阿刀田高

 

昭和五十八年六月二十二日、大学付近の喫茶店にて


『けじめをつけた僕の中退』

人研「学生時代は何か、文学のサークルに入られていたのですか」

阿刀田「ええ。仏文学研究会っていうのが当時あったんです。第一学生会館の二階に…。まあ、学生のサークルってものはある意味では、皆でたむろして遊んだり、雰囲気さえ良ければ何をやるかっていうのはあまり重要じゃないときもありますからね。昼間っから酒を飲んだりもしましたし(笑)」

人研「野坂(昭如)さんは先輩にあたるわけですね」

阿刀田「そう。でもあの人は学校にあまりこなかったからなあ(笑)。早稲田って言うのは、出たのにロクなやつがいなく、中退がいいっていわれてる大学ですからね。僕はいつか、『学校で発表する資料だけは、卒業した人を優先しろ』ってね(笑)。大部分中退っていわれてる人は、あれは正確には末籍というんです」

人研「授業料の滞納で」

阿刀田「僕も実を言うと、中退してるんです。大学二年の頃、結核になってね。休学するつもりだったんだけど、事務局の人に、『一年以上も休むんなら、中退した方がいいよ』って言われてね。ちゃんと手続きをとれば無試験で復学できるんですね。その間の授業料も納める必要ないし。だから、二年間療養して、ちゃんと復学できました。けじめをつけてやるのが中退であって、末籍とは格が違うんですから(爆笑)」


『僕は脱公務員作家です』

人研「実際に作品を書き出したのは?」

阿刀田「ずっと後です。入った当時は新聞記者を目指していたんですが、肺結核でダメになっちゃったんです。当時はこれにかかると就職は絶望的でしたから、しかるべきところで採用してくれればいいなあ、って気持ちだけでしたね」

人研「国会図書館の司書になられたのは」

阿刀田「今でいう図書館情報大の別館で一年間勉強しまして…。別に図書館が好きなわけじゃなかったんですがね。あれは国家公務員だけど、公務員試験を通らなくていいんです。立法機関ですから。一般の公務員は行政機関に属しているでしょう」

人研「そうですね」

阿刀田「だから三権分立の原則からいって、行政機関の人事院がやる公務員試験の範疇外なんですね。まあ、体のハンディもありましたし、そんなに悪い仕事だと思わなかったですから…。給料はたいしてよくなかったですね。ですから雑文書きというか、コラムを頼まれたら書くという事を始め、だんだんそれが本業になっちゃったんです。小遣い稼ぎのつもりが、最後には月給よりたくさん稼ぐようになってしまいました(笑)」

人研「一番最初の作品は?」

阿刀田「ショートショートでしたら『海糸草』っていう作品です。多分昭和四十年くらいですね。ショートショートが日本に紹介されたのが三十六年ぐらいですから」

人研「小説家になろうと考えたとき、不安はありませんでしたか」

阿刀田「月給よりたくさん稼いでましたから大丈夫だろうと思いましたよ。生き方の問題として、食っていけるんなら好きな仕事をした方がいい、というところに落ち着いた気がしましたね。思い切ってやめて、二、三年は種々の事をやってました。そのうち、せっかく物書きになったのなら小説なりに、カチッとしたものを書いては?と言われて小説を書き始めたんです。だから…ほんの十年くらい前でしょうかねえ」


『なぜ映像のミステリーがつまらないか』

人研「何年か前に、阿刀田さんの『来訪者』がテレビ化されましたね(注:テレビ朝日『土曜ワイド劇場』)」

阿刀田「ええ、おわりの方にならないと『来訪者』ってわからなかったでしょ。本人もそう思って見てました(笑)」

人研「テレビだとイマイチでしたね(笑)」

阿刀田「僕の小説をテレビ化するのは非常に難しいんです。やっぱり小説の技法とテレビの技法とは、ある意味では違うと思うんです。そのことをあまり意識してないし…僕の小説はどうも映像的じゃないんです。細かい点では小説が小説であるための技法、小説だから使える技法を色々駆使してるんですが、それが映像化する時にはネックになるらしいんです」

