辛坊治郎

 

 

 

プロフィール

辛坊 治郎(ニュースキャスター)

1956年生まれ。早稲田大学法学部卒。読売テレビ報道局・解説委員(2010年よりフリー)。芦屋大学等客員教授・非常勤講師。シンクタンク大阪綜合研究所代表。

 

 

(以下、会見録)

 

 

2004年7月7日 AM10:00~11:30

汐留シティセンター10F読売テレビ東京支社にて

 

[人研] 辛坊さんは早稲田大学卒業ですよね?

 

[辛坊] うん、1980年。一応ちゃんと卒業してるよ。それもねぇ、自慢じゃないけどねぇほとんど全優だよ。可が一つあってねぇ、債権総論だけなんか可、なんか嫌な教授でねぇ、みんな可なんだよ。それだけ可であと全部優だったもん。自慢じゃないけど成績いいんだよ。もう一遍大学院行きなおして弁護士いこうかと思うくらい。

 

[人研] 司法試験を目指されてたんですか?

 

[辛坊] 最初の一年はねぇ、厳密に言って最初の2ヶ月ぐらいはねぇ、創法会っていうのあるんだよ、法学部の創法会と緑法会と刑法会っていうのがあるんだよ。あーごめんごめん創法会じゃねーや、そんないい加減なこと言っちゃいかん、刑法会にねぇ、確か2ヶ月入ってねぇ、一回部室に行ってねぇ、雰囲気に耐えきれずにねぇ、やめた(笑) 刑法会はまたやわらかかったんだよね、緑法会なんかに比べるとだいぶそのフレンドリーな雰囲気だっていうからねぇ、入ったけどねぇ、こりゃあかんわと。で、司法試験だってちゃんと受けたんだよ俺は。

 

[人研] あっ、そうなんですか?

 

[辛坊] 一回受けてねぇ、3年の時に受けて短答で玉砕してねぇ、もうこりゃあかんわと(笑)

 

[人研] 司法試験の勉強を学生時代にやってたんですか?

 

[辛坊] やってない。もうだから最初の半年で。ただ今になってねぇ、あっ、こういう風な仕組みだったんだと、今から思えばわかることがいっぱいあるんだよ。あっ、法律というのは所詮、所詮って言っちゃあ何だけど、こういうもんで、こういう風にしてたぶん勉強したら、こういう結果になったんだろうなと。

 今から思えば非常にクリアに世の中の構図がわかるんだけど当時は目の前にあるのは教科書しかないわけで、自分のやっていることが一体この学問全体や社会全体の中でどういう位置付けにあるものかということの理解ができないわけだよ。そうすると教科書読んでてもね、字としてはわかるんだけどだからどうしたと思うわけだよ。そうするともうそっから先はもう広がっていかないわけで、今からもう一遍大学入れてくれてねぇ、勉強し直したらねぇ、きっと違うんじゃないかなと思う。そういう意味じゃ全体を見通す、全体の中で自分のやっていることを見通す能力が年齢的になかったというかいってなかったと。と痛感するねぇ、最近になると、うん。

 

[人研] それで、その年でそういう勉強をして、仮に司法試験に受かってもやってることが紙の上でやっていると?

 

[辛坊] いや、それはね、まず受かんなかったらどう勉強したってたぶん受かんなかっただろうしねぇ、あの当時は。今だったらもしかすると本気で今からやれば受かるかなっていう気がないこともないんだけど。でそれはそういうことを実際しないから言うだけ話だけど。でも、どういう方向付けで何を勉強したらいいんだろうかというのがおおよそ見える、当時は全く見えなかったから。

 で、大学行っちゃあ、授業はまあ出ないわなぁ、早稲田の学生は本当に出ないよね。ひどいもんだよねあれ。去年か一昨年かなぁ、俺政経に一回だけ授業で行ったんだよ。したらねぇ、まあ他の先生がやっている講座の1日だけやってくれって話でねぇ、政経の授業行ったらねぇ、クリスマスもイブの前の日かなんかそんな非常にこんな時期まで大学やってんのかっていう時だったこともあるんだけど、前10人ぐらいしかいねーんだよ(笑) てめぇらナメてんじゃねぇかコノヤロウって。階段の馬鹿でかい教室で、うーん、いい加減にしろよって感じだったんですが、まあ我々の時もそうで、一番最初の授業の時は階段教室1000人一杯になるけれども、ひどい授業なんか3人ぐらいしか出てないもんね(笑) うん、俺も大体一番最初の授業は顔を出して、試験の前の週って試験問題教えてくれるから前の週行って、それからいつも出てる奴にノート借りなきゃいけないかな。大体一つの科目に2回3回出りゃあいい方だったなあと、うん。

 あとは学校行って、俺当時埼玉県の入間に住んでたんで西武池袋線で池袋まで行くわけですよ。それから山手線に乗り換えて高田馬場で、高田馬場からバスか歩くかどっちかなんだけど、朝起きて、1時間目の授業に間に合わせようと思ってちゃんと起きて家は出て電車にも乗るんだけど大体池袋で力尽きるの。(笑)で、池袋のパルコの屋上に上がって半日日なたぼっこしてそのまま帰るとかね(笑) なんとか学校まで辿り着いて掲示板見て、あ、休講じゃないってガクッとしてだね、だけどどうせ出ないんだから関係ないんだけどさぁ、関係ないっちゃあ関係ないんだけどその休講掲示板の前にぼーっといるとなぁ、クラスの連中が何人かくるわな。そうすると、今の学生はあんまり麻雀しないみたいだけど、まあ行くとこっていったら麻雀荘しかないわけだから。雀荘はクーラーも効いてるし、紅茶はタダで入れてくれるし、ね。

 そんな学生生活が何年か続いて、こりゃいかんなというんで大学の3年の時に夏休みに、当時まだねぇ1970年代の後半だからあんまり海外行く人いなかったんだよ、今もう学生で海外行くなんてのは、学生で海外行くよりはユースホステル泊まってる奴探す方が珍しいくらいだよ。で、バックパッカーの走りでじゃあちょっと行ってみようって思って大学の夏休み挟んで前後3ヶ月、主に西ヨーロッパから一部北アフリカ、モロッコ、それからまあトルコまでまあ3ヶ月くらいぷらぷら旅をしながらさあこれから何をしたもんかなぁ、どうも法律家にはなれそうもないし法学部入ったけれども。じゃあまあ民間企業に就職するにしたってどの方面にしようかなあっと思い思って3ヶ月行って旅にとりつかれてたね。ああ今もうとにかく今のとにかく目標というか夢というのは人生にある、できればもうあと何年間かで一区切りをつけてあとは旅に出たいなあって、うん。旅ってやつは一遍なんか取り付かれると抜けられないね、麻薬みたいなもんだね、あれはね、うん(笑) あん時と俺は学生の時にあの旅を経験してなけりゃあもうちょっとまっとうな人生だったかもしれないけど、どうも社会人になってからのまあ会社をやめてどっかに行く程の度胸も根性もなきゃ、カミさんも子供もいるんでそういう無責任なこともできないわけで、そうすると休みをできるだけたくさん確保して旅に出ると、でその旅に出るために、まあいえば会社来て働いているようなもんだね。いえばもう俺は好きでやってるわけでも何でもなくてだから、俺はもうサラリーを貰うためのツールだからね、手段だからそれ以上のものでも以下でも決してないわけで、ええ。社会的使命だとか何だと考えたこともない、自慢じゃないけけど(笑)

 

[人研] 今の部分はやっぱりオフレコにした方がよろしいですか?

