコラスケイジは。『リービングラスベガス』でアカデミー賞とった。彼がね、刑事なんです、まさに。(笑)ニコラスケイジだから刑事じゃなくって、本物の警察の刑事なんだよな。ところが悪徳刑事なんだね、ちょっぴり悪なんだ。で人から巻き上げたりなんかしてるわけですよ。でたまたまね、その日ね、アトランティックシティっていうラスベガスと同じようなギャンブルの街があるんだな。この大きなギャンブル場のホール、えードームでね、ボクシングのタイトルマッチが行われるわけです。一万四千人が詰めかけてワーワーワーワー待ってるわけだね。そこでテレビが中継しようとして表でまずレポーターが喋ってるわけだ。そこに大雨が降ってくるわけ、ずわーっと。ハリケーンだな。ハリケーンがやってくる。でそこでね、雨に濡れながらレポーターがやってるわけですよ。でそこへね、ニコラスケイジが後ろからぱーっと来てテレビに入っちゃうんだな。うーなんて言ってね。でその入ってきた途端に今度はキャメラがニコラスケイジに付いて場内入っていく。入っていってまずは楽屋みたいなその、選手の控え室まで入っていくんです。そうするとその間にね、チンピラが出たり入ったりする。でそのチンピラを捕まえて金巻き上げたり殴りつけたりなんかしてね、それをそのままキャメラ撮っていくんだよ。ぐーっと奥入ってそのボクシングの元チャンピオンの所に行って、それで話をして、それからまた帰ってきて今度は会場に入っていくんだな。ずーっともう席は満杯、一万四千人いるわけだからね、ワーワーワーワー言ってるわけです。入っていって友達と会って、友達の、えーなんというのかな、シークレットサービスに会って握手して座る。そこへ謎の女が二人入ってくる。一人の謎の女は向こうのほうで座っている、もう一人は隣に座る。でその間にそのガードマンがちょっと気になるんでその女を調べてくるって出かけるわけだ。でその間にもう一人の謎の女が隣に座る。でその謎の女が、隣に座った女が、えー国防長官が来てんだな、国防長官が、それで彼に話をかけるんだ、なんか分からない。ところでちょうど試合が始まって、ウワーッとみんな立ち上がってやってるわけだね、その途端に銃声が聞こえるんだ、バーンと。国防長官が暗殺されるんです。それでその謎の女も真っ白いドレス着てるんだけれども、血に染まるんだな。それでその途端にキャメラが今度は天井の真上からパーっと写すんです。そうするとね、全員が蜘蛛の巣を散らすようにばーっと広がっていくの。すーごい。そこから話が本格的に展開していって、なぜその十五分間の長回しがあったか、後で考えると全部伏線になっているんです。細かく伏線が張ってあるんです。なぜここでこういう事があったか、なぜチンピラを捕まえたか、後でちゃんと分かるようになってるんだね、その意味が。全部それが伏線になってるんです。だからこういう細かいテクニックをもっと日本の監督さんは勉強してほしいと思うんだな。というのは例えばそういうのはすでに溝口健二とか吉村公三郎とかそういった1950年代の日本の映画監督はちゃんとやってるんですよ。それをブライアンデパルマたちが後から見て、逆にそれを利用して頭ん中に入れて自分の物として現代感覚でCGを使ったりなんかしてブワーッと大きく広げてるわけだよね。これはやっぱりね、我々が持ってる財産を向こうに持って行かれるようなもんだからね、逆にそういったものを是非みんな身に付けて欲しいんです。大切に取っといて欲しいんです。そして自分たちの力としてそれを出して欲しいなあ。僕はそう思う。だからこれは二月ぐらいの封切なんでちょっと先の話なんだけど是非その『スネークアイズ』っていうのを見て欲しい。面白いよこれは。ほんと面白い。映画の好きな人間ならたまらない。ねえ、こういう映画を作ってみせるっていうのは。確かに『ミッションインポッシブル』も面白かったよ。特にユーロトンネルのところで列車が入っていくだろ、トムクルーズがぶら下がってるなあ、でもう突き飛ばされそうになる。ところがビヤーッと行った所にヘリコプターが追っかけて来る、ジャンレノの。ジャンレノのヘリコプターが追っかけて来て、もうトンネルだから入って来れない、と我々は思う。なんとトンネルの中まで入って来てやるもんだなあ。ああいう発想っていうのは凄いと思うね、パルマって監督はね。そのパルマ監督が日本のそういったテクニックをいただいてちゃんとそういう風に使ってみせるっていうのは凄いと思うね。だからあのーはっきり言うけども、相米慎二監督も長回しだけどもあれは単に長回ししてるだけのような気がする、僕は。ね、悪いけど。ご本人には大変申し訳ないけども、長回しには長回しの意味がなきゃいかんと思うね。だからそういうことで日本映画界にも優秀な人たちがどんどん出てらきてんだからその頃の良い映画をたくさん見て、それ以上のお手本はないと思うんだな僕は。勉強の道具はないと思う。だからそれこそその宝物を自分のものにして欲しいなあと僕は思う。 