人研「ミステリーは映像化しにくいですし」

阿刀田「それもありますね。ある程度お客さんに我慢してもらわないとダメなんです。基本的に推理小説は半分くらいはつまらない部分があるんです。それを我慢してもらってそこから先からだんだん面白くなるわけです。ところがテレビの場合は、最初から面白くないと、チャンネルを変えられますから(笑)。それと、キャスティングを見ると犯人の見当がつくんですね(笑)。角川映画なんかそうでしょ?(笑)この映像と小説とはどう違うかってことは非常に面白い問題ですね」

人研「特に短編ミステリーの映像化の場合、最後の数行のどんでん返しがうまく生かされてませんしね」

阿刀田「それに日本人っていうのは、はっきりとした説明を要求するクセがあるんですよ。例えば『ナポレオン狂』について言えば、『結局、剥製にされたんですか?』って聞いて、著者に答えてもらわないと満足しないんですよ。だから『テレビとはこんなものだ』って言われたらこちら側は『はあそうですか』って言うしか仕方ないんです」

人研「テレビ化される利点はありますか」

阿刀田「まず、お金がたくさんもらえることですね(笑)。元々『来訪者』は『小説新潮』に発表したんですけど、その時いただいた原稿料が約十万円くらいかな。賞(注:日本推理作家協会賞)をもらって『問題小説』に転載された時に転載料が二十万、テレビ化された際に原作料でいただいたのが五十万円ですから(笑)。そういう意味じゃ、『来訪者』っていうのは孝行息子でしてね(笑)。後、単行本や文庫本になって、その中の稼ぎの何分の一にもなりますから(笑)」


『ヒッチコックは小説を映像化する天才』

阿刀田「これは書いたことがありますけれども(注:新潮社『恐怖コレクション』)、『サイコ』というヒッチコックの映画がありますね。あの映画はよくできています。ヒッチコックがすばらしい監督だなあと思うのは、あれは原作を読んでみるとわかりますけど、二重人格のドラマですね。そして最後の最後までお母さんが生きてるんじゃないかということを感じさせ、そしてそのお母さんを随所に出すわけですね。あれはアンソニー・パーキンスが化けてるわけですが。実際に死んで存在しないはずのお母さんを色んな所で、あたかも生きてるようにさせてます。小説ではね、何も苦労はいらないんですよ」

人研「小説の方が、ですか」

阿刀田「ええ。だから小説だと、『お母さんが出てきた』と書いて、お母さんの女言葉で話せば、読者はお母さんが生きているものだ、と思うより仕方ないわけです」

人研「なるほど」

阿刀田「ところが映像では、出てこなければダメなわけです。しかしはっきり出てきてしまったら、『あ、あれはアンソニー・パーキンスが変装してるんだ』ってわかってしまうわけです。また、隠してばかりいたらそれでばれてしまうこともあるし、アンフェアですね。別の俳優を使ったら、それこそアンフェアですよね。だから、チラ、チラと出しておきながらなおかつ、それがわからないようにする点では、ヒッチコックはすばらしい技法を用いてますね」

人研「小説だと、せりふだけで済むわけですね」

阿刀田「そうなんです。そのせりふにしても、映画だと難しいんです。完全な女の声にしてしまったら、アンフェアでしょう。後になって精神分裂症患者が女に化けて声を出してるとわかるんですから、きっちりした女の声が出るわけないし。おカマみたいな声にすると見てる人にばれるし。そこのところを映画では上手にしなければいけないわけです」