 

[辛坊] いやぁかまわないですよ全然、ええ。公言してますから(笑) だけどねぇ一応、僕の人生振り返ると、その振り返るようなことじゃないけど必ずどこか貧乏性だから、家がそんなに金持ちじゃなかったから、親が普通の自衛官で国家公務員で何とか自分の食い代は自分で稼がなくちゃいけないと。こういう状況だとどうしても自分の中でフェイルセーフは考えるわけで、もし例えば就職にあたって就職がダメだったらどうするんだって話、民間企業だって必ず採ってくれるとは限らないわけだしね。じゃあ自分でベンチャーで商売を起こす程の才覚があるかといったらこれもまあ自分の適正なんてのはある程度わかってるからないだろうと。で司法試験ももしかすると死ぬ気で頑張ったら受かるかもしれないけれども受からないかもしれないと。受からなかった時どうするんだっていう話になると。で大学の時にはまあ最低限で公務員の試験ぐらい受けておこうかと思って。で基本的には埼玉県に住んでたんで埼玉県の上級職というやつと1つまあフェイルセーフで押さえようと。でこの国家公務員の当時上級と地方公務員の上級はもうやっぱレベルが全然違うから。国公の上級はやっぱ余程本気で勉強して司法試験に受かるぐらいのつもりでやらないと受かんないけど地方公務員のまあ上級ぐらいだったらまあなんとかなるわけで。でまあ埼玉県庁の上級職を受けるつもりでその最低限のベースの勉強だけはしておいて、あとはまあ僕らの頃は就職協定が厳しかったから大学4年の10月1日までは就職活動は基本的に一切しないと。ただこれもねぇ後から聞いたら嘘でね、結構まあOB訪問などとか何だとかまあ内々定みたいなやつがいっぱいあったらしいんだけど、俺なんか純朴な好青年だったからねぇ10月1日までダメだって言われたらそりゃあダメなんだなぁと思って、それで就職活動もせずに10月1日に一番最初に住友商事の前並んで、1日に7社ぐらい回って商社と銀、あっ銀行は行かなかったかな、商社と不動産と航空会社となんだかもうアトランダムでもうわけわかんなくてとりあえずどっか入れりゃいいだろうというつもりで。そりゃあ8月に公務員試験受かってからね、まあまあ非常に気が楽だったということもあって。でなんだかんだしているうちに12月になって、うん。でまあ縁があって読売テレビ入ってということで今まで来たと。

 

[人研] 当時からこういう業界に入るつもりとかが強かったわけでも?

 

[辛坊] 全くないね。全くないというか、丁度その夏休みの頃に公務員試験の勉強してて、その後就職試験は10月1日始まった頃にちょっと空白期間ができたのよ。10月1日から会社訪問解禁でまあしばらくこう会社訪問通ってるといろいろ嫌な目にも会うんだよね、そりゃあまあ当たり前だけどさ。今でも忘れないのは某航空会社行ってさ、10月1日から会社訪問解禁で4日ぐらい経ってから行ってるから向こうも何で今頃来やがったと思うわけだよね。でこっちもまあ別に来たくて来たわけじゃねぇやと思うわけだけど、どっちもどっちなんだけど、そしたら向こうの面接官がいきなり「うちはあれなんだよ、とりあえずねぇ入ってもらうとねぇとりあえずパーサーで飛行機乗ってもらうんだよ」「あ、いいっすねぇ僕飛行機好きですから。大好きっす、やらせてもらいます」「ああそう、じゃあ一生パーサーでもいい?」って言うから「はい、私飛行機好きですから一生やらせていただきます」って言ったら「いや、そういう人材は欲しくないんだよね」って(笑) おまえナメてんのかと、この飛行機会社だけは乗ってやるかと思ったけどね。僕はここの会社入って面接官になった時ね、一番心がけていることはね、受かるやつはね、自分の部下なり社員だからまあ少々いじめたっていいんだけど落ちる子はできるだけ親切にって、視聴者、お客さんだから。もう痛感したねそれを。

 まあそれでなんだかんだしてるうちに10月の半ばぐらいにいつものように就職部の掲示板行ったらフジテレビがね、リポーター・司会者募集って書いたチラシが出てたの。で、1日1000円日当差し上げます受験者に、いい時代だよね。当時フジテレビは四ッ谷の上の方にあって歩いていける範囲だったの早稲田から。で学校来たついでにじゃあ行ってみっかって思って行ったら一番最初何だかテレビで見たことあるようなおじさんが座ってて「えー学校の名前と、えー志望動機を言って下さい」って、15秒ぐらいしゃべって、「はい、ご苦労さんでした」って帰されて、そしたら通ったの。通ったって言ったってねぇ、1300人受けに行ってねぇ、1次募集で半分に絞ったっていうからまあ600人くらい受かってんのかな。それで次の試験は1月先ですっていうのね、だからまあ1次選考で半分に絞って、その次の試験は1月くらい先だったの。でその1次選考の時に「何なんですか、このリポーター・司会者は?」って言ったら、「いわゆるアナウンサーです」って言うからアナウンサーね。でその日に本屋に、次の日受かったっていう連絡が来て次の本試験は1月先だっていうから本屋行ったら、なんかそういう当時からアナウンサー学校やアナウンス研究会みたいなやつあったんだけど俺全く関係なかったから本屋行ったらこうなんかそういうの目指す人のためにみたいな本があるわけだよ。そこで本買って来て読んだら、「とりあえず電車の窓から実況しろ」って書いてあるんだよ。「電車の窓から実況するの?」って、当時入間だから電車乗って、朝満員電車乗って、「よぉ見えてまいりましたのは豊岡小学校の赤い屋根」いいよこれは、うん。もうね、なんつったってねぇ喋ってるともうどんな満員電車でも空くんだよ(笑) 場合によっては客が立ってくれたりなんかしてね、ラッキーみたいな。それ1月間とそれからねぇその本に書いてあったのが看板読めって言われたの、街行く。(窓の外を見て)ユニオンクレジット、マスターカード、ビザ。そうするとねぇ、人間って生まれ持って口の形、舌の位置、歯の並びで発音しやすい音としにくい音があるんだよ。で発音しにくい音というのを無意識に人間は避けるんだよ、ね。そうするとねぇ別にアナウンサー目指そうというんじゃなくても何か人と会話をする時にボキャブラリーが、どうしても語彙が不足する人というのは、例えばサ行を言いにくい人はサ行の入っている言葉というのを無意識で外すと。ラ行の入っている言葉を無意識で言いにくい人は外すということになると、使えるボキャブラリーが減ると表現力が少なくなって、当然説得力も落ちると。とにかく看板読むというのは自分の出しやすい出しにくいにかかわらず、リクルートなら必ずラ行が入ってくるわけでね、そこにね。そういったことをずぅっと読みながら言うことによって今まで自分が一生涯の間にほとんど出したことがなかったような音を口から出すという訓練になるっていう、今から思えば嘘かなぁって思うんだけど。でもこれは確かにちょっと効いたかもしれない。街歩いているともう看板読みながら歩いているとね、これは皆さんやる時は交通事故には気をつけてもらいたいんだけど。そんなこんなで1ヶ月、で次本試験で、あとはねぇアナウンサーの採用試験ってこんなもんかって思ったんだけど、(目の前の紙コップを見て)こういうコーヒーならコーヒーが机の上に置いてあって、「はい、2分間見て」「で、2分間しゃべって、何でもいいから」ってそういう試験が7次選考まであったのかな、ラスト3人まで残ったんだよ。それで俺は天才だなって(笑) 家帰ったら電話かかってきてフジテレビから、「えー今回はご縁がなかったということで」って。そしたら1週間、いやもうちょっと経ったぐらいかな12月入ったぐらいから、もう大学4年の12月だからギリギリだよね、あと3ヶ月で卒業っていう時になって読売テレビから突然電話がかかって来て。今はそんなことしてないんだけど当時はなんかもう業界でみんなツーツーで、「お宅なんか落ちたそうだけど誰かいいのいない?」みたいな話になって。で読売テレビはその年1次募集をかけて正規に10月から選考したんだけど最終選考に残った1人が役員面接で落ちたの、でゼロになったの。だけどどうしても男がいるっていうんで、でアナウンサー試験を各局落ちた人間とまあアナウンサーの養成学校みたいなやつがいくつかあるわな、ああいうとこの出身者をセレクトして8人に2次募集かけて、8人で選考やって2人受かったの。だから俺は読売テレビ競争率4倍。たぶん民放の局アナの中では競争率1番低くて入っている。そういうことですわ。だからねぇ、別に星雲の志も何もないんだよ、うん。