<中略>


 シベリア超特急って言う映画をなぜ私が撮ろうとしたか。やっぱりね、あのー僕は最初監督やる気は毛頭なかったんだね。だけどもやっぱりいろんな事をやってるうちにね、やっぱりそういう最近の日本映画に不満を感じるわけですよ。どうしても不満を感じてきて、なぜ昔そういった良い映画、面白い映画、いっぱいテクニックいっぱいあるのに、なぜそれを再現して見せてくれないだろうかなあっていうところから始めてみたわけなんですね。それでまあいろんな人たちに騙されてね、えーお金巻き上げられて、制作費を随分かけられてしまったわけだけども、まあそれはともかくとして、自分のとりあえずは八十パーセントは思う通りに撮ったんでいいじゃないかな。今その続編を作ろうって考えてるけどね。それはともかくとして、えーお手本にして逆に僕はヒッチコックをお手本にして吉村公三郎だとかそういった監督の作品の名場面を全部入れてるつもりなんです。えーだからもし見るチャンスがあったらなるほどここはヒッチコックだなと思って見てくれればいいんじゃないかなと思うんですけどね。どうですか、あれに出てた感想は。

(しめの氏・以下S) 一種、異様な映画でしたね。

(水野) なにが異様なんだよ。

(S) いえいえ、ねえ、ここはこの映画だこの映画っていうねえ、それはまあそれでいいとしましても、なんでモンゴル人が英語を喋らなきゃいけないんだという。

(水野) それは映画じゃないか。(笑)

(S) あのね、映画が好きな人っていうのはやっぱあれを見れば何のモチーフかっていうのは必ず分かるんじゃないかと思いますし、まあそれがね、監督水野晴郎の意図するところじゃないかと。まあ内容は別としても、そういった形で見れば映画の、まあこの中にも映画研究会の方がいらっしゃるかもわかりませんけれども、いろんな形でお手本になるんじゃないかと思うのが、実を言いますとそれを映画っていうのはラッシュていうのがございましてね、要するに完成する前にこういうも撮りますよっていうのを見せる時があるんですけども、そこであのー撮れてなかったところをもう一度撮るとかっていう、要するに試写会みたいな感じですけれどもね、特にあのー市川昆監督に来ていただきまして見ていただいてですね、「水野君、監督っていうのはね真似から始まるんだよ。」っていうことをおっしゃいましてね、なぜかっていうと何も無いところから始めるんだから誰かの真似しない限りは監督の第一歩を踏み込めないんだよということをおっしゃたんですよ。それは裏側には失敗があって当たり前なんだからっていう形でそういったことから始めるのが監督なんだよということを僕は今でもね、頭の中に残ってんですけどもね。その言葉をお聞きになった時どうでしたか。