人研「〝二重人格〟を映像化するのは難しいですね」

阿刀田「映像の技法と小説の技法とは相違点がかなりありますね。で、僕の場合はめいっぱい小説の技法を使って書いているんです。だから急に映像化しようとすると…」

人研「どうしても無理が生じてくるわけですね」

阿刀田「でも、僕は時々テレビのディレクターやプロデューサーに言うんですよ。『確かに難しいだろうけれども、それを考えるのがあなた方の仕事でしょ』ってね(笑)。小説の技法を映像の技法ではどうするか?と考えるのが彼らの役目なんですよ。だからふり返ってみると、やっぱりヒッチコックは映画作りの名人だなあっていう気がしますね」

阿刀田「これは僕個人の考えなんですけれど、最後の方でアンソニー・パーキンスが、お母さんのミイラを抱いて回り階段を降り、地下室へ行くシーンがありますね。あれは上から撮ってます。この場面で気がつくのは、『サイコ』という映画は上から撮ってるアングルが非常に多いということです」

人研「探偵を殺す場面もそうですね」

阿刀田「ジャネット・リーが浴場で殺される時もね。もし横のアングルで撮ると、お母さんはミイラだとばれてしまうでしょう。だから、それをわからせないためには上から撮ればいいわけです。だけど急にあの場面だけ上からのアングルにすると、隠すために上から撮ったのでは?と思われるから、始めから上からのアングルをたくさん使ってます。そしてあの場面も、そうしたたくさんある上からのアングルの一つだよ、と見せたんじゃないかと僕個人は考えてます。色々な方法を駆使し、色々な技法で、映像の中で〝二重人格〟というものをうまく表現するにはどうしたらいいかという点をよく考えています。だから、『これは映像的じゃないから』といってうまく映像化できないのは、映像化する側の資質の問題じゃないかと思いますよ(笑)」


『作家を悩ます三つの苦しみ』

人研「話が戻るようですが、アマチュアで小説を書いていた時から比べて、プ

ロになって苦痛に感じたことはありませんか」

阿刀田「ある時期を除いて、小説を職業にして書くようになってから楽しいと

思ったことはほとんどないですね。今は全く最悪って感じです(笑)。一年に

一回くらいかなあ、多少はいいかなって感じがするのは…」

人研「どういう点が苦痛なのですか」

阿刀田「他の人は知りませんけど、僕の場合三つの苦しみがありましてね。ま

ず、プロットを考える苦しみ。次に物理的に書く苦しみ。最後に仕上がりを読

み直す苦しみです。特に一回目の読み直しはつらいですね。『せっかく書いたの

に、これで悪かったらどうしよう』って思うんです。もう時間がないのに。で

きるだけ『いい出来だ』と思いたいんですが…直してもあまり変わらないことを知りつつ、手を入れて〆切までにどう直そうかと考えたりするんです(本当につらそうな表情)」

阿刀田「書くのもつらいですよ、物理的な労働だし。プロットを作ってる時はまだ、頭に浮かべればそれでいいのですから。例えば『いい女が出てきた』ってね。だけど実際に筆をとって書く時には、読者が読んでわかるようにしなければならない。『いい女』とはどういう女なのかということを書かなければならないんです。そのために色々想像力を働かせなければならない。きついですよ」

人研「そうですか」

阿刀田「しかしそれでも、プロットさえ良ければ大体大丈夫なんです。肉付けのやさしいものと難しいものもあるんです。一年に一つあるか、ないかですよ。一時間に書ける枚数って、三枚から四枚でしょう。写すだけでも五枚が限度だから、五十枚の原稿を書くってことは十~十二、三時間かかるんですから(一同、ため息)。必ずしもいい作品になるかどうか分からないものと、十時間も面と向かわなければならないかと思うと…。緊張して働ける時間って一日に五、六時間ですから、二、三日は同じことを考えなければならないし。もう、それを事前に考えただけで『いやだなあ、酒を飲みに行きたいなあ』っておもいますよ(笑)。楽しいことはほとんどないです」


『これからはあまり書かない予定です』

人研「現在はどんな生活をなさってるんですか」

阿刀田「そうですねえ…。今はできるだけ仕事をしないように、ただそれだ毛を考えてますね(笑)。原稿はまず断るということを考えてます。連載もほとんど切って少なくしましたし」