 それで1番最後に悩んだの。その時住商には申し訳ないんだけど、住友商事と読売テレビと埼玉県の上級と3つ選択肢はあったの。でどうしようって考えたの。で埼玉県の県職の上級はねぇ、まだ内定は出ないんだよこの段階では、名簿には載っているけれど。ただまあ最後はどっかが入れてくれるはずなんだけどね、余程成績悪くなきゃ、受かってりゃ。でまあここは別に断りに行かなくて済んで、で住商と読売テレビで悩んだの。そん時に始業時間っていうか会社の始まる時間がねぇ、ここが1番遅かったの(笑) ここはねぇ朝10時スタートだったの。10時だとラッシュ外れてるなと。いい会社じゃねぇかと思って入ったら今3時起きだよ(笑) 何とかしてくれよ、ほんとに。

 

[人研] それでこう読売テレビでアナウンサーとして始めたと?

 

[辛坊] そう、一応アナウンス部というところの採用で入って。ただだけど元が素人だからねぇ、声なんか出やしないよ。だから5分もしゃべってるとねぇ喉が涸れてきてねぇ何言ってんだかわかんない。それで俺と同期で入ったもう一人のアナウンサーっていうのが、そういつはもう中学校の時にNHKのアナウンスコンクールで全国何位というようなそんな奴なんだよな。そうすると二人なんだよこれが。そうすると俺を採った上司がね、最初に研修するわけだ。大学卒業してまでこんなことやるの嫌だなと思ったけど、会社の屋上で朝からさぁ「あー」だの「えー」だの「うー」だの(笑)でっかい声出さされてさぁ、何でこんなことしなきゃいけないんだろうって思ったんだけど、だけどすぐ声は出なくなるし。で俺の上司が「辛坊おまえな、うん、ダメかもしんない」って。おいおい、まあいいや別ダメでも、クビになるわけじゃないし、と思っていたらあんたもうねぇ、アナウンス部から外れてもう10何年だけど、まあやっている仕事は似たようなものだからねぇ。ということですわ。

 

[人研] 今外れてやっていることはほとんど変わらないんですか?

 

[辛坊] まあなんか最初に普通にこう情報番組のリポーターとかまあそういうものをずうっとやるわな10年ぐらい。それで1990年から夕方のニュースのキャスターになったんだわ、ローカルのね。でまあ所謂報道畑で。でその夕方のニュースでキャスターやっている時にもうやっている内容は全部報道だから、それで管理職になったもんだから途中で、管理職になると組合がストとした時にカバーする要員になるんで、まあ取材もしなきゃいけないということになって、じゃあまあ報道に移籍するかっていうんでよく覚えてないけど、たぶん今から10年ちょっとぐらい前に報道部に変わって、組合がストするような時にはしょうがないから記者の端くれみたいなことして取材に行って、してるうちにまあ僕は大学で、夕方のニュースのキャスター始めたと同時に関西の大学でメディア論めいたものを教え始めて、それでまあそのコネがあってちょっとアメリカの大学で研究員で来ないかって話が97年にあったのかな。それで夕方のニュースのキャスターを辞めさせてもらって、アメリカ行って、まあ1年ちょっと研究生活をして帰ってきて、本書いて、であとはまあ管理職で穏やかな生活と老後を迎えようと思っていたら、何の因だか今度は昔々ズームインというののリポーターを80年代にやっていた時の割と一緒に仕事をしてた当時ディレクターだった奴が今のズームインスーパーという番組の中の総監督という総合演出にもうなってたの、ね。

 でそのズームイン朝が7時から8時半の1時間半番組でずっとやってきたんだけど、もう20何年もやってくると金属疲労を起こしていると。で5時半からのワイドに拡張したいって話になって、その時にその15年ぐらい前に一緒に仕事をしてた総合演出の兄ちゃんが、「ちょっと来ない?」って話になって、えぇー、「ちょっと来ない?」って言われても俺読売テレビの人間だから、読売テレビと日本テレビは完全に別会社だからね。これは放送法っていう法律があってその施行規則っていうのの中で日本の放送局というのはマスコミ集中排除の原則っていうがあってね、マスコミというのは非常に影響が大きいから一つの資本が権力を持ってはいけない、だから東京の日本テレビは関東でしか放送したらいけない、読売テレビは関西でしか放送してはいけないと。今ねぇ日本に民放はBS含めて205局あると思うんだけど、205すべて別法人でなくちゃいけないっていう決まりがあるのね。だから俺が勤務してる読売テレビというところと東京のズームインをやっている日本テレビは完全な別法人だから俺が東京に来て日本テレビの番組に出るということはあり得ないんだよ普通は。あり得ないんだけど、そこは何と言うかなぁいい加減なもんで、「ちょっと来ない?」って言って、で何だか知んないけどトップ同士で話がついてだね、「いんじゃない」みたいなな話になって、それで俺は今形の上ではボランティアで番組に出ているという扱いになっているわけ。だから日本テレビからはだから無報酬のいういや何と言うかな、ボランティアですね、お手伝いというやつで、ということですわ。最初3ヶ月の約束だったんだよ。だから3ヶ月ホテルだったの、ホテルから。そうしたら知らない間にさぁここに机まで付けられてさぁ。

 

(中断)

 

[人研] 有本恵子さんの両親に娘は自分の意志で行ったんだからっていうことで圧力をかけたのは?

 

[辛坊] 圧力をかけたというか電話の中でそんな話になったと有本さんが言っている相手の政治家は中山正輝(M.N)さん。

 

[人研] あっ、そうですか。これはやはりオフレコの方がよろしいですか?

 

[辛坊] どうだろなぁ、一部出てるよもうこれは。

 

[人研] あっ、そうですか。

 

[辛坊] うん、少なくとも俺は見たことがあるなぁ。じゃあねぇ、えーとねぇイニシャルにしよう。大阪選出の代議士でもう引退をされた方で、塩川さんでも野中さんでもないと。のN.Mさん、Nさんぐらいにしとこうか。Nさんだと野中だと思う人が山ほどいるかもしれないけどそれはそれでいいだろう(笑)

 

[人研] 中曽根さんかもしれないですからね。

 

[辛坊] ああ、中曽根さんね。

 

[人研] 芦屋大学の非常勤講師をやっていたことがあるということなんですけれども、きっかけはどういったことだったんでしょうか?