(水野) うん、確かにね真似から始めるっていうことは確かにその通りだと思うよね。皆さんの中にも監督やりたいって人がいるかも分からないけども、是非それはね、いいものから真似して欲しいなあっていう感じはしますよね。えーですから僕の場合も確かにヒッチコックの真似から始めました。でもそれは一つのあのーヒッチコックをそのまま真似するんじゃなくて、自分のものにしてやってみたいなあっていう感じがするんですよね。えーところでね、今日は良い機会ですからね、僕の第二作を発表しましょう。(笑)えーまだもちろんね、お金が集まらなかったり話が決定的じゃないんだけども、僕がやりたい事、一つはね、えーアメリカとの合作なんですよね。えーこれはね、僕自身があのー文学部で井原西鶴を勉強してたんだね。だからね、井原西鶴の中の『好色五人女』をね、世界の話にして、あれはもともと日本の話だよね、それでオムニバスみたいになってんだね、それを一本の

話にして世界の五人の女性がブワーッと集まってくる話にしたいんです。全員が不倫するんです。例えばアメリカの北部でグレンクローズとキアヌリーブスが不倫をするんだね。それから南部に行くとね、デミムーアとデンゼルワシントンが不倫をするんです。それでブアーッと日本のほうに逃げいて行くんです。日本では名取裕子と誰それが不倫をしてるんだな。えーそれでまた中国ではコンリーがいるわけだな。コンリーがまた不倫をしてんです。それでまたインドではインドの女性とそれからあのーイギリスの何だっけな、えーヒューグラントがね、イギリスの将校でね、えー当時のインドのカースト制の厳しいハイクラスの女性と不倫をすると。それでみんな香港や東京を通っていろんな所に逃げてね、最終的に上海に集まるんだね、上海で上海中が大火に見舞われるんです。そん中で五組の男女が殉死していくというね、(笑)愛に殉じていくという。凄いスケールだろ。(笑)いつ完成するか分かんないけども、夢だけは大きく持たなきゃね。だから是非これやりたいなあってこないだね、『逃亡者』の監督いるでしょう。アンドリューデイビスっていう人ね。あの人に僕は脚本を渡したんですよ。彼読んでくれてね、「うーん面白い。面白いけれども現在アメリカではハッピーエンドでないと駄目なんですよ。」と言われた。なるほどそう言われてみればいろんな事件があって悲しい事もあるけど最後はどこかがハッピーエンドになってんだね。どんな映画でもちょっとはハッピーエンドなんだ。例えば正月に封切られる『アルマゲドン』ていう映画あるね。あれも凄いことになってうわーっとなってブルースウィルスは死んじゃうんだけれども他の人たちはハッピーになっていくんだ。あっ、ごめんごめん。まだ見てなかったな、みんなな。あーっ。(笑)

(S) なんか浜村淳さんになっちゃいましたよ、浜村淳さんに。

(水野) ごめんなさい。そうだよな。

(S) ここだけの話にしてくださいね。忘れましょう。あれ松田聖子ちゃんが出てくるんですよ。クレジットにも出てないですからね、セイコマツダっていうのがね。

(水野) あっという間に出てきて消える。

(S) ただし台詞はありますよ。「I want to go to shopping」ていうね。(笑)

(水野) 「買い物行きたーい」っていう。(笑)

(S) あれは面白いですよね。どこに出てくるかね。まばたきすると消えますからね。

(水野)聖子もがんばってるね。

(S) あれは裏話聞きましたらね、ただ単なるロスに行ったビデオ撮ってたスタッフと知り合いで、そのスタッフっていうか監督さんがそれをたまたま映画化するんで、じゃぁ「こういったコがいるよ」と。もうほとんどストーリーは決まっちゃてたけども無理やりとその場だけポーンと付け加えみたいですけどね。向こうに行って聖子ちゃんが成功したって言うでしょう。僕がアメリカで実際向こうの日本人の方に聞こうとしても、いや誰もみんな知らないっていうかたちでねえ。要するにまあ、ねえ、こんなこと言っちゃいけないけどもやっぱりまだまだ英語が喋れてなんぼっていう世界ですから、彼女の場合英語は喋れるかもしれないけども、もっともっとストレートにこう喋んなきゃね、ほんとにもう向こうとしても使えないっていう部分があるみたいで、そのへんはまあ努力は買いますけどね。ちょっと余談になりましたけどもね。

