江本孟紀

 

 

阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝を飾った年、人物研究会では一足先に阪神OBでプロ野球解説者、参議院議員の江本氏を招いて講演会を行った。時の球団である阪神について赤裸々に語られた講演は、終始笑いの絶えることの無い盛り上がりを見せた。

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江本氏、登場。


 皆さんこんにちは。今日は阪神ファンばかりですかね?今日は私を呼んでいただいて有り難うございました。今日は宜しくお願いします。

 えー、旗もなかなか良く振ってもらえて。(早大猛虎の方々にもお越しいただきました。)私は追い出されたんであんまり阪神ファンではないんだけれども。まあ、阪神にいた、と言うことであちこちから色々言われておりますが。

 今年は阪神が優勝するかと言われたら、これは誰が見ても疑う余地がない。間違い無く優勝します。なので阪神ファンの方は応援をするよりも、あとはダイエーか西武の戦力検討をした方がいいと思います。

 

 特にダイエーは素晴らしいピッチャーがおりますしね。斎藤和巳とか、新垣とか、杉内とか。あとは早稲田の先輩の和田投手ね。和田ってのは色々なところで名前聞きますけども(笑)。わりかと早稲田には‘和田’って名前は多いんですね。

 まあ、でも今プロ野球じゃ木佐貫と和田ってのはナンバー1ですよ、新人では。この早稲田にあんなに素晴らしいピッチャーが生まれるとは思いもしませんでしたけど。今のダイエーの快進撃の一つの要因になってますから。恐らく今年の日本シリーズは阪神対ダイエーになるんじゃないかと。


 ダイエーダイエーと最近私言ってるのは、福岡でKBS朝日放送というのに出ているんですね。一応地元のラジオに出ているんですが、優勝するって言わなきゃいけないかなと思って言っているんですがね。どこが優勝するか本当はわかりません(笑)。

 近鉄と西武とダイエーが争って行くんでしょうけどね。それで出来たら、やっぱりダイエーに優勝していただきたいな、と。それでダイエー対阪神の日本シリーズをやっていただきたいと思いますね。

 私は、一応本職は野球の解説者なんですよ。参議院は時々アルバイトでやってます。解説者としてね、日本シリーズはどこが一番解説しやすいかな、というとやっぱりダイエーと阪神がやってくれた方がいいんですよ。

 で、西武はねえ、遠いんですよね、いくのが。帰り嫌になりますよね。所沢から帰ってくるの。「すぽると!」なんかがあった日にはたまったもんじゃありませんからね。フジテレビまで行くのが。ですから博多の方が夜遊びなんかも出来ますしね。そう言う意味でも何かと都合がいいんですよ。ダイエーの方が(笑)。


 私も一応、昔南海ホークスにいましたから。あんま知らないと思いますけど。監督で4番でキャッチャーっていう図々しいやつがいてね(笑)。皆さんあまり知らないかもしれないけど、野村克也って奴です。

 あの頃は、南海ホークスの末期症状の頃でしたね。私の同期に門田っていう訳の分からないバッターがいてね、こんな憎たらしい奴と一緒に野球やって、なんかそろそろ危ないなと思っていたら身売りをしましてね。

 私も阪神タイガースのOBであると同時に、南海ホークスのOBでもある訳ですね。その前、余談ですけど、私が一番最初にプロ野球に入ったのは東映フライヤーズでしてね。今の日本ハムですね。

 日本ハムの前に日拓ホームズっていう訳の分からん不動産屋が買ってね、この頃面白かったですよ。

 7色のユニフォームって言ってね、一週間で7着違う色のユニフォームを着てまして、アホかいなと思いましたね(笑)。ユニフォーム忘れた奴がいてね、バラバラだったことがありました。毎日色が違うんですよ。火水木金土日とユニフォームが違うんです。結局その会社潰れましたけど。


 そういうことで、私パリーグ出身でね。パリーグというのは今も見て分かるけど、客があまり入らない。私らの頃からお客さん来ないで有名ですけど、パリーグ魂というのが私のどこかにありますけど。

 ダイエーも確かに強くなりましたけど、本体が悲惨でどこまで持つか分からない。そういう中で頑張っていて何となくホークスを応援してあげたいな、というのがありましてね。阪神対ダイエーの日本シリーズを今年は是非やって貰いたいな、と言うのが私の希望です。