 

[辛坊] 元々ねぇ、芦屋大学の理事長、総長という人が福山さんという方でもう亡くなったんだけど、この人が読売テレビの番組審議委員会といって各放送局には番組審議委員というのがいて委員会というのが実はその放送局が適正に放送法に則って放送しているかというのをまあ見る、これは法的設置が義務付けられている法的、公的機関なんだよね、各放送局には放送免許を与える代わりに番組審議委員会というのを作らなければいけなくて、でここは所謂地域の有識者になっていただくということになってて、元市長だとか、まあ芦屋大学の学長というのが元大阪府の局長で芦屋大学の理事長になった人なんだけど、この人と私が割と親しくさせていただいてて、ちょっと放送関係の話で来んかという話を言われたのが1990年で今年から俺客員教授なんだわ、肩書きとしてはね。だからまあ去年まで非常勤講師で今年から客員教授と、途中アメリカ行ってる時は抜けてるけどね。そんなことなんです。

 で、非常勤講師はねぇ俺今でも去年、あっ、東京に来る前の年にはねぇ、関学、関西学院の非常勤講師を半期、後期やったんだわ。で次の年も頼むって言われてたんだけど東京へ来ちゃったんでこれはできなくなっちゃったんだけど芦屋大だけはまあそういう昔からの因縁があるんで東京来てからも続けて欲しいということなんで今、週1回日帰りで通ってます。で関学の非常勤講師になった経緯は、これはねぇ本を98年に書いたやつを学部が認めてくれて、来ないかって話で行き始めて、それ以外にも立命で読売の寄付講座っていうのがあってこれは毎年1回必ず教壇立ってんのと、早稲田も一昨年2回行ったけど、まああと各地転々として時々いろんな大学行ってるよ。そんなことです。

 

[人研] 98年の本といいますと「TVメディアの興亡」の方ですか?

 

[辛坊] そうです。あっ、ごめんあれはねぇ98年に書いたんだけど出版が2000年だったの。あれもう98年に書いてるから元々非常に古いのは実はあれ97、8年にはもう完成してたんだわ。だけど出版社の都合でねぇあれ新書っていうのは月に出す冊数が決まってんだよね。それでもう3年ぐらい先まで何を出すかほぼもうスケジュールが組まれてたんで98年に書き上げて2000年に出すっていうのはこれはすごく辛くてねぇ、どんどん情報が古くなるんだよね。それはちょっとまあ出た時にはもうちょっと古いなって話もあったんで自分の中では忸怩たる思いはあるんだけど、まあそれです。それがきっかけで関学は行くようになりました。

 

[人研] アフガニスタンに行かれた時の本(「ふらっとアフガニスタン7泊8日」)に4つの間違いがあるということで探すともしかするとクオカードが貰えるかもということで。

 

[辛坊] おお、全部探したらあげるよ。

 

[人研] でその1つだけしか探せなかったんですけど。

 

[辛坊] えー、何見つけたの?

 

[人研] えーとですねぇ、ケシの実から生成されるコカインは、という。

 

[辛坊] そうそうそう、僕はねぇあれはねぇヘロインって書いたつもりが校正が効かなかったんだよ。これは僕はヘロインのつもりで書いたらコカインになっててねぇ、コカインはコカの葉っぱだろと、それは1つ正解です。はい。

 

[人研] 私は1つしか見つけられなかったんですけど。

 

[辛坊] もうあとともう1つバラしちゃうとねぇ、これは自分の中で一番ひっくり返ったんですけどねぇ、こんなミスがあるかと思ってねぇ、法隆寺の大仏って書いたんだよ(笑) 気が付かないだろこれ。大仏は?

 

[人研] 東大寺ですよね。

 

[辛坊] 東大寺だろ。俺もさぁ、わちゃーって思って、粗製濫造で1週間で書いた本だからさぁ、その構成もねぇ一応俺ともう1人とで2人で構成やってるんだけども自分で構成はダメだね、思い込んでるから。それで後でこれは自分で気が付いたわけじゃなく人に「お前さぁ法隆寺に大仏ある?」って聞かれて、「ええー、東大寺だろ」って「法隆寺って書いてあるよ」って。で「ええー」って。あと2つあります。それに類するようなね、結構笑ける話が、はい。まあ是非見つけて下さい。

 

[人研] ズームインだとか大学の非常勤講師だとか読売テレビの番組だとかで非常に忙しいと思うんですけど、読売テレビの管理職の仕事もやられているんですか?

 

[辛坊] いや、もうこっち来てからはやってません。だから最初の3ヶ月はホテル住まいで兼任してたんですが、さすがにここで月~金やっていながらも大阪に部下がいて管理職とは何だって話に当然なるわね。でだからそこで会社の中の待遇というか給料も変わんないんだけど。だからもう基本的にはこっち来たら好きにしていいよっていうことでこっちは部下というよりはアシスタントのお姉さんがいるけれども、まあ部下という感じではないよね。別に私が管理しているわけでもないから。

 そんなんで今は机がここと日本テレビにありますけども基本的にはもうほとんど日本テレビにいることが多いかな、うーん。ここは伝票整理に来るぐらいかな。伝票も自分で打たないからもうお姉さんがやってくれるんで。という状況です。

 

[人研] 長年大阪の方でアナウンサー・キャスターとして勤めていらっしゃって、こちらに移ってこられたわけですけれども、やはり大阪でのキャスターと東京でのキャスターそれぞれやはり喋り方は違うのでしょうか?

 

[辛坊] というかねぇ、まず何が違うかというと立場が違うね。だから大阪の場合は番組全体の所謂夕方のニュースのキャスターで、ということになると番組全体に責任があるんだよ。ただ、一般的にアナウンサー・キャスターになった場合番組の中での権限は少なくて、元はそうだったんだけど、記者が書いてきた原稿をそのまま読むというのが元々のアナウンサー・キャスターの仕事なんだけど、まあたまたま私がなった時は非常に特殊な環境だったこともあって、リードというか原稿のふりは全部自分で書くし、中身の原稿に関しても私が最終的に筆を入れて書き直すという、年齢構成で記者が私よりみんな若かったなんかすることもあって、そういう意味ではプロデューサーもいるし、ディレクターもいるんだけれどもまあ番組全体のある種の総括みたいなポジションだったんだよね。

 そういう意味では民放の中では非常に特殊な立場で大阪ではいたんだけど、今はこのズームインスーパーっていう番組は番組の中身にタッチしているわけじゃないから、自分の担当しているコーナーに関してはまあそりゃあ責任持たなきゃしょうがないからやるけれどもそれ以外に関してはニコニコ笑っていればいいわけで別に視聴率が良かろうと悪かろうと何の責任もないわけで、逆に言うと大阪にいる時には中身のすべてにタッチするということは視聴率の0.1%に至るまで、あるいは番組の中で何か不祥事があった場合に至るまで責任も含めてタッチするということだから、これはそれなりにしんどいというかそれをやりがいと感じられる人ならいいんだけども俺は大体負荷がかかるとしんどいとしか思わないタイプだからね。すごく苦しかったよね、うん。

 まあこれは自慢するわけなんだけどその夕方のニュースを俺が始めた時は関西で夕方のニュースの中では最下位のそれも断トツの最下位だったんだけど俺が7年やってアメリカにもう行くんで辞めさしてっていう話になった時にはまあほぼトップというところまで7年間で押し上げてきて、そういうしんどさもあったね。ただ俺の後のキャスターはもっとしんどいのは、言えばトップからスタートしているから落とすわけにはいかないっていう、今のキャスターも非常によく頑張っているんだけどまあどっちがしんどいかって言ったらまだ最下位から上げる方が楽だったかもしんないね、そういう意味ではね、うん。今こっち来たらそういう意味では気が楽だよね。うんうん、番組全体がどうなろうと関係ないんだから、そもそもうちの番組じゃないわけだから、日本テレビの番組だから、俺単にバイトっていうかボランティアで来て自分のコーナーだけ適当に喋っているだけだからねぇ。

 

[人研] まあでも大阪と東京で新聞コーナーなら新聞コーナーで読むわけじゃないですか。でやはり大阪の人と東京の人というのは感性が違うわけじゃないですか。

 

[辛坊] 全く意識しない。基本的にねぇ、それは大阪だから東京だからという以前に人間というのはまあ似たようなもんでね、結局ある一定の刺激に対しては一定の反応をするんだよね。で喜怒哀楽に関しても、そりゃあまあ若干の民族差や文化差や宗教においての感じ方の違いはあるだろうけれど基本的にこういう事件があれば、あるいは例えばお役人がこういう不正をすればそれに対して持つ気持ちというのは違いはないんだよ、みんな同じなんだよ。基本的にそれは非常にその人間の心の動きというのかリアクションというのかそういうものというのは人間全てに共通して私は同じだという確信があるから時々関西出身の人の中に偏狭な関西民族主義みたいなの唱える人がいるんだけれども俺は別にそれがその偏狭な民族主義というやつが何に限らずあんまり好きではないものだから、だから関西だからっていうのも同時に嫌いだね。そういうことは意識したこともないし、うん。

 

[人研] 東京のキャスターとして大阪のキャスターとしてではなくて1人の人としてキャスターをしていると?