人研「原稿は月に何百枚ほど?」

阿刀田「いやいや、今月、これから先について言えば百枚も書かないと思いますよ。昔一番多く書いていた時でさえ三百枚ですから。僕は昼型で、そろそろ書かないとなあ、と思う頃に仕事場に入ってただ書くと。書けなくてじーっとこらえてる時もあります」

人研「前々からショートショートのような物は好きだったんですか」

阿刀田「そうですね」

人研「外国の人では」

阿刀田「僕の作品は本当にある意味では、外国の影響を受けた作品が多いですね…ヘンリー・スレッサー、ロアルド・ダール…とか、一連のアメリカの、パルプマガジンやプレイボーイに寄稿しているものの影響をうけてますね」

人研「ダールの作品集を読んでみて思ったんですけど…国民性の違いかもしれないけど、『これ、どこが面白いのかなあ』って首を傾げたものもあるんですけど…」

阿刀田「ダールは特にありますね。星(新一)さんともそういう話しましたし(注:早川書房『飛行士たちの話』)。うーん、『南から来た男』、『海の中へ』」

人研「『おとなしい凶器』」

阿刀田「ダールの作品集としては、『キスキス』が一番いいですね」


『自分の世界を表現できる長編を書きたい』

人研「長編小説よりも案外、短編小説の方が難しいと思うんですが」

阿刀田「そうですね…長編だと仕事のやり方がまともですね(笑)。期間が長いから、取材も調査も時間をかけれますし。短編はというと、〆切に追われて気違いじみた仕事のやり方をしないとダメですからね」

人研「今後、折にふれて長編小説を書く予定は?」

阿刀田「自分で根っからの短編書きだなあって思ってましたけど、短編も疲れるし…長編にも意欲を持ってきたし…。小説家っていうのは、ある程度書けば文章力も構成力も自然についてくるんです。ですから今、推理小説を書いてみろ、と言われたら多分書けると思うんです。でもね…松本清張さんや森村(誠一)さん、夏木(樹子)さんが書いている世界を、また自分が同じように書く必要もないような気がするんです。長編も『これが僕の世界だ』っていうようなものを書いてみたいと思っています。いつか、と言わずに二、三年後には必ず発表しようと思ってますね」

人研「もし阿刀田さんが僕らと同じ世代に生まれて、今のような学生でしたら、どういう生活をおくられますか」

阿刀田「うーん、そうだなあ…。そんなに変わらないと思いますね。だけど昔と比べて、今の学生さんは勉強しなくなりましたね(『言えてる』という声多し)。早稲田にしても質はずっとよくなったはずなのに…。今の風潮ですかねえ?」

人研「受験戦争の影響かなあ」

阿刀田「僕は、教育とはものを学ぶことが楽しいんだ、ということを教えてくれなくちゃダメだと思うんです。機械的に覚えこむことじゃなく。その点では、僕らの時代はある種の楽しさがありましたね。今はその点で、悪い時代になったような気がします」

人研「『恐怖コレクション』を読んで感じたのですけれど―日常生活のあらゆる所に恐怖が潜んでるという視点で書かれてましたが…、今、一番恐いものってなんですか」

阿刀田「うーん、一貫して恐いのは〝狂気〟ですね。自分の中の〝狂気〟、自分がコントロールできなくなることかなあ…」



後記

作家というと、概して無口で根暗で横柄な人物が多いのだが、阿刀田さんはそのどれにもあてはまらなかった。大学の後輩ということで、さりげなく我々に気を許してくれたのかもしれない。「これからはあまり原稿を書かないようにする」と言われていたが、ファンにしてみれば、どうかそんなことを言わず、これからもどんどん作品を発表してほしいというのが正直な気持ちだ。何はともあれ、わざわざ御足労いただいたことに感謝を禁じえない。