(水野) でもそのへんは偉いと思うのは工藤由貴ちゃんね。工藤由貴ちゃんは本格的に映画を勉強して、それで向こうで頑張ろうとしてるもんね、腰を落ち着けてね。だから日本で時々帰ってテレビに出てるけれども、それはほとんど腰掛でね、向こうでちゃんとやっていこうという凄い意識を持ってますけどね。あの人はやっぱりその点凄いなあと思う。やっぱり日本人ていうのはね、やっぱりアメリカ人とどうしても顔が違うんだね。顔が違うって変な言い方だけども、やっぱりあのールッキングがやっぱり違うんじゃないかなっていう気がするね。彼らの好みと違うんだろうね。でだからね、どうしてもやっぱりなかなか役がつかない。大勢いるんですよ、アメリカにもブロードウェイにもね。ハリウッドにもブロードウェイにもいっぱいいるんだけれどもなかなか役がつかない。えー、ということだね。ちょっとつらいことですよね。でもまあその中でもいろいろな人たちがこれからは頑張っていくでしょう。それから日本映画がアメリカで大ヒットって言ってるけども、残念ながらあれはね、ニューヨークとロサンゼルスの小さな田舎の劇場で一館だけでやってるんです。隅っこのほうの劇場で。残念ながら北野武の「HANABI」にしても、それから

「shall weダンス」にしてもニューヨークのほんとにダウンタウンの小さな劇場一館でしかやってないんですよ。黒澤明の「乱」にしてもそうだった。これ悔しい、ほんとに悔しいよね。あれだけの良いものをどうしてもっとみんな見てくれないのか。やっぱり聞いてみると「顔が違うんだ」ってあっさり言われるんだよね。まあそりゃ人間が違うんだからしょうがないんだけれどね。変えようはない。当然ですよね。だから日本人は日本人のことをちゃんとやっていけば、それしかないんじゃないかって気がします。


 まっ、そんなわけでね少しそろそろあれだから、質問を頂いて、それにお答えしようと思います。こういう機会ですから何でも結構ですよ。えーもしよかったらお手伝い頂けますか。はい、じゃあ質問のある人はマイク持って行きますから手上げてください。あれ、早稲田の学生さんてこんなにおとなしいの。意外だなあ。どうぞどうぞいいよ、誰でも。

(学生A) ちょっとお聞きしたいんですけど、そちらの方(しめの氏)は僕シベリア超特急何回も見たんですけど、どんな役を。

(水野) あっはっはっはっ、車掌さん。車掌さんでね、最後にもう一度どんでん返しの時に犯人だったでしょう。まだいらっしゃいませんか。

(学生B) こんにちは、ええとこの頂いたプロフィールに警察研究家と書いてあるんですけれども、先ほど少しお触れになられましたけども、この警察研究家というほうは知らなかったんで、そちらの方を少し聞きたいなと思いまして。