 

[辛坊] カッコよく言えばね。そんなにカッコいいことは言わないけどね。民族主義全部を否定するわけじゃないけど非常にその視野の狭い民族主義というのは別に日本だけではなくて何に関しても嫌だね。俺その学生時代にバックパッカーやってる時に痛感したのよ。人間って同じだよなぁっていうのがもう本当に最終結論で。

 何でそう思ったかというと俺は大学ん時に人類学の教師が「愛想笑いというのは東アジア特有の文化だからな、なんとかっていう偉い先生も言ってんだ」みたいな話になってへぇーそんなもんかなぁって思ってヨーロッパ3ヶ月間旅してたら愛想笑いは白人でもするっちゅーに(笑)、同じだっちゅーに。無理になんか文科系の学者というのはそういうものにレッテルを貼って分類しなきゃいけないというまあそれ自体が商売になっちゃっているところがあるんだわなぁ。文化系の学者さんの方が目の前にいて言うのも何だけど俺はあんまり信用してないんだよね、理科系の学問、文系の学問っていうやつを。

 

[人研] それは東京と関西というようなちっちゃな規模ではなくてそのアメリカでメディアの研究をされて、アメリカのメディアを見ての印象としても同じなんですか?

 

[辛坊] アメリカのメディアはねぇそんな中身に立ち入ってじゃなくて非常に技術的なもう一点デジタルということに関して集中した1年間だったからそういう全体に関しての印象っていうのはあんまないなぁ。まあアメリカの1年間は一言で言うとよくまあこれだけ無駄なことに会社は金を出すよなぁという、いい会社入ったなというその一点に尽きるよね。そういう意味じゃ関西のニュースがやっと立ち直ってきてまあほぼ頂点というところまで来て、何も俺が辞める必要性、必然性もなかったんだけどその時に俺が別ルートで、会社から離れたところで1年間海外でコネを付けて来て読売テレビに1年間行かせて欲しいって言った時にうちの会社は会社を辞めろとは言わなかったし、休職しろとも言わなかったし、1年間金まで出してくれて、じゃあ行って来いっていう会社だからこれは度量が広いよね、おおう。会社が見つけて会社が行けと言ったものではなくて自分が見つけてきて、よそで話を決めてきたやつに会社が金を出して行かせてくれるっていうんだからこれは非常にラッキーだったよね、うん。

 それはたぶんでも、それは皆さんはこれから会社入る、社会に出て行くわけだけどいきなり何にもないところでそれを言った時になかなか認めてもらえない、逆に言ってもコイツだったらもうこのぐらいのわがままは、これぐらいの最後はもう許してくれるだろうなっていうところの素地はやっぱり長年かけて作っていかないと。そりゃあいきなり何で認めてくれないんだって怒ったところでしょうがないわけで、認めてくれるわけないわけだから。まあうまく立ち回れと言うと非常に誤解を招く表現だけどその辺りの社会性みたいなものは追々つけていくことを考えたらいいよね、ね。うん。と思います。

 

[人研] 例えばその今回のズームインの話ですけど、お声がかかったわけじゃないですか。それで例えばフリーになるとかそういうことは考えていらっしゃらなかったのですか?

 

[辛坊] 全くないね、うん。

 

[人研] それはアメリカ留学をやらせてくれたとかそういう恩とかがあったとかそういうことでもないわけですか?

 

[辛坊] だって何の必然性もないもの。

 

[人研] まあそうですね。この会社に、読売テレビにいながら出れるわけですし。

 

[辛坊] あのねぇ、そりゃあもうまず大前提としてそんなことは考えもしないというか俺はサラリーマンとして入ったわけで、いかにあと年金を貰えるまでのカウントダウンをして(笑)、しっかり退職金貰って平和な老後を迎えようかとしか考えてないからね。いやぁさっきも言ったようにツールだからね、ツールとしてこの職業を考えた時にできるだけ楽しい方がいいよね。これもしフリーになってテレビにじゃあ1回いくらでこう出始めるよね。そうすると今ほど好きなことは言えないと思うよ、きっと。それはこんなこと言ったらクビになっちゃうかなぁとかさぁ、こんなこと言って視聴者怒らせたら、あるいは日本テレビを怒らしたらまずいかなとか、金を貰らえば思うわな。俺が非常に今幸いなのはそういう意味の気の遣い方を基本的には何もしなくて済む。

 ただサラリーマンであるが故の限界は当然あるわけで放送法という法律で政治的に公平であること、意見の対立している事柄についてはできるだけ多角的に論点を明らかにすること、とこう書いてあるわけだよ。でこれ読売テレビの社員である限りはこれを年頭に置いて喋らなきゃいけない。でタレントとして喋る場合には別にそんなこと考えなくたっていいわけで、俺はこう思うって言えばあとは放送局が責任取ればいいわけだから。

 逆に言うと読売テレビであるが故に制約される話の中身と、フリーになって1本いくらでお金を貰いながら喋る時の制約とどちらが大きいかと自分の中で考えた場合にきっと元々貧乏性だからフリーになって生活のことを考えながら気遣いながら喋ることの方が制約は大きいだろうなと自分の中で判断をしたら、そりゃあ今の立場で好きなこと言ってるのが一番楽だし。まあとりあえず朝早く起きるのだけがつらいけれども、あとその仕事の中身に関してはさして不満があるわけでもないし、ね。

 で幸いなことにというかこれは単にもしかすると恥ずかしいことだと言われればその通りなのかもしれないけれども、僕が好き勝手にしゃべっていることとおそらく日本テレビや読売新聞の上層部との考えていることがそんなに相違がないということがたぶん背景にはあるんだろうと思うけれども、自分が喋ったことに関してあれを言えとかこれを言うなと言われることは今まで一度もなかったし、それはおそらく言われることはないと思う。だからそこはたぶん阿吽で間合いができてるからだろうと思うけどね。じゃあ何を喋っても怒られないかっていうとそんなことはないわけだよね。それはまあ放送法の背景もあるわけだし。だけど少なくとも一度もそういう意味での不快な思いをしたことがないという意味では、そういう意味でも幸せだね。俺はねぇたぶんねぇ、朝日かなんかで、俺が朝日の関係の人間で同じような仕事をテレビ朝日でやっていたらすっごいストレスだと思うよ。たぶんやっぱり朝日の社論とは相当ぶつかるだろうしね、ねぇ。そりゃあやっぱり自分の良心押し殺して朝日の社論に合わせて喋るわけにもいかないし、これは非常にストレスだと思うけど今はそういうストレスがあんまないっていうのはまあ恵まれてるわな、うん。

 

[人研] 辛坊さんの考えが社風に合ってるっていうのは…。

 

[辛坊] うん。そういうことがあるんだと思う。たぶん基本的にね、わかんないけどね、うん。誰も文句言って来ないところを見るとそうか、もう1つ考えられるのは誰も聞いてないかどっちかだと思う。後者の可能性はかなり高いんだけど、うん(笑)

 

[人研] 辛坊さんが逆に読売テレビの言論の社風を作ったとか?