 阪神というのは、48年間で1回しか優勝していない最低の球団です(笑)。しかし、今年48年で2回目の優勝になりますね。それくらい優勝に縁の遠い球団でしてね。

 私がいた頃には、結構Aクラスで優勝争いをしていたんですよ。最近の阪神はね、ここ15年で10回最下位になってるというね、非常に最下位が居心地の好い球団で、選手も適当にやると。不思議なことに、85年の優勝した以降は、風船上げと共に最下位を走り始めたんですね。

 最初私は、解説で風船は止めなさいって言ったんです。あれは何がイカンかというと、縁起が悪い。あがっていったら、すぐ落ちてくる。だからピューって上がるのは上がるけど、落ちるのが早いんですよ。だからあれは阪神を象徴しているわけですね。あれ。


 そういう長い最下位の歴史がある阪神タイガースですけど、私たちがいた頃はわりと強かったんですよ。当時阪神は掛布がまだ毛がある頃でしてね(笑)。初めて後楽園で巨人戦のマウンドに上がったときね、嬉しかったですね。東映・南海・阪神ときて、田舎にも俺の活躍を見せられるってね。

 で、世界のホームラン王、王貞治さんが出てくるわけですよ。当時ホームラン50本くらい打っていてね、田淵さんとホームラン争いしていて。今のホームラン王なんてもんじゃないですよ。

 後楽園球場狭くてね、両翼85,5Mしかなかった。そこでバットが圧縮バットってやつで、ソーサのコルクバットなんてもんじゃないですよ。カーンと打ったらビューっと飛んで行くんですよ。その状況のなかでやっていたんですよ。そこで王貞治さんとやるわけですよ。


 一応は南海野村野球学校で野球をやっているわけだから、王貞治をどうやって抑えようかと考えたんですよ。ビデオを見たり、色々な研究をやったんですよ、王さんの欠点はどこかって。星野がホームラン打たれた時のビデオとか見てね(笑)。それで見てると、ストライクゾーンのどこへ投げても打たれてるんですよ。ここだったら打たれないっていうコースはない。色々考えたら、王さんと言うのは欠点がないんです。でも不思議なことでね、欠点が無い人っていうのは特徴があるんですよ。しかし特徴のそばに欠点があるんですよ。一番特徴だと思われているところに欠点がある、紙一重なんですね。

 よく考えてみたら、王貞治の最高の特徴はというと、一本足なんですね。あの一本足でタイミングとって打つわけですよ。それでみんなあの一本足に騙されるんですね。

 私も「これだ!」って思った。これか特徴だけど、これが欠点だなって思って。良く見るとピッチャーが投げかけると足を上げてタイミングを取るんです。私もそれに気がついて実践でやってみたんですよ。

 私が構えると王さんも足をあげる、その瞬間にこっちも「上げる」と思いながら上げなかったんですよ。で、クッと止めたんですね。で、王さんも「え?」と思った瞬間の微妙な瞬間のズレに投げるんですよ。そうすると、真ん中に放ってもいいんですよ。さすがに王さんもビックリしてね、慌てて打つと内野ゴロになったりする。

 そうして、5年以上王さんと対戦したピッチャーの中で一番成績の好いピッチャーに私はおるんですよ。さり気なく自慢しましたけどね。大した記録もなく、ボークの日本記録しか無いですけどね(笑)。

 

 それで8回くらいになると長島監督が出てきてね、代打を送るんですよ。その姿の格好好いこと!!当時はまだ髪も黒かったしね。僕は長島さんに憧れてプロの世界へ行ったわけですが、その長島さんがアンパイアに代打を告げに行くんですよ。

 もうあの方は僕らにとって神様ですわ。マウンドでね、一瞬敵の監督というのを忘れる。で、自分のとこ見たら吉田義男ですからね。差し入れの饅頭いつも口に詰めてね。垢抜けない親父でね(笑)。それと比べたらたまらない訳ですよ。「格好好いー!」ってね。


 いうような時代がありましてね。楽しかった。東京遠征3連戦の3試合目なんて早く終わろうと。銀座が閉まりますから。バッターも1球目からどんどん打てよ、なんて言ってね。慌てて着替えて田淵さんと一緒に銀座行ったり。東京遠征楽しかったですね。巨人と試合して銀座行くと、それで大騒ぎして。野球をしても楽しかったし、私生活も楽しかったし。ただ一つだけ残念だったのは監督に恵まれなかったんですよ。これがいけなかったんですね。