(水野) えーさっき、まああのー、何て言うかなあ、経過はちょっとご説明したんだけども、なぜ警察を勉強しようと思ったか、アメリカを知るにはやっぱり警察から見るのが面白いんじゃないかと、犯罪面からあるいはその一つの、何て言うかな、行政の面から見ていくと面白いんじゃないかなということで入っていったわけなんだけれども、実際にはですね、アメリカに行ったらパトカーに乗って、実際に犯罪現場に行くわけです。銀行強盗の現場に行くわけです。で日本で今やってるのは、日本で本当に市民の役に立つ警察は何だろうかということを考えていくわけですね。例えば国家警察のかたちでいいのか、今の警察庁の形でいいんだろうか。それともやっぱりもっと分権的にやっていって、独立させて例えば県警ごとに分けていくのがいいんだろうかと、そういう事を研究したり、それから例えばもっと小さい部分では装備ね、それをもうちょっとこうすればいいんじゃないかとか、そういう事まで考えていくわけです。だからあのー、アメリカにおいてね、やっぱりう実際に見てみるとね、アメリカは本当にあのー特に中西部に行くとね、警察というものと市民というものの接点がものすごくはっきりしている。これは凄いね。ほんとにあのー、保管官の助手やらせてもらうとね、ほんとにもう市民の仲間になっちゃうんだね。だからあのー、普通の旅人として僕が行くよりも、そういうところで保安官の助手として僕が入っていったら向こうが大歓迎してくれるんだね。家でパーティーやるからいらっしゃいませんかとかね、そういう風にしてどんどん呼んでくれるの。これは凄く助かった、僕としてはね。だからいい勉強になったしね。それから面白いのがねえ、州ごとに警察は違うでしょうアメリカはね、独立してるわけだね。で各配布パトロールも違うし、それからFBIも違うし全部違うわけだよね。縦割りじゃなくって全部違うわけだよね。だからあのー、州ごとに全部法律も違うんでそこの新しい警察行く度に試験を受けさせるわけです。その試験ていうのは法律の筆記試験が一つと、あとは何だと思う、拳銃の試験です。射撃のテスト。当たるか当たらないか、それだけ。それでね、西部行くとね、射撃のテストもね、的があってなんてそんなもんじゃないんですよ。荒野のど真ん中に行って向こうに缶からがあるだろう、あれを撃ってみなさいって言って。ほんと昔のままだね、そういう所って。それはいい経験になったね。で僕はやっぱりね、マグナムとかね、あるいはショットガンていうのがあんまり好きじゃなくってね、せいぜい普通の拳銃で義務的にしょうがないから付けてるってことだけどね。でもやっぱりああいうものは無いほうがいいなって感じはするけどね、正直言ってそれはね。ただまあアメリカっていうのは不思議な国でやっぱりそれで銃で開拓したからね。事実二百年の歴史の中でそれだけ開拓してきたんだからやっぱりそれを手放すわけにはいかないだろうし、それで自分たちを守るのも自分たちの自由だっていう判断があるからねえ。だからそれを理解してアメリカに入っていかなければいけないんじゃないかなという気はするね、というわけです。他にいらっしゃいませんか。どうぞ。

(学生C) ええと、松田優作にお会いしたことありますか。

(水野) 昔あったねえ。当時ねえ、角川映画で何本か撮ってる時にインタビューさせてもらった事ある。その頃はまだねえ、まだまだ偉くなる前だよね。偉くなるっていう表現はおかしいな。いわゆるビッグになる前だね。ですから割合あの-なんていうか、ストレートな感じでね、映画で見るような感じは無かったけれどね。傍に角川春樹さんもいたしね。だからあのー、育ての親っていうのかな、当時としてはそういう状態だったから割合まともな感じでしたよ。

(学生C) ブラックレインはご覧になりましたか。

(水野) 見ました見ました。あれは僕は大好きな映画なんだね。あれは面白かったねえ。えー君たち若いけれど見てるちゃんと。あれは僕の物凄い好きな映画でね、ただね、日本ではああいう風に街頭ロケーション出来ないんだよねえ。だからあのー、ロスでもニューヨークでも警察に届け出てお金を払えば、そのー道路でロケーション出来るわけだよね。車止めてもらって。ところが日本ではそういう法律も無いし出来ないわけなんだよね。だから困っちゃってねえ。だから県警本部も貸してもらえると思ったら貸してくれない。だから隣の市庁舎かなんかを借りたんだってね。それで別に県警だっていって、まあ県警じゃなくて府警本部だっていうことで撮影したんだけれども、街の所は特に困っちゃってね、一遍撮ったんだけれども滅茶苦茶でうまくいかなかったんだって。結局そのー、やめるわけにもいかないから。それで結局にね、ハリウッドへ行ってハリウッドの郊外に同じセットを建てて作ったんだってね。だからそれだけ苦心したらしいんだけれども、あの頃のマイケルダグラスっていうのは凄くハリがあってね、面白かった。高倉さんも良かったしね、僕はあの映画好きだったなあ。はい。<中略>

(司会者) 申し訳ないんですが、時間のほうが押し迫って参りまして、ここで質問を打ち切らせていただきます。最後に今回の演者であります水野晴郎さんに花束を贈呈いたします。(拍手)

(水野) 今日は本当に短い時間でごめんなさい。本当にありがとうございました。この後仕事が控えているものでちょっと時間が短くなっちゃいましたけれども、またチャンスがあったら皆さんと一緒にいろんな話をゆっくりとしたいと思います。皆さんは学生さんですから頑張って良い青春を、力いっぱい良い人生を送ってほしいと思います。ありがとうございました。