 

[辛坊] いいねぇ、いい話だねぇ。絶対ないね(笑) そんなこと考えてないよ。あとはだからもうね、定年まで、まあ定年までやる気はないんだけどね、まああと何年か経ってなんとか子供が成人して、まあ一応大学卒業するまで無責任なことをせず、尚且つ自分がこっから先は旅人に戻れるという時を、そこの接点をどこの時点で作るかという、まあ今考えているのはそこだよね、うん。

 ただこのまま行くと日本は確実に滅びるからね、もうそれは見えてるから、もう君たちは大変だよね。なんつったって国の借金が700兆でしょ。今国の税収が40兆円しかないんだよ。国の税収が40兆円しかなくて国の予算は80兆円で組んでるわけだよ。そうすると残りの40兆円は毎年借金するわけだよ。それが今700兆円借金してて毎年40兆円ずつ積み上がっていくわけだよ。で今お年寄りに払われている年金総額っていうやつが国民年金と厚生年金と合わせるともう40兆円軽く超えてるんだよ。国民全員が消費税も含めて払っている、法人税も含めて払っている税金と同じ額が今お年寄りに年金だけで支払われてる、それ以外にお年寄りに医療費がある、介護の費用もあると。たぶんあっという間に介護と年金と保険の給付で80兆円ぐらいになるよね。国民全員が払っている消費税、法人税、所得税全部合わせたって40兆円ぐらいにしかならない国でね、まあそれとは介護保険は別に掛けているとはいえ、社会保険は別に掛けているとはいえ80兆円の負担だよ。その上今の厚生労働省の一番最悪のケースを見るとね、たぶんね、1.5人で1人ぐらいのお年寄りを支えなきゃいけないぐらいのことも考えなきゃいけない。この前まで2.5人って言われてたけど最悪のケースだったら1.5人で1人、つまり1人で働いているあなたが、働いているお給料の中から年寄り1人の年金と介護の費用と医療費出さなきゃいけないと、持たないだろこんな社会。で今みたいに消費税3%で所得税だけでそれを払っていこうっていう考え方だと、つまり現役世代だけがそれを負担しようという考え方だと確実に滅びる、確実に滅びる。日本もどっかでこの借金はケリつけなきゃいけない時が来るんだ。そうすっとねぇ、みんなもうちょっと真剣に考えないと。俺はいいよ、俺はまあどちらかといえばまあ南の島で、理想を言うなら農業やりながら自分の食い代は自分で稼いでだな、最悪生活できるだけの本拠みたいなものを、まあできればあと5年以内ぐらいにどっかこさえて、最低限ここで農業やって家族だけは餓死しないというような状況の中でさあ世の中どうやって見てこうかっていうぐらいのことを考えているけれども、でもそんなことがみんなができるわけじゃないわけだし。そうするともうちっとみんな真剣に考えんとあんたらやばいよと、どうにもならんよこの国は。ただだけど世の中全体を見てるとあんまりそういう緊張感がないよね。で世の中のデータを細かく見てきゃ見てくほど確実にこの国は破滅すると。そりゃあもう100%だね、うん。

 

[人研] 経済学の教授連中もみんな「ああ、もうこの国は終わりだよ」って言ってんですけど、でも公には言わないだけですね。

 

[辛坊] 僕もテレビではここまで言わないんですよ、ね。でこれってじゃあ救済するには何かって言うと1つは、方法としてはたぶん消費税25%これしかないと。そうすっとねぇ年寄りでも金持ちでモノ買う人は、つまり現役世代だけでは負担できないということで今の年寄りの年金や医療費や介護の負担を下げるかね、そうかこの人たちの財産の中から負担してもらうかしかないわけだよ、現実問題として。あともう1つは日本の人口が減らないように海外からどんどん人を入れて、アメリカなんかそうだけれどもね、アメリカはまあ政策的な意味もあって移民を入れてるんだけど人口が減らないように、人口の構成比が現役世代とお金を貰う、使う一方の世代と比率はあまり大きく変えないようにする方法はそれしかないんだろうけど、それはたぶん日本という国から言ってコンセンサスというのは物凄く難しかろうと。子供増やせばいいっつったってそんなに簡単に増えるもんじゃないわね。増えろって言って増えるんだったら話は簡単だよ。たぶんもう消費税25%、俺の試算で5%や10%じゃ話になんない、20%超えるぐらいの消費税に上げないと破綻するね。そうか一旦もう破綻させてハイパーインフレ起こして借金全部チャラにして、そっからリセットしてスタートするかなんだけどハイパーインフレ起こすっていうのは消費税より尚悪くて金持ってる人は全員財産を失うということだからこれは財産権の侵害で憲法問題だから。

 だけど非常に解決する方法の隘路は狭いと。共産党なんかは例えば「いやぁ年金は何とかなります」と「ええ自衛隊全部やめて」みたいなこと言う。自衛隊もし全部やめて25万人の自衛隊員全部クビにしてアメリカへの援助もやめてもう安全保障には一切お金は使いませんって言って節約できるのが年間5兆円だよ、5兆円。何になるっつーの5兆円で、そんなもんじゃ全く解決つかない、根本的に構造を変えないとね、持たないよこの国は。だけど誰もその危機感はない、恐ろしいことだよね、うん。まあそんな中でじゃあ自分だけはどうやって食うか(笑)っていう方向に行かないように本当はしなきゃいけないんだけどねっていう話です。

 

[人研] まあいろいろ原因はあると思うんですけど辛坊さん自身はそうなってしまった原因は何だと思いますか?

 

[辛坊] やっぱりねぇマスコミのミスリードもあるし、要するに結局ねぇ自分が大切っていうところで一人一人にとって正しい事が全体にとって正しい事ではないという「合成の誤謬」という言葉があるけれども、例えば最近よく訴訟で問題になっているのが企業年金減らされると。で既に年金貰っている人が月々20万円くれるという約束で定年退職後貰っていたのに、その年金がこの低金利で回らなくなったからじゃあ月々15万に引き下げますということになると裁判が起きるわけだよ。で個々の年金受給者としては当たり前の行動なんだよね、20万円もらっている年金を突然15万円に減らされるってとんでもない話だからそりゃあ訴えるよね会社。だけど全員がもしそれで本当に20万円貰える体制が維持できればいいけれども維持できなくなったらそのシステム自体が破綻してゼロになるから。で破綻して本来は破綻してゼロになるから、破綻してしてゼロになるよりは5万円引き下げでも15万円で納得しようかっていうのが合理的な本当は行動なんだろうけど、でもそういう行動は出ない、やっぱり自分が20万円貰えるという権利に関してこれを侵害されるのは憲法違反だからそれは徹底的に戦うと。だけどそれをやることによって結局全体が破綻していくと。

 だから何が悪いというよりはそういうことになってますよっていうことをやっぱりちゃんと説明をして国民を導いて来なかった政治家というのは非常に大きな問題だよ。最終的にそういうシステムを組むのは国会でしかないわけだから。やはり与党は次の選挙に負けたくないから厳しいことは言わないと。野党だって消費税上げるというようなこと言って得することがないから言わないと。で消費税上げた政権は必ず崩壊するというようなことになると次の選挙で怖くて誰も本質は触れられないと。結局みんなが共同正犯みたいな状況でここまで来てる。だから本当は厳しい、それもねぇ民主党みたいに「消費税上げます、3%です」って3%じゃ無理だと誰が考えてもわかんだけど、でも3%で全部ができるようなバラ色の未来を描く。小泉さんにしちゃあもっとひどくて「一切上げない」、まあ上げないのは今の段階で上げりゃあただ役人が食い潰すだけだから今上げないというのはそれはそれなりに判断としては間違いではないんだろうけども、じゃあその後どうすんだっていうビジョンを示して今上げないならわかるけれど、その後別にどういうどうなるというビジョンを示さず今上げないというだけではそりゃあどんどん破綻の時が近づくだけだから。そういう意味じゃみんなの共同正犯だと思うよね、うん、ですわ。

 

[人研] 近鉄の問題なんですけど堀江っていうライブドアの人はあれは本当のところは辛坊さんとしては買い取って欲しいですか?