 当時阪神は弱い要因の一つに、監督の人選が下手だったんですよ。あんまり弱いんで、吉田さんの首切って、有名な広岡さんを呼んだらどうかと。ところが呼びに行った奴がいけないんですよ。球団の職員が呼びに行った。普通、球団社長とか代表が行けば広岡さんも来たのに、職員がきて機嫌損ねて断られたんですよ。あの人プライド高かったですから。

 断られて、慌てて「誰でもええ、誰かおらんか」って言ってたら、ちょうど甲子園の近所から自転車で乗ってくるオヤジがいたんですよ(笑)。

 後藤の熊さんって言ってね。法政の先輩で阪神では結構有名な選手だったんですけど。「後藤の熊?じゃあ熊にやらせえ」って言ってね、熊さん急にやらされてね。「1年の繋ぎか、じゃあ麻雀仲間でいいか、コーチは」って言ってね。麻雀仲間がコーチなんですよ。みんな。

 で、キャンプ入って練習後に麻雀やってるんですよ。監督会議とかいってね。私はそれ見てね、正直腹立ったんですよ。「プロがこんなでええんか」って。それでチームがだらけてね、シーズンが始まったら案の定負け続けしたんですよ。監督も「しゃーないなー」なんて言いながらコーチと麻雀やってるし。で、見る見る内に最下位になっていったんです。


 それで昭和53年、阪神タイガース史上初めての最下位だったんですよ。実はずーっと弱い阪神を作る大元の時代に私はいたんですよ。それで阪神電鉄がびっくりして、当時4番バッターだった田淵さん、この人が一番だらだらしてるからこの人を追い出して、外国人の監督を連れてきて新しいタイガースを作ろうと。と、球団の社長がやったんですよ。それでブレイザー監督が生まれましてね。

 ところがね、途中で早稲田から岡田が入ってきたんですよ。あいつがね、トラブルの種だった。それも阪神が最下位を続ける要因になった。名二塁手がいたにもかかわらず、岡田は関西の出身で人気があったんですよ。彼を使え使えって声があったときに、ブレイザー監督はね「一人前になるまで1,2年育ててから使いたい」って言った。

 そしたらファンが脅迫状とか送ってね。それで嫌になって途中で帰ったんですよ。その時に阪神がブレイザーにずっとやらす根性があれば強くなったにも関わらず、ブレイザーを切って岡田を使うようなヘナヘナした監督にしたんですよ。私の嫌いな監督でね。普段から「わしはバッティングコーチが天職だ」と言いながらも、「監督します?」と言われたら「はい」ってすぐする奴なんですよ。こんなのは嫌でしたよ。こんな奴のしたで出来るかって思ったらね、そのまま監督になってね。


 ある日ヤクルト戦で、8回2死一点差で一塁空いてるんですよ。敬遠の場面なんですよ。「ここで敬遠するんじゃないかな」ってベンチ見たらね、なんと監督さんがいないんですよ。こそこそ逃げて行って。驚きましたね。「なんだ、監督いないぞ、オイ」ってね。この人ピンチになるといなくなる人だったんですよ。

 で、様子見ようと高めに投げたら、バッターが思いっきり打ったんですよ。そこで外野が敬遠だと思ってボーっと見てたら、そこに飛んでいったんですんね。2アウトですからランナー走りますよね。同点になって結局私の勝ち星も8回で無くなったんですよ。頭来てね、バカな監督がいるなって。ベンチが采配を振らなきゃいけない大事な場面なんですよ。その時に逃げて居ないんだから。


 ピッチャーが一勝するって大変なことなんですよ。ほとんどのピッチャーが一勝もできずに辞めていくんだから。その重みが分かってない、あの監督は。私はそれでガッカリして、もう代打も出たし、同点だし、もうベンチに上がろうとしたらそこに新聞記者が来てね。「アホやろ、あいつら」「アホちゃうか」「もう野球できるか、あんなんで」とか色んなこと言ったんですよ。そしたらね、新聞記者がね、しっかり「ベンチがアホやから野球ができひん」ってコピーを作ってね。一面ですよ。「江本、爆弾発言!首脳陣批判」って。

物凄い大問題になったんですよ、関西では。


 で、翌日球団に呼ばれたんですね。「お前こんなこと言ったんか?」って。机に今日のスポーツ紙がずらりと並んでいてね。「状況をいうと……こう言うことで…」って言ったら「まあ、でもこれだけ騒がしたんだから責任は取れよ」と。

「私は責任は取りません。処分を受けるようなこともしていませんし、もういいです。辞めます。」って任意引退届にサインをしてね。

それで私は野球を辞めたんですよ。

だから阪神タイガースにはそれ以後縁がありません。