 

[辛坊] ライブドアが確かに近鉄やオリックスが言うように去年の中間決算の経常益が5億円だから、近鉄の年間の赤字が今40億円ぐらいだから5億円の利益しかあげてない企業が40億円の赤字出しているところを買って運営できるのかっていう問題が大前提としてあるの。だからどこまで本当にライブドアが、現預金が600億円あるって言っているけれども本当に毎年40億円もの赤字を垂れ流している球団買って維持できるのかっていう現実問題はあるんだわ。そういう意味ではどこまで本当かは疑問なんだけど、ただ1点すごく面白いなと思うのはライブドアというのはインターネットの専門会社ということになると今まで近鉄の試合っていうのは一生懸命選手が、何億円の年俸持っている奴が試合してても実際見に行っている客は5000人ぐらいだったりするわけですよ。でテレビでもやってない、ラジオでもやってないっていうことになるとその試合を見られる人間はあれだけ金をかけた大きなグラウンドなのに5000人もいりゃあいいと、シーズンオフになったら100人ぐらいしかいない、こんな効率悪い話はないと。ところがインターネットでもし生中継でライブでブロードバンドで近鉄の試合に関しては例え北海道の利尻島にいても、そこで近鉄の試合はインターネットでリアルタイムで全試合見られるっていうことになると近鉄ファンの裾野が物凄く広がるかもしれない。そうするとパ・リーグの底上げになるかもしれない。

 そういう意味で言うとインターネット関連会社という1つのメディアの会社が、今までのアメリカのメディアの発達でもそうなんだけどメディアが大きく、ローカルのメディアが飛躍しようとする時に何をするかっていうと地元のバスケットチームやラグビー、フットボールチームや野球チームを買うところからスタートしてそれをソフトにして、その野球チームをソフトと考えて自分の小さなメディアを強化していく。そういう意味で言うとインターネットという1つのメディアを持っている人間が近鉄という球団を押さえることによってインターネットのブロードバンドで野球中継を見るという文化を創ることができるかもしれない。そうすっとパ・リーグを見る層やファン層自体が変わってくる可能性がある、という意味では私はもし買収できれば面白いことにはなるなと思いますね。うん、それが食品メーカーじゃないってこと、ブロードバンドの会社だということは非常にポイントだと、アメリカのメディアの発達の歴史を見ているとそう思います。

 但しそれをやられた時に俺は放送局の人間の立場だから俺らの立場から言って損か得かって言うと決して得にはならないわけで、そこにスポンサー持っていかれるわけだから。ただメディア全体を見た時に面白いと思うけれど俺の個人的な、読売テレビの社員という立場では歓迎はできないけれど心情的には非常に面白いなと思う。

 

[人研] 野球に関連してなんですけども辛坊さんは阪神ファンとお聞きしたんですけれども今ズームインだとか日テレで本当に巨人ばっかり推しているじゃないですか。その中で阪神ファンとして立場的に疎外感だとかストレスといったものは?(笑)

 

[辛坊] 僕は元々阪神ファンというよりは岡田のファンでね、丁度俺らが現役の頃に岡田がほら4番だったっすよー、ねぇ。で丁度ほぼ同時期に大阪行って、ほぼ同時期に社会人としてスタートラインに立って、でまあ阪神取材行くようになって岡田とは顔見知りぐらいにはなるわな。そういう意味じゃ今年はねぇ物凄く俺は期待しているんです、ね。まあ日本テレビの中でどうかって言えば日本テレビの中でも阪神ファンは結構多いからねぇ(笑)

 

[人研] あっ、そうなんですか?

 

[辛坊] 大きな声じゃあ言えないけどねぇ、ズームに出てるお天気の平井さんとかねぇ熱狂的な阪神ファンだしねぇ俺なんか及びもつかないような本当の本物のちゃんとした阪神ファンだし、ニュースのデスクやってる松井君っていうのもねぇ阪神ファンだから。これはねぇこれも大きな声じゃ言っちゃいけないんだけどねぇ、うん(笑)

 

[人研] ほとんど岡田監督とは同期ぐらいなんですか?

 

[辛坊] 岡田がたぶん1つ下だと思う、80年のドラフトだから。

 

[人研] 確か早稲田の…。

 

[辛坊] 早稲田の教育だよ、早稲田の教育、うん。

 

[人研] 早慶戦とかは?

 

 

[辛坊] 早慶戦は必ず行ってたよ。

 

[人研] 当時は?

 

[辛坊] 確か1回優勝したかな六大学で、俺が現役の時に。提灯行列で神宮から歌舞伎町の池のところまで行って、今池なくなっちゃったけどね、みんな飛び込むから(笑) 今確かトロイの木馬のなんか…(笑)

 

[人研] 今回はトロイの木馬になりました。

 

[辛坊] あそこ池だったんだよ。あそこみんなで飛び込んで泳いだって言ってた。だからあの大阪の阪神優勝した時の道頓堀ぐらいのもんだよ、道頓堀状態だったんだよ昔は。

 

[人研] 僕今3年なんですけど今年僕大学入って初めて早稲田が負けて早慶戦に、負けることがあるんだっていうぐらい強かったですけど(笑)

 

[辛坊] まあそういうこともあるわな、勝ったり負けたりだから、ね。向こうが勝ったりこっちが負けたりじゃあれだけどそりゃあ。

 

[人研] 当時は神宮は満員だったんですか?

 

[辛坊] あーはっきり憶えてはいないけど満員にはなってないだろうなぁ。あそこ満員になったら何人になるんだ、4万人ぐらいか、そんなには入んないよね、大学野球ではね。

 

[人研] なんか昔は休講になるとか?

 

[辛坊] 休講にはなったな、早慶戦の時には休講になったな、うん。今なんないの?

 

[人研] 今ならないです。

 

[辛坊] おお、そう。今結構なんか学生も結構真面目に大学行っている奴も多いんだって?

 

[人研] 結構こうまあ厳しくなったとは言われてはいますね。

 

[辛坊] 俺でももう一遍大学に戻ったらちゃんと出るべき授業は出るだろうな。俺らがやっぱりまずかったのはやっぱり出るに値しない授業も勿論沢山あるし、だけど出るに値する授業もたぶんあったはずなんだけどそういうものもひっくるめて授業に出なかったということに関しての後悔は物凄くあるね、うん。今でも確信を持ってコイツの授業だけは出なきゃよかったっていうやつもあるんだけど(笑)、でも出た方がよかったなって思う授業もいくつかあって、もう一遍大学生に戻ったら出るべき授業はしっかり取って勉強したいと思うね、うん。

 

[人研] 今仮に入ったとして、学びたい学問とかはあるんでしょうか?

 

[辛坊] 今?本当は俺自然科学をもう一遍本当はやりたかったんじゃないかなぁって思うんだけど、高校の時なんとなく理系か文系かの選別が行われる時にあまりにも化学や物理ができないもんだから投げちゃったけども、でもなんかコツコツと自然科学の研究をやったらこりゃまた違った人生だったんじゃないかなぁって思わんでもないねぇ、うん。

 

[人研] 辛坊さんから見て漠然とでいいんですけど今の早稲田を見てどのように思われますか?

 

[辛坊] こないだ行ったんだ俺、久しぶりに。何しに行ったんだろう?えーっとねぇ、あっ、友達の出版社が近所にあってね、久しぶりに高田牧舎の前から、早稲田の正門の中から、正門から裏へ回って中抜けて上がって行ったけど、変わんないね(笑) 変わんない。

 

[人研] 学生の活気が下がってきたとか?

 

[辛坊] そんなことないと思うよ、うん。俺らの頃も十分活気なかったもん(笑)

活気もないしやる気もないしね。今の方が、俺一昨年政経に教えに行った時にはあまりの学生の少なさに愕然としたけどこれは俺の人気がないんだと思って、しょうがないなって、うん。でも…、いんだよ別にやる気なんかなくたって(笑)

 

[人研] もう参院選が近いじゃないですか。辛坊さんの考えとしてはどうなると予想していますか?

 

[辛坊] 結果的には、これはもう3日ほどで結論が出てたぶんこの喋ってる内容が活字になったりすんのはその後だろうから今なんか言うとこんなに恥をかくことはないけど(笑)、一言で言って今度の参院選では結果から見てあんまり何も変わらないだろうなっていう予感はしてます、いろんな意味でね。これで何か大きく変わるようなきっかけになる可能性はたぶん低いんじゃないかな、うん。

 

[人研] 新聞の世論調査の中では民主党が躍進して自民党が議席を減らすみたいな論調なんですが?

 

[辛坊] そんなに顕著な結果は出ないと思うよ、たぶん、うん。

 

[人研] 全体としてはあとこう過去に問題を起こした議員が何人か出てるじゃないですか。

 

[辛坊] 出てますね。鈴木宗男さんは当選しないでしょう。

 

[人研] しないんですか?

 

[辛坊] たぶんね。あそこはねぇ、鈴木宗男さんがいいとか悪いとかは別にして、他のあそこ定数2だからね、北海道はね。2が堅いからなかなかそこへ食い込むのは難しかろうと。辻元さんは可能性はあるね、あそこはねぇ大阪は元々団子だから。で常にねぇあそこは定数3なんだけど3と4とはいっつも入れ替わってもおかしくない。で今回も3と4入れ替わってもおかしない状況の中の上位4の中には入っているからね、可能性はあるね、いい悪いは別にして。

 

[人研] 西川きよしさんの100万票どうこうを取り合うかみたいなこと言われてるじゃないですか。そういうのが鍵になるっていう感じなんでしょうか?

 

[辛坊] 西川きよしのファン層っていうか投票してた人っていうのは右から左まで万遍なく非常にその世論調査の総量みたいな感じだから結局そこがみんなにバラけるだけであんま意味ないんだよね、うん。そういう意味じゃ、だけど西川きよしに入れる人の中には知名度のある人から順番に入れるっていう人もいるからそういう意味じゃ辻元さんに流れる票っていうのはかなりあることは確かだよね。そういう意味では今大阪で出てる人たちって知名度のある人っていうのは辻元以外は誰もいないんだわ。見事に誰もいないのね、そういう意味での知名度のある人。だからそういう意味ではだからタレントが出れば誰でも入れるっていう人たちの票は確実に集まる。だからそれで今ボーダーラインギリギリだと思う。あとはもう当日の天気次第だよね、浮動票が増えれば、てなとっかな。

 

(中断)

 

[人研] では最後の質問をよろしいですか。僕、朝の情報番組が好きで各民放の情報番組を日替わりで見たりして楽しんでいるんですけどそれで今までずっとズームインスーパーが一人勝ちしてたじゃないですか、視聴率ですべてが語られるかわかりませんが視聴率的には。最近になるとめざましテレビが躍進してきたり、まだずっと負けてますけどやじうまプラスとかが少しずつ伸ばしたりしてるじゃないですか。

 でズームインスーパーの制作の方としても何かしら考えるところはあると思うんです。でもし辛坊さんがズームインスーパーを改革するとしたらどんな構成に改革されますか?

 

[辛坊] そうだなあ、まずねぇ6時半までは断トツなんだよね。まあ圧勝してんだよねこれは。異常な視聴率なんだよこれが。それでねぇズームイン朝の時代の最後の方に比べても今の方がたぶん1.5倍ぐらい6時半まではいいんだよね。でねぇ悪いのがねぇ7時半以降顕著に悪いんだよね。ここはねぇ何で悪いかというとねぇ、フジテレビの芸能へ行くのともう1つ大きな原因はねぇ実はねぇ最大ズームが下がってきてる理由は7時半からのBSのNHKのドラマのリピートに持ってかれるの。でねぇ何でフジテレビは持ってかれないかっていうとフジの客層はNHKの連ドラのリピートは見ないんだよ。ところがズームの客層というのは全体に連ドラを見る層ぐらい高いんだよね客の年齢が。そうすっと7時半になった瞬間に雪崩を打ってNHKのBSの連ドラのリピートへ変えるんだよ。ここでねぇ一気に落ちるんだわ。そうすっとねぇズームの視聴率を上げる一番いい方法は、

 

[人研] はい。

 

[辛坊] 7時半でやめる(笑) どうだ?画期的だろ(笑)?

 

[人研] 参りました。

 

[辛坊] 画期的だろ、だろ?

 

[人研] あとは次の番組に任せると?

 

[辛坊] あっ、そうそうそうそう。あとは知らねーよって。

 

[人研] ズームイン的にはいいんすけど会社的には何もあんまり変わってないような…。

 

[辛坊] 会社的には?だから俺はここの会社の人間じゃねぇんだって(笑)

 

[人研] 私は仕事の時は朝7時半とかぐらいに出ることが多かったもんですから、そうするとそこまではテレビ見てるんですけれども消したりとか、いとこがテレビ見たりするんで、でチャンネル変えたりするんで7時半以降はあんまり見たことないんですけど。

 

[辛坊] そうなんですよ。サラリーマンってねぇ基本的に東京はねぇ朝早いんですね。だからねぇ、まるで7時過ぎに家出ちゃうって人多いんだわ。7時半に残っている人たちはもう完全に主婦か学生かぐらいしかいないんだよねぇ。だからターゲットをいきなり1つながりの番組の中で変えんのは難しいんだよ。客の受け手の側のイメージとしてもね。キャスターも含めて本当はターゲットが変わった番組で別番組にするのもおそらく一番僕は正直言って賢いと思う。そういう意味で言うと3時間延々客層が変わっていくのに同じ顔ぶれで同じ番組やるよりは、通しでキャスターや番組をやっているというメリットはメリットであるんだけどただどうなんだろう、3時間っていう区切りはどうなのかなぁって俺は個人的には思う。だからどっかでやっぱり切って別番組に切り替えて、こっから先は別番組で若いターゲットなら若いターゲットでっていうのも1つの方法じゃないかなって思うけどね。

 非常にだからなぜかっていうのははっきりしている。で昔は7時半のBSはなかったからね。これはもう本当顕著。というのはねぇ、ドーンと下がるんだけど7時半では、ドーンと下がるんだけど他が7時半からドーンと上がってるかってなるとフジはCXは若干上がってるんだけど下がっている分を吸収できてない。ということはここでチャンネルを消していることはありえないわけだよ。まあ1人で見ててもう家出ちゃっている人はしょうがないけど。そうすると数字にはなかなか表には出てこないけどBSが物凄い数字が実は今あそこに隠れてんだよ。というところのこれをどうするかなんだなぁ。

 

[人研] 今はもう地上波だけの争いではなくなっているっていうことですか?

 

[辛坊] そういうことだねぇ、うん。あといいのはNHKにテロかけて潰す(笑)

 冗談だよ。

 

[人研] それはちょっとやばい、なるほど。じゃあ今日は本当にお忙しい中ありがとうございました。

 

[辛坊] ご苦労さんでした。